第3話
2030年11月4日 14時ごろ
不動カルタは神代山を降りて、ふもとの村までたどり着いていた。
相変わらずゴミ袋だけを腰に巻いた原始人ルックのままである。
足の裏に何度か強い痛みを感じたが、確認しても不思議とケガ一つなかった。
それに、一気に山を降りて来たのに体が少しも疲れないことも不思議だった。
階段や山は、登るときに脚が辛くなると思いがちだが、降りるときもかなり脚を酷使する。
運動不足気味のカルタであれば、すでに脚がぷるぷると痙攣していてもよさそうなものだった。
脚だけでなく、以前から痛かった肩や腰の痛みまでなく、全体的に体の調子が良い。
それに妙に頭もスッキリしている。
記憶を失うと頭がスッキリするのかもしれないな、とのんきなことを考えているうちに、彼はようやく民家を見つけた。
ほぼ裸のまま村をねり歩くことはさけたかったので、村の入口から一番近い民家で声をかけた。
「すみませーん! 誰かいませんかー」
玄関のチャイムを鳴らしながらしばらく待っていると、家の中からドタドタと走るような足音が聞こえてきた。
「やたら元気な住人だな。とにかく服だ。このさい女性ものでもいいから、着るものをくれ……」
ドアの前でカルタがぼやいていると、目の前にあるドアではなく、すぐ横にある大きな窓をつき破って老人が飛び出してきた。
「うわぁ! だっ、大丈夫ですか!?」
喧嘩か、強盗か、わけがわからなかったが、とにかく助けないといけないと感じたカルタが近づいてみると、その老人は妙に顔色が悪かった。
顔面蒼白だとか、
しかも、老人は上半身が裸だった。
腰巻のようなものだけを身に着けており、くしくもカルタと同じ原始人ルックである。
と、その時、突然、老人と思えないほどの勢いで立ち上がったその人物の顔を見て、カルタは、それが老人ではなくモンスターであるとようやく気がついた。
「ゴブリン!?」
「グギャギャ」
漫画やゲームではお馴染みの雑魚キャラ。
身長は150㎝くらいで、全身の肌が緑色の小鬼みたいなもので、角はない。
カルタは目の前にいる化物がゴブリンだという確証はなかったものの、おそらく間違いないだろうと判断した。
ゴブリンはいきなり、その両手でカルタの首をつかみ、絞め殺そうとしてきた。
カルタも首を絞められながら、必死にゴブリンの顔面を殴ったが、今まで喧嘩などしたことのない彼のパンチはへなちょこで、ほとんど効いていないように見えた。
ゴブリンは最初、怒ったような表情をしていたが、カルタが弱いことに気づいたあとは、ギヒギヒと笑っている。
「うがあぁぁ!」
息が苦しくなり、このままでは本当に死んでしまうかもしれないと感じ始めたカルタは、そこまで来てようやく本気を出して叫びながら、体ごとゴブリンに飛びかかった。
力はゴブリンのほうが強かったが、体重はカルタのほうが重かったようで、ゴブリンはあっさりと後ろに倒れた。
倒れた拍子に、ちょうど玄関の石段で頭をぶつけたようで、そのまま動かなくなった。
「し、死んだ? に、にげ、逃げないと」
戦闘に必死で、いつのまにか腰からはだけ落ちたゴミ袋をその場に残したまま、カルタは走り去った。
なぜか誰もいない村の中を、裸で全力疾走していたカルタは、前方に人影が見えるのに気づいた。
またゴブリンかもしれないと考えて一瞬立ち止まりかけたが、どう見てもしっかり服を着た人間だったので、安心しながら近づいた。
そこには高校生くらいの男子三人組と、少し離れたところで地面に座り込んだ老婆が一人いた。
「たすけてくれ! なんかゴブリンみたいなやつがいたんだ! おそわれた!」
「はぁ? そりゃいるだろうが……ってか、なんでこいつ裸なの? うけるんだけど」
耳にたくさんピアスをつけた男子高校生がそう言ったのを聞いて、カルタは自分が全裸であることに気づいた。あわてて股間を手で隠す。
「この村で生きてんの、あとこいつだけなんじゃね? とっととこのババァ殺して、次はこいつにお前のスキル使ってみろよ」
ピアス男が、横にいた坊主の男にそう言うと、坊主頭は右手を空中にかざした。
そして、何もない虚空からなにかを取り出すような仕草をすると、いきなりトゲ付きの金属バットのようなものが彼の手にあらわれた。
カルタは目の前で何が起きたのかわからなかったが、坊主頭がブンブンと素振りをする音を聞いて、少なくともあの鬼の金棒のような物が幻覚ではなく確かに存在しているらしいということだけは理解した。
「そうだな。こんなババァにスキル使ってもおもしろくねぇと思ってたところだ。ちょうどいい獲物があらわれてくれたぜ」
坊主頭が金棒を肩にかついで老婆のもとへ歩いていくのを見て、カルタは嫌な予感がした。今から目の前で何が起こるのか、そしてそれに関わることによって自分に何が起こるのか、頭で理解するより先に、彼は老婆の元へ走りだした。
走りながら、一歩ふみだすごとに、現実を理解し、後悔がつのりはじめる。
――無理だ、勝てない、やめたほうがいい。
――そもそもあのお婆さんなんかどうでもいい、自分の命が大事なんだから。
――じゃあなんで今俺は走ってる?
――走りだしてしまったからだろ!
「このスキル『
坊主頭が興奮して叫びながら金砕棒を振りかぶる。
まさに野球選手がバッターボックスに立っているかのような姿勢で、老婆の頭を狙っていた。
「なにやってんだ!」
カルタもやけくそに叫びながら老婆にタックルをするように飛びついてかばった。
カルタの耳に、ブォン! という音がやけにはっきり聞こえたかと思った次の瞬間、彼の背中に熱湯と氷水を同時にかけられたかのような痛みが走った。
「ぐあぁぁぁ!」
「ひぃぃ! あんたぁ! あんた大丈夫かい!」
老婆にかけられた声に反応する余裕はなかった。
全裸であるカルタの背中から吹き出た血は、服などにさえぎられることもなくボタボタと地面に流れ落ちていった。
――あぁ……これは……この傷はヤバイやつだ……無理だこれ……。
――俺は今日ここで死ぬのか? 俺の人生、終わり?
――なんで見ず知らずのお婆さんを助けたんだろう……こんな人どうでもいいのに。
カルタは痛みに耐えながらそのようなことを考えていた。
「うわっ、えっぐ。やっぱそのスキルはんぱねぇな」
「だろう? しかし、こいつもアホだな。順番を待ってればちゃんと殺してやったのに」
カルタは坊主頭たちが笑いまじりで話す声を聞きながら、自分の背中がだんだん麻痺してきたことを感じていた。
痛みすら感じなくなるというのは、いよいよ自分は死ぬということだろうか、とも思ったが、何かがおかしい気もした。
あまりに痛みがなさすぎるし、背中から流れ落ちてくる血も止まっているように感じるのだ。
というか、現在進行形で傷が治っていくような、むずがゆい、妙な感覚がある。
「は? おいタケシ! あいつの背中治ってねぇか?」
「はぁ? まじ、かよ。さっき骨まで見えてたよな……傷がなくなってる?」
カルタはその言葉を聞いて、やはり自分の感覚が間違いではなかったと理解した。
ゆっくりと立ち上がり、おそるおそる背中に手をやると、血でぬるぬるとしてはいるものの、傷一つない、いつもの背中の感触が手に伝わってきた。
「なんだこれ……治ってる!?」
カルタは思わず叫んだが、
「なんだよそれ! お前も適合者だったのかよ……さては隠してやがったな。なんのスキルだそれ?」
「適合者? それにスキルって……なにゲームみたいなこと言ってんだ。もしかして傷が治ったことについて言ってるのか?」
「はぁ? なんなんだお前さっきから話が通じねぇなぁ! この三日間寝てたのかよ」
タケシはひきつった笑いを浮かべながら金棒でカルタを殴った。
タケシにとっては軽く殴った程度であるが、トゲつきの金棒で殴られたカルタからすると冗談ではない攻撃であり、今までの人生で感じたことのない痛みに悲鳴をあげて膝をついた。
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