第30話


 井田と生き残った村人たち、それと人間の姿に戻ったカルタは老婆の元に集まった。



「おばあちゃん! しっかりして」



 井田と、老婆に助けられた子供が呼びかけるも、反応は鈍かった。



「……鬼神様おにがみさま……」


「なんだ?」



 カルタは鬼神おにがみという呼び方を否定する気にもなれず受け入れた。



「先に地獄へ行って……待っとりますからなぁ……」


「はぁ? あははっ、なにが地獄だよ。ばあさんは天国へ行けるだろ」


閻魔えんま様に、おねがいして……地獄へ行きますわい……」


 カルタは老婆の表情を観察したが、冗談で言っているようには見えなかった。

 そのしわくちゃの顔の中にあいた小さな穴のような黒い目には、なにか決意のようなものがこめられていた。みずから望んで地獄へ行こうという覚悟が見えた。

 カルタは、「物好きなバァさんだな」とか「何のために行くんだ?」とか「俺が地獄に行くことは確信してるのかよ」とか、いろいろと考えたが、真剣に考えると涙が出そうになったので軽口をたたくことにした。


「はぁ……わかった。俺もそのうち、そっちへ行くだろうから、茶でも飲んで待ってろ」


「ははぁ……」



 身体から空気が抜けるような声を出したかと思うと、眠るようにして老婆は目を閉じた。

 すでに呼吸も、心臓の鼓動も止まっていた。


 井田が涙をながしながら言う。



「足さえ動けば私が……」


「言うな。俺が……俺がバケモノだから……恨みを買っちまったから……奴らは追ってきたんだ。すべて俺が悪い」



 井田は涙をふきながら首を横にふりながら、なにか言葉を探していたが、そのまま無言でカルタに抱き着いた。




 動ける村人たちで死体を一ヶ所に集めて燃やすことにした。


 空を舞う紅葉と火の粉とカラスは、より激しく回り始めた。



 一通り作業が終わったあと、村人を遠くにながめながらカルタは1人村のはずれに来ていた。


 山道をのぼり始める直前で後ろから声をかけられる。



「どこへ行くの?」




 村人が数人集まっていた。


 村人の一人に肩をかしてもらいながらそこにやってきた井田がたずねた。



「また一人で神社に住むつもりなの?」


「ああ。豪徳寺は死んだから当分問題はないんだろうけど……やっぱり鬼が人間と一緒に暮らすのは無理だろう」



 カルタは少し笑いながら自嘲するように言った。



「私もいく」


「その足で山登りはむりだ」


「カルタくんが運んで。お姫様だっこで」



 何をバカなことをとカルタは思ったが、村人たちはダッハッハッと笑ってはやしたてる。



「つれてってやんなさいよ」


「そうだそうだ。これをことわっちゃあ男がすたる」


「あんたらも適当なこと言うなよ。だいいち食うもんすらないんだぞ」



 カルタは村人をとがめるが、村人も井田も、どうやら本気で言っているようだった。



「いままでみたいに鬼神様がときどき村へ来てくだされば、二人ぶんの食料を分けますよって」



「どういうことだ? もしかして、まだこの村に残るつもりなのか? 豪徳寺がいなくなったんだから、勇生高校も少しはまともになるだろう? 全員そこに避難すればいいだろうに」



 今まで合理的判断とやらで老人や病人を避難所から追い出していたのは、すべて豪徳寺の支配体制によるものだったはずだ。


 それが崩壊したのだから、さすがにまともな大人たちによって運営されるようになるだろう。


 わざわざこんな不便な場所で暮らし続ける理由などないのではないかとカルタは考えた。


 村長のような立ち位置の男性が言った。



「みんなで話したんだが、何人かはしばらくここに住むことにしたんだ……ケガ人は避難所へ行ってもらうが、元気なもんは様子を見ながら移りたい人だけ移るってことになった。まぁ、避難所の連中には定期的に食料だけもらえないか交渉してみるし、この村でも野菜とか作っとるから、食料は心配いらん。鬼神様へも食料をお供えしますから……だから今後もこの村を守ってください!」


 男性は勢いよく頭を下げた。それにつられるようにして、村人たちも頭をさげたり、手を合わせて拝んだりしている。



 自分の身ひとつなら、どうとでもなるだろうと考えていたカルタにとって、井田や村人たちの期待は重いものだった。


 しかし一方で、豪徳寺たちに襲われたときのように、自分のいない場所で彼らが傷つくことを想像すると、耐えがたい思いが胸にわきあがってくるのだった。



 たっぷり1分は沈黙していたカルタは全員を見渡しながら言った。



「わかった。俺は神社に住み続けるが、まぁ、たまには降りてくるようにする」


「やったぁ!」


「やったな、井田ちゃん」



 村人は歓声をあげた。


 村人が見送るなか、カルタは山をのぼりはじめた。

 その腕の中では、井田がお姫様抱っこをされて満足そうな表情を浮かべている。

 人間の身体に戻ったカルタにとって、井田を抱っこで運ぶのは決して楽ではなかったが、その足取りは軽かった。




 2030年12月21日 正午




 神代かみしろ神社の手水ちょうずで野菜を洗っている女性がいた。


 赤と白の巫女服を着ており、黒く長い髪がコントラストとなっている。


 赤い袴からは、義足がちらりとのぞいた。


 井田アマネである。



「カルタくんも、今日はちゃんと野菜食べてね」


「俺はいらないって言ってるだろ。スキルのせいで食べなくても健康を維持できるんだから。このご時世じせい、食材は貴重なんだ。それを本当に必要としている人だけが、すなわちアマネだけが食えばいいのであって――」


「はいはい。野菜が嫌いだって正直に言えばいいのに」



 不動カルタも和服を着ている。


 彼はもっと動きやすい服を着たいと思っているのだが、井田のリクエストで半強制的に着せられているのであった。


 彼らは二人でこの神社に暮らしている。


 事務所のような小屋があったので、狭いものの、わりと快適な生活を送っている。


 ふもとの村では、ケガ人たちは避難所へいき、無事に受け入れられた。すでに豪徳寺の影響はないとのことだ。


 残った村人たちは、細々とではあるが村で生活しており、いまのところ問題はおこっていない。



 村人たちは、村の真ん中にほこらのようなものを建てた。そこには『鬼神様』と書かれている。


 鬼神――すなわち、カルタに対して贈り物や手紙などがあればそこにみんな置いていく。


 カルタはほぼ毎日山を降りて、村の近くを見回り、たまにモンスターがいれば狩りをする。


 そして、祠に物があれば山の上に持って帰るのであった。


 今、井田が洗っているのも、そこに置かれていた野菜である。



 と、その時、平和な朝のひとときを邪魔するものがあらわれた。



 森の中から、木の枝をバキバキと折りながら一匹のモンスターが姿をあらわした。


 角を生やした全長二メートルほどの熊である。


 カルタにとっては因縁の相手であった。


 世界の声が聞こえたあの日、この熊に一度殺されたことを思い出し、彼の心に火がともる。



「ひさしぶりだな……まだ生きてたのか。そういや、熊って自分の獲物に執着するんだったか? どうやら俺も似たようなもんらしい……お前は俺の敵だ」



 カルタの心から燃え広がった憤怒の炎は脳天を突き抜け二本の角となった。


 炎は全身を赤く染め、爪と牙を研ぎあげる。


 一匹の赤鬼が生まれた。


 山のふもとの村人から鬼神様と呼ばれるその存在は、黒鉄の金棒を片手で天高く構え、牙をむき出しにして全身に力をこめた。



 角熊は鬼に向かって一直線に突撃する。


 その角で鬼を串刺しにしようという魂胆だろう。


 だか、それはかなわない。



「オラァ!」



 風を切って振り下ろされた金棒は熊の角をへし折り、その勢いのまま頭蓋骨にクレーターを作った。


 子犬のように弱々しいうなり声を一つ残し、角熊は絶命した。



「ふぅ……」


「今夜は熊鍋?」


「ハハッ……しまらないな。俺たちだけじゃ食いきれないし、さばけないだろう? 村に持っていこう」



 二人でそんな会話をしていると、またしても邪魔が入る。



『進捗率25%……アイテムを配布します……完了。適切に使用してください。敵対生物モンスターを再配備します……タイムアウトエラー発生。エラー処理開始……成功。処理の完了した個体から随時配備します』



 世界の声。


 あの日以来、誰ともなしにそう呼ばれ始めた声が再び世界に鳴り響いた。



「また進捗が進んだのか……。アイテムがどうとか言ってたな」


「カルタくん……アイテムって、これのことかも」



 カルタが井田の言葉に振り向くと、彼女の足元に見慣れないものがあるのを発見した。


 黒一色のロングブーツである。

 一見、革製に見えたが、近づいてよく見てみると、金属でできているようだった。


 思わず顔を見合わせる二人。


 今後ますます世界は厳しくなっていきそうな予感が二人の胸を過ぎ去っていった。




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ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

ここでいったん第一章は完結といったところです。


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その鬼が君を殺すまで 川野笹舟 @bamboo_l_boat

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