第16話

 途中で休憩しながらもひたすら歩き続けた。

 ふと気づくと、街が赤く染まっていた。


「朝焼けか……綺麗だな……」


 綺麗でもあり、少し恐ろしくもある赤色だった。

 彼が太陽をみつめていると、おかしなことに気づいた。


 ――太陽が沈んでいく?


 しばらく考えて、ようやく当たり前のことに気づいた。

 彼が見ていたのは夕焼けだったのだ。


 ――ってことは、図書館を夜中に出て、朝になり、昼になり、また夜を迎えようとしてるのか……!?


 無意識のままに彼は一日中歩き続けていたようだ。


 自分の身体の頑丈さと、間抜けぶりにしばし呆然としながらも、さらに歩き続けていると、神代山のふもとにある村が遠くに見えてきた。


 そして、その村にたどり着く手前の、村からは数百メートル離れたあたりに、ぽつんと一軒の大きな家を見つけた。


 和風建築の豪邸である。



 ――すごい家だな。地元の名士とかいうやつか?


 ――塀も立派だし、ここなら籠城できるんじゃないか?



 カルタは壁に足をかけて塀によじのぼった。


 誰も住んでいないのであれば入ろうか、と考えながら中の様子をうかがっていると、パシンッ! と、大きな音をたてて、縁側の大きなガラス戸が開いた。



「そこの人! お待ちください!」



 開いたガラス戸の中から、長めの黒髪を振り乱しながらこちらに呼びかけてきたのは、線の細い女性だった。


 紺のカーディガンを着て、下は動きやすそうなチノパンをはいている。


 カルタと同年代くらいに見えた。



 見つかってしまったことと、その相手が美人であったことに動揺したカルタは数秒硬直してしまった。


 女はガラス戸の敷居をこえて縁側に出てきたが、どうも様子がおかしい。


 ケガでもしているのか、脚をひきずりながら、腕の力だけではいずっている。


 そのまま縁側ギリギリまで移動して、落ちそうになりながら、なにごとか叫んでいる。



 彼女はとうてい悪人に見えないが、何がきっかけでカルタの中に怒りがわいてくるかわからない。


 ささいなことで口喧嘩になり、その勢いで憤怒が発動し、鬼になる。


 そして、彼女を殺す。


 そこまで考えてカルタはめまいがした。


 あくまで最悪の想定ではあるが、ありえなくもない。


 カルタに襲われた側からすると、藪をつついたらいきなりバケモノが出てきたのと大差ないだろう。


 そして、それはカルタにとっても同じようなもので、心の中にある藪をつつくと、いきなり鬼が出てきて、すべてを破壊して去っていくのである。


 もう他人と一緒に行動するべきではない。


 そう結論を出したカルタは、逃げるために塀から降りようとしたが、女性の「きゃあっ」と悲鳴を聞いて動きを止めた。


 見てみると、必死に叫んでいた女がとうとう縁側から落ちてしまったようだ。



「はぁ……」



 数秒悩んだカルタはため息をつきながら、敷地内へ飛び降りた。


 さすがにいたたまれない。


 とりあえずこの場は助けて、話だけ聞いて、彼女が落ち着いたらこっそりいなくなろうと決めた。



 おびえと喜びを半分ずつまぜたような表情を浮かべた女性のもとまで歩み寄り、声をかけた。



「足、ケガしてるのか? 立てるか?」


「昔、事故で……すみませんが、お姫様だっこで運んでいただけますか?」


「はぁ? まあいいけど」



 こんな時に何を言ってるんだこいつは、と馬鹿らしい気持ちになりながらも、素直にお姫様だっこをするカルタであった。


 カルタが彼女を持ち上げたとき、彼女の膝から下が固いことに気づいた。


「これは、義足か?」


「はい、そうです」


「……じゃあ自分で歩けるんじゃないのか?」


「歩けますよ?」



 じゃあなんで俺は今こんなことを? と口に出すのもバカらしくなり、彼は無言で彼女を運んだ。

 義足の固さと対照的に、その細い体は想像以上に柔らかく、内心どぎまぎしているカルタは軽口を叩く余裕もなかった。


 彼女を抱えて縁側からあがりこみ、居間まで運んで、ソファへ彼女をおろした。


 一応カルタも彼女の対面のソファへ座った。


 落ち着いたところで彼女は口を開く。



「お恥ずかしいところをお見せしました。久しぶりに人を見たので思わず……。あっ! あらためまして、私は井田アマネです」


「俺は……不動カルタだ」



 すぐに立ち去るのに名前なんて教えなくていいかと考えたものの、それはそれで教えるまで何度も聞いてきてめんどうなことになりそうだったので、カルタは仕方なく名前をつげた。


 話を聞くと、どうやら父親と二人暮らしをしていたらしいが、もともと備蓄などしていなかったので食料が尽きてしまい、父親だけで食料を探しに家を出ていったそうだ。


 それが二日前のこと。


 避難所までたどり着いて、そこからこちらへ帰ってくるのには一日もあればじゅうぶんらしい。


 現時点で帰ってこないというのは、モンスターにでもやられたのだろう。



 ――あるいは適合者にでもやられたか。



 カルタは今までに出会った適合者たちの顔を思い浮かべる。


 彼らならやりかねない。あらためて考えると、カルタが今までに会った適合者は勇正高校の人間ばかりだった。



 ――勇正高校のやつらは頭がおかしいのか? それとも適合者になったからおかしくなったのか?


 ――いくら世界が壊れたからといって、いきなり人を殺すような人間になるのか?



 あまりに簡単に自分を殺そうとしてきた彼らに対し、違和感があったものの、ふと自分を振り返って自嘲することとなった。



 ――俺も人のことは言えないか。今まで何人殺した? スキルのせいにするつもりか?


 ――しかし、あれは敵だった。


 ――俺はまだ死ぬつもりはない。敵に容赦してたらこっちが死ぬんだ……。



「……タさん……カルタさん!」


「あぁ? あー、で、なんだっけ?」



 カルタは思わず自分のひたいに手をやって角が生えていないこと確認し、ほっとした。



 ――危ない。過去の怒りにとらわれそうになっていた。


 ――なにも関係ないこの人の前で鬼になりたくはない。



「大丈夫ですか……? それでですね、私はこの通り足が不自由でして。避難所まで移動するだけならできるんですよ? でも途中でモンスターが出てきたらおそらく逃げることも出来ず、食べられてしまいます」


 殺される、ではなく、食べられる、というのんきな表現にカルタは少し笑った。 


「笑い事ではありません……! このままこの家で餓死するのかなと思っていたんですよ」


「すまん。でも、そうか……食べ物ね……たいしたものはないけど、少しならわけてやってもいい」



 カルタはリュックの中から乾パンやお菓子を取り出し、テーブルの上にいくつか置いた。


 この人にそこまでしてやる必要があるのか、カルタは疑問に思った。


 足の不自由な彼女が、彼に何かしてくれるのか、と考えたけれど、見返りは期待できそうになかった。


 仮に彼女がすごく強くて、背中を預けるに足りるのであれば、一緒に行動してもいいが、モンスターが来ても逃げることすらできないのであれば、カルタが彼女を守り続けることになる。


 いつ鬼になって他人を傷つけるかわからない状況で、そこまで人の面倒をみる余裕はない。


 世界が――日本以外がどうなっているのかは知らないが、おそらく世界中が――このような状態になってしまったわけだが、この極限状態の中でも他人に優しくしたり、助け合ったりするべきなのだろうか?



 ――俺のことは誰も助けてくれないのに?



 手持ちの食料を半分ほどテーブルの上へ出し終えたカルタは、そのままトイレにでも行くかのように、ごく自然に立ち上がった。



「じゃあ、俺はもう行くから」


「えっ……そんな! 待ってください!」



 自分のカバンと、隠すこともなく生身のまま持ち運んでいた金棒を手に取ったカルタは「すまん」と言って立ち去ろうとした。


 が、ズボンがぐいっと何かにつっかえた。


 見ると、井田が床に倒れこみながらもカルタのズボンのすそを握りしめている。



「離してくれ」


「待ってください……待ってください! お願いします、なんでもしますから」


「なんでもとか……適当なこと言うな。それに、俺にも俺の都合があるんだよ」



 ――あんたを殺したくない。



 その言葉は口から出なかった。



「お願いします……お願いしますっ……うぅ……死にたくないんです……あなたに見捨てられると、私本当に死んじゃうかもしれないんですよ……!?」



 井田は綺麗な顔が台無しになるくらいに泣きながら「お願いします、お願いします」と唱え続けている。



「はぁ……」



 一分ほどそのままの姿勢で固まっていたカルタであったが、ズボンを掴む彼女の手を優しく外して、「わかったから、泣くのをやめてくれ」と言った。

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