第2話
2030年11月4日 昼前
昼間でも薄暗く感じるほど木々のおいしげった山の中で、動くものがあった。
地面のほとんどが落ち葉におおわれている中で、一部、土がむき出しになっている場所があった。
最近掘り起こされたように見える。
その場所の地面が、突然、もぞもぞと動きはじめたのである。
その動きは一度とまり、次の瞬間、爆発するように土をあたりへまき散らしながら、一人の男が地面の中から勢いよく飛び出した。
「ゴホッゴホッ! ペッ……ペッ……オェッ……」
身長170㎝ほどの細身で、癖のない黒髪を少し長めに伸ばしている。
不動カルタであった。
今まで眠っていたらしい彼は、口の中に入った土を吐き出した後、本人の弱気な気質とは裏腹に鋭く見える目をカッと見開いてあたりを見渡した。
そこが自分の部屋ではないことを理解し、次に、自分の下半身が布団ではなく土に埋もれていることに気づいた。
寝ぼけた頭のまま、おもむろに立ち上がると、下半身を通りぬけていく風に気持ちよさを感じた。
いままでに感じたことのないほどの解放感である。
カルタは、過去の旅行で露天風呂に入ったときのことをふと思い出した。
そこまできてようやく、自身が全裸であることに気づいた。
「えぇ! ちょっと待って」
大事な場所を両手で隠しながら、周りに人がいないことを確認し、フルスロットルで頭を回転させ始める。
「意味わからん、意味わからん、意味わからん! ……寝てた? 森の中で? 土の中で? 全裸で!?」
眠気はすでに吹き飛んだ。
しかし、近年まれにみるほどに高速回転し始めた脳をもってしても、やはり現状を理解することは出来なかった。
理解できたのは、『記憶喪失っぽいぞ』ということだけであった。
彼がまず朝目覚めた時そうするように、スマートフォンを探したが見当たらない。
あたりを見渡しても服や持ち物は何もなかった。
来た覚えのない森の中で、全裸の自分が放置されているという現実だけがそこにあった。
「どこだよここ? まったく思い出せねぇ。今日は11月2日だよな? ってことは、遠藤さんと山に登る予定だったけど……あっ! 今何時だろう。遅刻じゃないか?」
遠藤には申し訳ないと感じたが、山登りだの遅刻だのというレベルの状況ではないので、いったん彼女のことは思考から外した。
もしかしたらヤクザに拉致されたのかもしれないと想像し、カルタはあらためて自身の体を入念にチェックしたものの、傷ひとつなかった。
腕をぐるぐると回したり、屈伸をしたりしてみたが、やはり痛むところはなかった。
むしろいつもより調子が良いくらいである。
「私は誰? 不動カルタ。ここはどこ? ……わからない。まじでどこだよ!」
とにかくこの場所でじっとしていてもらちが明かないので移動し始めることにした。
靴もないので、痛む足裏をかばいつつ、しばらく歩き回り、ようやく舗装された道を見つけた。
道に出てしばらく歩くと看板があり、山頂に神社があるという情報が書かれていた。
ようやくここが、遠藤と登る予定だった
「確かに今日この山に登る予定だったけど、なんでもうここにいるんだ? もしかして登山中に何かあったのか!? 遠藤さんは大丈夫なのかな……」
ぺたぺたと足音を鳴らしながら山道を降りていると、うちすてられた黒いゴミ袋を発見したカルタはすぐさまそれに飛びつき、自身の腰に巻いた。
「原始人かよ。はやく服を見つけないと」
確かこの山のふもとには小さな村があったよなと思い出しながら、彼は再び歩き出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2030年11月4日 13時ごろ
関東郊外にある
彼の名は豪徳寺アキラ。この高校の生徒会長である。
高身長で顔も整っているだけでなく、文武両道。
唯一の欠点が性格であり、それは本人も自覚している。「あれで性格までよければ完璧だったのに」というのがクラスの女子達からの評だった。
しかし、本人はその性格も含めて自分自身を愛していた。
今も豪徳寺は、一昨日手に入れたスキルのことを考えながら、「やはりボクは完璧だ」とあらためて自信を深めているところである。
そこへノックの音が聞こえた。
「吉田です、今お時間いいですか?」
「入れ」
この高校の制服を着た男女が校長室へ入り、豪徳寺の机の前までやってきた。
二人のうちの男子生徒――吉田――が少しかしこまった風で、豪徳寺に報告をした。
「あたらしくうちの生徒を保護しました。目黒さんです」
「おお、目黒ね。避難所がここだと連絡は入っていただろ? いままで家にいたのか?」
世界の声が鳴り響いて以降、世界中のあちこちで突然モンスターと呼ばれる化物たちが出現するようになった。
狼やイノシシのように、一見普通の動物に見えそうだが、明らかに狂暴で執拗に人間を狙うモンスターが突然街中にあらわれたのである。
それだけではなく、それまでの地球に存在せず、アニメや漫画の中にいるようなゴブリンと呼ばれるモンスターまで出現した。
そんな状況のため、警察や自衛隊もうまく機能せず、人々は混乱しながら逃げまどうことになった。
ここ勇正高校は、災害時の避難所として指定されており、逃げてきた近隣住民たちが、体育館や、各教室にて生活しているのであった。
豪徳寺に問われた目黒という女生徒は、おどおどとしながら答えた。
「いえ……実は、あの日、
目黒は思い出すだけでも怖いのか、自分の手をぎゅっと握りしめながら説明した。
豪徳寺は最初、どうでもよさそうな態度で聞いていたが、モンスターという言葉に興味を覚えたのか、少し前のめりになってたずねた。
「どんなやつに襲われたんだ? 強いモンスターだったのか?」
「角の生えた熊です」
「……初めて聞くな。このあたりではほとんどゴブリンで、たまに狼みたいなやつがいるくらいだ。その場に適合者はいなかったのか?」
「なにかスキル名のようなものを叫んでる人はいたんですけど、スキルを発動させる前に殺されてました」
それを聞いて豪徳寺は前のめりの姿勢をくずし、ソファへもたれかかるように座りなおした。
「はっ、無能だな。せっかく適合者になれたのに。まあボクみたいにすぐ使いこなせる奴もまれか」
「会長も適合者なんですか!?」
「そうだ。だからこそ、この席に座っている。この学校はすでにボクのものだ」
豪徳寺が自分のスキルについて目黒に説明していると、またノックの音が聞こえた。
「会長、そろそろ会議のお時間です」
部屋に顔を出したのは、その学校の校長だった。
60歳くらいの男性で、本来は生徒である豪徳寺に対して下手に出るのが気に食わないのが顔に出てしまっている。しかし、今の彼に逆らうことはできないため、校長になってから久しくしていなかった愛想笑いを不器用に浮かべていた。
「お、もうそんな時間か。全員ちゃんとそろっているんだろうな?」
「は、はい! もちろんです。あとは会長だけで……」
豪徳寺は校長の言葉を最後まで聞くことなく押しのけて部屋を出ていった。
校長は豪徳寺に聞こえないように「クソガキが」と低い声でつぶやきかけたが、途中で部屋にまだ他の生徒が残っているのに気付いたのか、大きな咳払いをしてごまかした。
「君たちもさっさとこの部屋から出なさい! この部屋はもともと私の部屋なんだからな!」
目黒たちは、その言葉に素直に従いつつも、すでに尊敬できない存在となってしまったこの老人をあわれむような目で見ていた。
会議室では、もちろん上座の一番真ん中に豪徳寺が座っている。
彼以外には、校長、教師三人、警察官三人、それと豪徳寺のお気に入りの生徒数名が部屋にいる。
校長や教師は、もちろん彼のスキルによって従わざるを得ない状態になっているのだった。
そして、警察官もまた同様である。
本来、警察官が三人もいれば、豪徳寺一人くらいどうとでもできるくらいの武力があった。
しかし、スキルにはそれを覆すだけの力があるのだった。
「――というわけで、何人かの避難者から『老人やケガ人はわかるが、子供まで追い出すのはどうかと思う』などのクレームが来ておりまして……えぇと……」
「はぁ~~。それで? 言ったよな、子供は不要だと」
この高校は避難所として指定されているので、本来であれば、よほど他人に迷惑をかけるような人間でなければ、基本的に全員受け入れるような方針になっていたであろう。
しかし、この高校は豪徳寺アキラに支配されてしまった。
彼が白と言えば白になり、黒と言えば黒になる。
彼が「老人、子供、病人、けが人、そんな役立たずを養う理由はない。追い出せ」と言えば、その通りになってしまうのである。
彼以外の人間も、合理的に考えれば、今のこの極限状況において足手まといになるような人間はできるだけ減らしたほうがいいとは理解している。
が、まだこのような状況になってから日が浅いので、そこまで割り切った判断をするのは早すぎるとみんな感じていた。
この高校において、この会議に参加する資格を持っているメンバーは、それなりに優遇されている。
そんな者達であっても、そのように感じるのだから、ただモンスターの被害をおそれて避難してきただけの人間たちは、そのような方針をとうてい許容できるわけがなかった。
たいていの避難民たちは、追い出されでもしたら生きていけないのでしぶしぶ従って大人しく生活しているものの、一部、正義感の強いというか、常識的な感覚をまだ持ち合わせている者達は、さきほど校長が報告したような意見を高校の運営側に伝えてきている。
その数は日に日に増えており、運営面をまとめている校長としては胃が痛くなる毎日であった。
豪徳寺は『君臨すれども統治せず』を悪い意味で実現している。
王として君臨し、自分の好き勝手に命令は出すものの、その結果運営体制がぐちゃぐちゃになって、実際に奔走している下の者たちがいくら困ろうとも手を貸すつもりはなかった。
「ボクがやれと言ったら、やれ。……やれない? それはお前らが無能だからだ」という理屈である。
今も彼は、校長のことを出来の悪い生徒を見る教師のような目で見つめていた。
「ボクが、子供はいらない、と言ったんだ。じゃあそれが正しいに決まっているだろう? ちがうか?」
「はい……おっしゃるとおり、豪徳寺さんが正しいです」
校長は声を震わせながら返事をした。
「じゃあやれよ!」
バン! と机を叩きながら恫喝する豪徳寺の様子に、部屋の中の全員がびくりと体をふるわせた。
「はい! はい……すぐに、そう伝えます。その通り行動します」
「はぁ~~、なんっで、こんな無能なやつが校長なんてやれてたんだぁ? なぁ、お前らもそう思うよな?」
会議に参加していた三人の教師にむかってそう訊ねると、教師たちは「まったくそのとおりです」「いや、本当に無能で困っておりまして……」と、とにかく彼に叱られないようにおべっかを使いだした。
その姿をみて、校長は憤死でもするのではないかというほどの表情を見せている。
「お前らが! バカだから! ボクが頭を使って、決めてあげてるの! お前らは頭を使えないんだから、せめて体を使えよ。言う通りに動けよ。な? 簡単なことだろう? 子供でもできるぞ」
校長も教師陣も沈黙している。
警察官たちも座ったまま何も喋らずにいたが、その手は腰に差した拳銃に伸びており、「今すぐこのガキを撃ち殺したい」とでも言わんばかりであった。
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