第4話

 カルタは混乱の極致にいる。


 スキルだのなんだのと、目の前の男が何を言っているのかさっぱりわからないし、なぜ老婆を殺そうとしたのかもわからないし、なぜ自分の背中の傷が治ったのかもわからないし、なぜ今また自分が殴られているのかもまるでわからない。


 適合者。

 スキル。


 それがこの状況に関係するらしいが、オタクでもない見るからに不良な彼らがそんな言葉を現実世界でまじめに語っているのにも違和感があった。

 もし仮に、傷が治った原因が、そのスキルとやらにあるのなら、自分はいったいいつからそんなことが出来るようになったのだろうか?


 あまりに不明なことだらけの状況に、カルタはだんだんとイライラしてきた。

 しかしそのイライラは胸のなかで渦巻くばかりで、そのまま素直に相手にぶつけることができない。

 いつもそうだ。

 内心どれだけイライラしていても、決して表に怒りを出さずに生きてきた。

 自分が悪くない状況で理不尽に責められても相手に言い返すことなく、ヘラヘラと笑ってごまかしてきた。のらりくらりとその場しのぎの嘘で現実から逃げてきた。

 それが彼の処世術である。逃げに逃げて20年間生きてきた。負けに負けて生きてきた。


 この期におよんで、その態度が変わることはなかった。

 既に心は折れている。さきほど老婆を助けるために走り出したときの燃えるような気持ちはもうない。

 のろのろと土下座の態勢を作りながら、口からはごまかしの言葉を吐き出していた。


「お願いです……たすけてください! お金ならあげますからぁ!」


 カルタがそう言うと、男たちは爆笑した。


「だっはっは! 金だって? 全裸じゃねぇか。どこに金を隠し持ってんだよ。ケツの穴か?」

「ひゃっは、それうける」


 お願いします! お願いします! と全裸で土下座をしたまま叫ぶカルタの背中に、またしても金棒が振り下ろされた。


「ぐぁあああっ! い、痛いぃぃ……うぅ……! お、ねがい、します……お願いします、お願いします、お願いします……」


 背中から噴き出した血は、土下座の姿勢をし続ける彼の背中を流れ落ち、顔と地面の間を濡らしていく。

 涙と鼻水と血がまじりあって、地面にたまっていく。


 ――なんで? なんなんだ、この状況は?

 ――俺が何かしたか? 俺が悪いのか?

 ――悪いわけない。悪いわけないだろうが!

 ――憎い……こいつが憎い……憎い!

 ――殺す……殺す殺す殺す……絶対殺す――


 表面上は泣き叫びながらも、カルタの腹の中では、何かが変化していた。確実に、何かが切り替わるような感覚があった。

 彼の脳内も、身体も、まるで炎であぶられているかのように熱をおび始める。


 その炎の名は『憤怒』。


 彼が今までに感じたことがないくらいの激しい怒りが、彼のすべてを支配下に置いた。

 あまりの怒りに頭の中がまっしろになり、『敵を殺す』以外のことを何も考えることが出来なくなった。

 頭に充満した怒りと殺意は強烈な頭痛を引き起こした。


「うがあぁぁぁ!」

「うっわ、なんか急に叫びだしたぜこいつ、頭おかしくなったんじゃね」


 カルタは痛む頭を両手で抱え込んだ。

 チクリと、何かが両手のひらに当たった。

 両目からまっすぐ上、髪のはえぎわあたりに、小さなトゲのようなものが二本生えているような気がした。

 そのトゲはしだいに伸びていき、カルタの手を押しのけて10㎝ほどの鋭い角になった。


 カルタはゆっくりと立ち上がり、自分の頭に生えた角を触って確かめた。

 確かに、そこにある。

 ふいに、自分の手が真っ赤に染まっていることにも気づいた。

 最初、それが自分の背中から出た血で赤く染まっているのだと思ったが、どうも違う。

 まるで刺青でもほどこされたかのように、皮膚自体が全体的き赤色に染まっているのである。

 赤いのは手だけではなく、足もお腹も、体全体が赤色につつまれているようだった。

 赤い体の中で目立つのは、真っ黒に染まった爪の色。

 手足の爪が黒く、長く、鋭く変化している。


 ――角が生えて、爪もとがってて、全身が赤いなんて……鬼か? 鬼になったのか、俺は。


 頭の中で強烈に暴れまわっている怒りさえなければ、自分の身体におきた異変に混乱していたことであろう。

 しかし、今、カルタは冷静だった。

 その全身を焼き尽くすかのような怒りが、答えを教えてくれていたからである。


 ――あぁ、この体を使えばいいんだな。

 ――あいつを……俺の敵を、殺すために。


 カルタは目の前にいる二人の男達をギロリの睨みつけた。

 男たちはうろたえる。


「こいつ……人間じゃなかったのかよ」

「鬼のモンスターがいるとか聞いてないぞ、おい」

 

 ――これと、これを、殺す。


 鬼の腹は決まった。


 ことに移る前に、ちらりと周りを見渡した。


「ひぃぃ」

「僕は何もやってない……僕は何もやってない……」


 腰を抜かしたように悲鳴をあげる老婆と、今までピアスと坊主の後ろにいて何も喋らなかった茶髪の男子高校生の姿が見てとれた。


 ――これと、これは、どうでもいい。


 自分が何をすべきか確認した後、鬼は「ガァ!」と短く叫び、一足飛びで坊主頭タケシの元へたどり着いた。


「待っ……」


 タケシが何かをいう前に、鬼はその鋭くとがった爪で相手の喉を握り潰し、そのままの勢いで首をへし折った。

 タケシは断末魔すらあげずに、息絶えて、地面に打ち捨てられた。


 鬼は、タケシが手に持っていた金棒を奪い取ると、まるで小枝でも振るかのように片手でそれを軽く振り回した。

 振り心地に満足した鬼は、そのままの流れで、ごく自然に、ピアス男の胴体をなぎ払うように金棒を振るった。

 ピアス男は、不意打ちにまるで反応できず、ゴシャリと何かが潰れる音を鳴らしながら、吹き飛んだ。

 ピアス男は地面でのたうちまわりながら、「ゴボッ……ふざけんな……嘘、嘘だから! ゆるじて……くれ」と消え入りそうなこえで鬼に懇願こんがんする。


 鬼は一度立ち止まり、ピアス男の目をまっすぐに見つめ、少し首をかしげた。

 しばし考えるふうな様子を見せたものの、結果はかわらず。

 風切り音を鳴らして金棒を振るい、ピアス男の頭を一撃で潰した。


「ガアアアアァ!」


 鬼は唐突に叫んだ。


 生き残った茶髪の男は泣きながら走りさっていく。

 鬼は、男が逃げる様をちらりと見るだけにとどめ、それを追うことはなかった。


 老婆は相変わらず地面に座り込んだまま、放心状態で虚空を眺めている。


 鬼は金棒を肩にかつぎ、空を見上げたまましばし沈黙していた。

 そして、その後、あたりをキョロキョロと見渡し、タケシと呼ばれていた坊主頭の男の死体に近づいていった。

 金棒を地面に置いたかと思うと、おもむろにタケシの服を、一枚一枚丁寧に脱がしはじめた。

 一通り脱がし終えると、今度は、まるで通学前の準備をする人間のように、鬼は服を着用し始めた。

 ズボンを履き、上着をはおり、最後に靴を履いた。


 着替え終わった鬼がちらりと老婆に目をやると、彼女は手を合わせておがみながら何事かつぶやいていた。


鬼神様おにがみさま……あぁ、ありがたや……鬼神様ぁ……鬼神様ぁ……」


 鬼は地面から拾い上げた金棒をふたたび肩にかつぎ、その場から走り去った。




 カルタは鬼の姿のまま村を抜けて、誰もいない道を走っていた。

 数分間、全力疾走しているにもかかわらず、息がきれることはなかった。

 先ほど金棒を振った時にも感じたが、明らかに身体能力が向上している。

 が、ここにきて急にずしりと体が重たくなった。

 手の色が赤から元に戻っているのを見て、自分が鬼ではなくなったのだと気づいた。


 村を抜けて街にたどりついたカルタはモンスターにみつからないようにしながら慎重に歩みを進めていた。

 街は、どこもかしこも荒れており、老婆たちがいたあの山のふもとの村は、むしろ綺麗なほうだったと気づいた。

 このあたりでは、モンスターの死体はもちろん、人間の死体もときどき道ばたに落ちている。


 平時であれば、すぐさま警察や救急車が呼ばれたり、野次馬ができたりするのだろうけれど、今はただ野ざらしにされた死体がぽつんぽつんと存在している。

 モンスターの鳴き声が遠くから聞こえてきたりもするが、人影もなく、車も走っていないせいか街は静まりかえっている。



 このような事態になって泥棒もなにもないだろうと判断し、カルタは適当な民家に侵入した。

 幸い中には住人もモンスターもおらず、ゆっくりと家の中を物色することができた。


 タンスの中には、少しおじさんくさいけれど男物の服があったのでそれに着替えたあと、金棒を入れる袋を探した。

 ちょうどよさそうなサイズのゴルフバッグがあったので、中のゴルフクラブを出し、それらと入れ替えるようにして金棒を突っ込んだ。

 キッチンには、数本のジュースと缶詰があったので、それらもまとめてゴルフバッグのポケットに入れて、その家を後にした。

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