第9話


 誰もいない道を歩いていると、どこからか聞きなれた、それでいて久しく聞いていなかった音が聞こえてきた。


「車……?」


 エンジン音である。

 世界の声が聞こえて以降、車を持っている人は当然車で逃げようとした。

 当然、同じように考えた人々が運転する車で道は渋滞した。


 渋滞した車列は、モンスターたちにとって良いおもちゃであり、ただの餌場えさばでしかない。

 軽くて安い車から窓やドアを突き破られ、車内は蹂躙された。

 中にいた人間は、赤ちゃんに与えられた人形のように乱雑に扱われた。

 破られ、口に入れられ、飽きたら捨てられる。


 そんな地獄絵図が繰り広げられたものだから、すぐに車はダメだと判断し、道路のそこかしこで乗り捨てられて放置されている。放置車両の中には、救急車やパトカーまである。


 あえて放置された車以外にも、事故で電柱に突っ込んだまま放置されていたり、炎上したままになっていたりする。

 そんな車自身が障害物となってしまった道は、すでに運転して通り抜けるのが難しい状態になっている。

 ひっそりと息をひそめて、タイミングを見計らっていた人々も、そんな道路を車で通り抜けることができず、結局車を乗り捨て、障害物を増やすだけの悪循環におちいった。


 そんな世界の中で、めずらしく車のエンジン音が鳴り響いているのだ。しかも、よく聞くと、その音はどうやらこちらに近づいてきている。

 カルタは振り返って、車を待ちながら、『いったいどうやってここまで来たんだ?』という現実的な疑問と、『もしかして、助けてもらえるかもしれない』という非現実的な希望を胸にいだいた。

 

 50メートルほど離れた曲がり角からあらわれたのは黒塗りのベンツ車であった。

 一目見て高級そうなピカピカの車体――は、過去のもので、いたるところが傷だらけになって、ベコベコにへこみまくっていた。


「もしかして、馬力と頑丈さに任せて、無理やり押しのけてきたのか……?」


 あきれた様子でボコボコのベンツをながめていたカルタだったが、人間とからむとまた面倒なことが起きそうだと思い、逃げようとした。

 しかし、時すでに遅し、ベンツは障害物のなくなったこの直線で急にスピードをあげて、逃げようとしたカルタの横までやってきた。


「おい、止まれやにいちゃん!」


 助手席の窓を開けて怒鳴り声をあげたのは、スーツを着て色つきの眼鏡をかけた強面こわもての男性であった。

 黒塗りのベンツの時点で察するべきだったが、どう見てもヤクザである。

 細い路地に逃げるか? と迷っていたすきに、車から一人の若い男性が降りてきた。

 その男は白いジャージを着ており、ヤクザには見えない。せいぜいチンピラだった。

 ヤクザの舎弟というやつだろうか? とカルタが考えていると、男がカルタの胸倉をつかんだ。


柏木かしわぎさんが止まれって言ってんだろ! 動くんじゃねぇ!」


 ――予想をはるかに超えて面倒くさいことになったな……。


 カルタは苦い顔をしながら、「なんか用ですか?」と言った。

 チンピラはそれを聞いて怒りながら、「いい度胸してんじゃねぇか!」と叫んだ。


「まず手を離してください。話は聞くんで」


 カルタはいったん手を出さずに会話だけで解決しようと試みた。

 ジャージのチンピラはそれに不満げだったが、車の中から柏木が「高橋! 手ぇ

離せ」と言い、チンピラはすぐそれにしたがった。


 柏木は窓から顔だしながら、カルタの持っている金棒を指さした。


にいちゃん、いいもん持ってるじゃねぇか」


 カルタは彼が何を言いたいのか理解しつつ黙っていた。


「そいつを渡してもらおうか」

「……いやです」


 柏木はふところから銃を取り出して、カルタにそれを見せた。


「兄ちゃん、これが何かわかるかい? これに勝てると思うかい?」

「そんなもん見せられても、いやなもんはいやだってば」


 カルタは少し語勢を強くして言った。

 それに対して、柏木ではなくチンピラのほうが反応した。


「お前、近藤組なめてんのか!」


 近藤組というのは、最寄り駅近くに事務所をかまえているヤクザだと聞いたことがあった。

 見せかけだけじゃなく本当のヤクザだったのか、これはまずいな、とカルタは思い始めた。


「ちょっと黙ってろ高橋。兄ちゃん、別にそれを奪おうってわけじゃねぇんだ。殺すつもりもない。ただ、素直に渡せばすむ話だろう?」


 ――それは、奪うってのと変わらないだろう。


 カルタは心の中で毒づいたが、口には出さない。


「こっちだって、バケモンがうろちょろしてるこんなとこに、いつまでもいたくないんだ。あと一分やるから、よーく考えて答えな」


 柏木のその言葉にカルタは少し感動した。


 ――やってることは横暴だけどさ、まだ対話をしようという意思があるだけ勇正高校のやつらよりましなんじゃないか!?

 ――いやいや、感覚が麻痺してるな。


 横暴に対する怒りが、感動によって少し薄れてしまったが、あらためて考えてもやはり金棒を渡すわけにはいかなかった。


「一分たったな。どうだい、答えは出たか?」

「ああ、悪いがこれは俺の生命線だ、渡せない」


 それまで余裕の表情でいた柏木が急に真顔になり怒鳴った。


「高橋!」

「ういっす!」


 高橋チンピラの拳がカルタの顎をとらえた。

 それは一瞬の早業で、カルタはまったく反応できなかった。

 脳を揺さぶられてそのまま膝をついたカルタにむかって柏木は冷たい目を向けた。


「そいつはボクシングやってたからなぁ、なかなか強いぞ」


 ――ボクシング……それでか……はやすぎて全然拳が見えなかった。

 ――っていうか、体に力が入らない! これがノックダウンか……。


 金棒はカルタの手から離れ、ガランゴロンと音をたてながらアスファルトの上を転がった。

 それを高橋が拾う。


「重っ……!? なんだこれ……」


 高橋は金棒の予想外の重さに驚いた様子を見せつつ、それを車の後部座席へのせた。


「兄ちゃん。ヤクザなめすぎじゃねぇのか。こんなバケモンだらけの無法地帯になっちまった世の中じゃあ、警察よりヤクザが強くなるのくらいわかるだろう?」


 柏木はまた余裕の表情に戻り、さとすようにカルタへ言葉を投げた。


「返せよ……金棒……クソッ、体が……」

「高橋、車出せ」

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