第18話


 井田は、自室で一人、耳をすましていた。



 ――疲れていたようだし、朝まで起きないよね?



 彼女はカルタとの会話を思い出していた。



『気づいたら俺は鬼になっていた』


『敵を殺すまで止まれない。人間に戻れないんだ』


『俺は人殺しなんだ』



 ――彼が悪い人には見えなかったけど……いつか私の前で鬼になって……私も殺すの?


人を殺したという告白は彼女にとって重たいものだった。


 もちろん、このような状況ではそういうことが起こるであろうことは覚悟していたし、自分の父親も、もしかしたらモンスターではなく人に殺された可能性もあるとすら思っていた。


 彼女には、『優しさ』こそ、この世界で一番重要なことだという考えがある。


 なぜなら、他人の優しさに今まで助けられてきたからである。


 足を失ってからというものの、いろいろな場面でいわゆる『普通の人』にできることができなくて悔しい思いをしてきた。


 そして、そのたびに周りの誰かに助けられた。


 もちろん義務感や打算がすけてみえることもある。むしろそのほうが多い。


 しかし、そういう場合でも、そういう人達の心の底には小さな優しさがある。きらめく優しさがある。と、井田は考えている。


 人の表層は綺麗なものではない。それは当たり前だから、その奥にあるものを見るのが重要なことだと、彼女は父から教わった。


 今日、彼女の目から見たカルタはどうだったか?


 ――彼が人を殺したことは事実なんだろうね。


 ――それが彼の表層だとしたら、その奥にあるのは?


 


 最初は見捨てられそうになった。


 敷地に入ることもなく逃げようとした彼の姿を思い浮かべる。


 ――あれはひどかったなぁ……。


 冷たい人間なのかもしれない。でも、それもやはり彼の表層でしかないのだ。


 ――結局、私が縁側から落ちちゃったら助けに来てくれたしね。あれは痛かったしびっくりしたけど。


 そのあと、ちょっとした冗談のつもりで言ったお姫様抱っこのリクエストにバカ正直に答えた彼の姿を思い出して彼女は笑った。


 ――はぁ、おもしろい。カルタくんは本当にお姫様抱っこしちゃうんだもんな。


 ――少し痛かったけど、優しかったな。力も強かった。


 彼女は目を閉じて彼の腕の感触を思い出す。


 これも彼の奥にある優しさがもたらしたものだと彼女は信じている。


 温かくなった心と表情だったが、彼女はまた少し眉をしかめた。 


 ――自分の持ってたご飯をあんなにくれたのは嬉しいけどさ、その後、急に立ち去ろうとするんだもんな。ひどくない!?


 ――上げて下げるんだもん。あのときは本当に絶望して、人生で一番ひどい泣き方をした気がする。はずかし……。


 彼女は床に、はいつくばりながら泣いた自分の姿を思い出して、恥ずかしさと少しの怒りにまみれた。


 だが、その涙こそが彼を動かしたことも思い返す。


 ――泣き落としに弱いなんて、カルタくんはちょろいね。……もしかして、今までもそうやって悪い女にだまされてきたんじゃ……?


 悪い女は私もか、と井田は呟いて笑った。


 立ち去ろうとしたときの彼の冷たい表情と、その表情を作りきれていないぎこちなさを思い浮かべた。


 まさにカルタの表層とその奥にあるものがせめぎあっている瞬間だったのだろう。


 彼は、あのとき頭では彼女を見捨てていた。確実に、本当に、あのまま立ち去るつもりだったように井田は感じた。


 しかし、彼は残った。


 結局のところ、彼は自分の心の奥にある優しさには勝てないのだ。


 その事実を確認した井田は、彼を信じることに決めた。


 この先、なにが起ころうとも、井田が彼を信じる限り、彼は優しさを忘れないで周りの人を助けるのだろうという確信があった。


 ――もしものときは、また泣き落としてやろう。


 彼女は、また笑いながらそう決意したのであった。



 その夜、いつもなら眠くなる時間になっても目がさえたままの彼女は、ひたすらカルタのことを考えていた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 勇正高校から二人の男子が出てきた。


 190センチ近い長身のほうが三村。150センチほどの男子にしては小柄なほうが一ノ瀬である。


 彼らは二人とも軽音部に所属しており、日頃から仲がよかった。


 学校以外でもつるむほどで、放課後や休みの日は二人でライブハウスへ行ったりもする。


 彼らがよく行くライブハウスに集まる人間は少々ガラが悪く、タトゥー、ピアスを大量につけているような者が多かった。


 また、喫煙者も多い。


 二人もそれに影響され、未成年ながら喫煙の習慣ができ、ライブの打ち上げに参加するうちに、なんのためらいもなく酒を飲むようになった。


 今も、二人は昼間の道を歩きながら、堂々とビール片手にタバコを吸っている。


 この無法状態となった今の世の中で、彼らに注意するような大人はいなかった。


 いや、本来ならいたのだが、勇正高校は生徒会長の方針で子供の地位が高いため、誰も注意できなくなってしまったのである。


「飯とかあんま食えねぇのはウザイけど、正直楽になった部分はあるよなぁ。これとか」


 三村がビールの缶をゆらしながらそう言うと、一ノ瀬がニヤっと笑いながら答える。


「そうだね。もうずっとこのままでいいや。調子のった大人も最近減ってきたし」


「減ってきた?」


「……減らしたとも言うね」


「アッハッハッハッ!」


 二人はこらえきれないとばかりに大笑いした。


 彼らは、世界の声が聞こえる前の時点で犯罪者だった。


 その時はまだ、未成年の飲酒、喫煙程度である。


 しかし、世界の声が鳴り響いて以降、多くの普通の人々の心にあった何かが壊れてしまったのと同じように、三村と一ノ瀬も壊れた。


 きっかけはささいなことで、二人の喫煙を見つけた教師がタバコを取り上げたというものだった。


「未成年のおまえらにはもったいない! 俺が代わりにもらっといてやる」


 教師の最期の言葉はそれだった。


 その言葉を聞いた三村が最初に教師を殴った。


 それを見た一ノ瀬は何も深く考えることなく、横から教師に蹴りを入れた。


 二人の頭にあったのは「もうどうでもいい」という投げやりな考えで、その後にどうなるのかは何も考えていなかった。


 ただ、「世界が壊れたのであれば、もう遠慮することはないだろう?」という、素直な気持ちにしたがった。


 そのままエスカレートしていった暴力は教師が死ぬまで続いた。


 それから教師以外にも気に入らない人間を数人殺してきた二人を止めるものはいなかった。


「あ! いいこと思いついた」


「なになに?」


 ぶらぶらと歩いていると、三村が突然大きな声を出した。


 一ノ瀬は飲みきったビール缶を、ちょうど近くにあった民家の庭に投げ込みながら相づちを打った。


「いやさぁ、あの指名手配されてるやついたじゃん? なんだっけ……」


「あぁ、鬼になるとかいうやつ?」


 二人が思い出してえるのは、不動カルタの顔写真が載った手配書である。


「そう。オレらが今まで殺した奴らだけど、あいつのせいにすればいいんじゃね?」


「は? ……あー、そういう。なるほどね!」


「な? 名案だよなぁ?」


 二人は今までに殺してきた人間をリストアップしながら勇正高校へかえっていった。




 校長室では、この学校で一番良い椅子にふんぞりかえった豪徳寺アキラが三村と一ノ瀬を部屋に迎え入れていた。


「どうしたんだ? 二人がこの部屋に来るのは珍しいな。なんだ、もしかしてまた殺したのか? ほどほどにしといてくれよ」


 やたらとニヤニヤしている二人の顔をみた豪徳寺は、眉をしかめて、めんどくさそうな顔でそう言った。


「ちがうちがう! いや、似たような話なんだけどよぉ」


「なんだ、さっさと言え」


 三村は、さきほど考えた、殺しの責任をカルタに押しつける案を説明した。


「それはいいな! お前ら以外にも、殺しをやる生徒が増えてきていたからな。さすがに派手にやりすぎて勇正の悪評がひろがるのはめんどくさいと思っていたところなんだ」


「だろう? どうせあの鬼野郎も人殺しなんだろ? じゃあ全部あいつのせいにしちまえばいいよ」


「あぁ、あの男、さんざんうちの人員を殺しておいて『もう追うな』なんて言ってきやがって……。すぐにうちの人員が殺した人間のリストを作らせよう。すべてあいつにつけ払いさせてやろうじゃないか」


 ニヤりと笑いながら、豪徳寺は二人の提案に、おおいに満足したようだった。



 その日、勇正高校ではヒヤリングが行われ、今まで生徒たちが殺した人間の数や名前の情報が集められた。


 計19名の死者の名前が、不動カルタの指名手配書に追加で記載され、街中に貼り出された。


「うわっ、この人20人も殺してるの!? 大量殺人鬼じゃん!」


「鬼になるらしいよ。まさに殺人鬼だね……」


 と、単純に怖がる人もいれば、


「おい、聞いたか、適当に人殺しても、こいつのせいにできるらしいぜ」


「まじかよ! ラッキー、おれも一人殺したいやついたんだよね」


「免罪符だなこれ」


 と、便乗してますます悪行をかさねていく者もあらわれた。


 いずれにせよ、この街に不動カルタは殺人鬼だという情報がひろがりはじめていた。

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