第29話
その時、静寂を割るような銃声が響いた。
そして、気軽な、ふざけたような声が響く。
「全部外れか。なかなか当たらないものなんだな」
豪徳寺が拳銃をゴミでも捨てるかのように、かたわらに放り投げた。
代わりにポケットから出したメリケンサックを手にはめて、なにか空手の型のようなものを披露した。メリケンサックにはトゲがついており、人を殺せそうな形状をしていた。
「ボクはフルコンタクト空手の関東代表なんだ」
「それで?」
鬼は会話に応じるふりをして瞬時に考えをめぐらせる。
――こいつは命令で他人を操る。
――命令される前に殺す!
豪徳寺が口を開くか開かないかのうちに全速力で走り寄る。
重さを減らしスピードをあげるため、金棒もその場で手放しての全力疾走である。
だが間に合わない。
「命令だ。止まれ」
豪徳寺は余裕の表情を崩さぬまま言いきった。
「ぐッ……!」
鬼はあと一歩というところで急ブレーキをかけて止まった。
――体がいうことをきかない!
豪徳寺はメリケンサックをガチガチと打ち鳴らしながら言った。
「空手の練習に付き合ってくれ……よッ!」
「ギィッ、痛ッ……!」
鬼の顔を引き裂くようにして豪徳寺の拳が炸裂した。
顔に始まり、腹、腕を殴られ、太ももを蹴られ、全身をめった打ちにされた。
「たしかに傷は治るけど、殴った感触は人間とかわらないなぁ。血も赤いし、これじゃあ、ただ角が生えただけのコスプレじゃないか。もっと鬼らしいところを見せてみろよ!」
「うぐっ……クソが……クソが……殺す……殺す、殺す、絶対殺す!」
身体は動かないが口だけは動く鬼は、ひたすら豪徳寺に対する呪詛をつぶやき続けた。痛みをまぎらわせるためと、自分の中で燃える怒りの炎をより燃え上がらせるためである。
普通の人間であれば痛みで失神してもおかしくないほどのケガが蓄積されているものの、スキルの影響か、鬼の意識は明晰なままだった。
むしろ、より感覚が鋭敏になっていくようである。
折れた歯から脳につきぬけていく痛み、折れた腕の骨が皮膚を突き破る感触、ありとあらゆる体液が肌の上を流れていく速度までわかるようだった。
そこで、突然、豪徳寺の動きが止まった。
「うん? いまさらだけど、君の顔、どこかで見たことあるな……記憶力はいいんだよ、ボク」
「はぁ? 知るかよ」
カルタとしては、勇生高校の門で少し顔を見た程度で、それ以前に会ったことがないつもりだった。
豪徳寺はメリケンサックで自分の頭をコツコツと叩きながら記憶をたどる。
「そうだ! 君、コンビニの店員だろ? うちの高校の近くの」
その通りだ、とカルタは心のなかで認めた。が、口には出さない。
反応のないカルタにかまわず、豪徳寺は続けた。
「コンビニなんてあんまり使わないけどさ、通りかかるときに店の前を掃除してる君を見かけたことがある。あぁ、なんてみじめなんだろうって思ったよ、そのとき。おい、聞いてるかい?」
アッパーカットでアゴをくだかれた鬼は悶絶しながらも、しっかりと豪徳寺の話を聞き続けた。
「ぱっと見でわからないけどさあ、君、もう学生じゃないだろう? いい大人がコンビニのアルバイトをしてるんだよ!? みっともない! なんでそんな馬鹿みたいな仕事してるんだろう? あぁ、馬鹿だからそんな仕事しかできないのかぁって妙に納得しちゃったよ」
自己再生能力により、アゴの痛みが少しずつ引いていくのと入れ替わるようにして、鬼の体の中では怒りの温度が上昇していく。
「コンビニ店員のなにがいけない!」
「はぁ?」
「お前だってコンビニを利用してるじゃないか。俺はたしかにバイトだけどなぁ、社員だっているし、めちゃくちゃいろいろやることがあって大変なんだぞ! それに――」
「聞いてない」
鬼を黙らせるようにして、真正面から口にこぶしが叩きこまれた。
「……ッ!!」
「たしかに大変だろうね、神様気取りの馬鹿な客にペコペコしながら生きるのはさぁ。ボクには無理だね、馬鹿なやつに頭を下げるなんて、死んでもごめんだ。馬鹿な方が頭を下げるべきなんだよ。そうだろ? 頭が高いよ、君」
豪徳寺によるかかと落としが炸裂し、鬼の脳天には雷が落ちたような衝撃が走った。
意識が飛びかける。
――馬鹿な方が頭を下げるべき、か。同意するよ。本当にそうだよな。
――仕事中に限らず、俺はペコペコ頭をさげすぎなんだよ、よくわかってるじゃないか豪徳寺。
意識が薄れたせいか、カルタは、より深く自分の内面に潜っていく。
走馬灯のように過去の記憶が頭の中でいくつも再生されていく。
そのどれもが彼にとって嫌な記憶だった。こういうときって、いい思い出が流れるんじゃないのか? とげんなりしながらも、古い記憶から順に再生される映像の断片を他人事のようにながめていた。
例えば、小学生のころ、もう原因も忘れてしまったがカルタはいじめをうけていたことがある。
顔にボールを当てられたり、物を隠されたりと、今思えばそこまでひどいものではなかったけれど、そのころの自分は「なぜ?」と困惑しながらも、反抗する勇気は無く、ただへらへらとその状況を受け入れていた。
――なぜ、あのとき「嫌だ、やめてくれ」と言えなかったのだろう。
――ガキだった俺に対して言いたいことは一つ、「怒れよ!」それだけだ。
例えば、高校生のころ、街を歩いているときに、目が合ったというだけでガラの悪い大人にからまれたことがある。
細身で、そこまで背が高くないカルタと比べ、相手は大男だった。ただそれだけで、喉はしめつけられるように縮こまり声が出なかった。
結局、頭を軽くはたかれた程度で見逃してもらったが、その屈辱と怒りは今も忘れていない。
――なぜ、あのとき喧嘩を買ってやらなかったんだろう。
――大ケガ覚悟でも言い返してやればよかった。
例えば、コンビニでバイトをしているとき、いつも機嫌の悪い客がいた。
タバコだけを注文する客で、まだ銘柄を覚えていない新人が対応に少しでももたつくと、舌打ちをする。代金も放り投げるように渡す。
カルタも新人だったころ、その客に舌打ちをされたあげく「遅ぇんだよ」と毒づかれたことがある。
もちろんカルタはぺこぺこ頭を下げながら「申し訳ありません」と口にした。
――ムカつく……いまだにムカつく……。
――怒れよ……怒れよ、俺!
――「うるせぇカス! うせろ! 二度と来んなボケ!」とでも言えばよかった。それでクビになったらそれまでだ。そこまでしてしがみつく仕事でもないし。
――クソクソクソクソクソ……! クソが! どいつもこいつも馬鹿にしやがって!
これは不動カルタとしての人格なのか、鬼の人格なのか、もはや自分でも判断がつかなかった。
ともかく、彼の頭も体も心も、赤い怒りの炎に燃やし尽くされていた。
怒りにより明晰な意識をとりもどした鬼は、ふと違和感に気づいた。
――ん? 俺の腕が動いている気がする……。
――気のせいじゃない! 動くぞ!?
先程まで微動だにしなかった体が少し動かせるようになっていたのである。
1ミリ……1センチ……と、少しずつ腕を移動させ、ついにガードの構えを取った鬼。
――さっきから頭がおかしくなりそうなほどイラついてるが……俺の憤怒が相手のスキルを上回ってるのか?
豪徳寺もさすがにそのおかしさに気づいて動きを止め、問いかけた。
「なぜ動ける。スキルか?」
「さぁな」
「チッ……。命令だ、スキルを使うな!」
使うなと言われて止められるならとっくにやっている、と自嘲した鬼であったが、その思いに反して、体に変化があらわれた。
「ふん。変身タイムは終わりだな」
「は? まじかよ……」
人間のものに戻った自身の腕を見て驚愕するカルタは、殴られる痛みによって我に返った。
また動けなくなったカルタは好き勝手打たれる痛みに耐えながら考えをめぐらせていた。
――せめて金棒があれば一部分だけでも守れたんだが、ミスったな。
「ハッハッハッ! 鬼にならなくても真っ赤じゃないか」
血だらけになったカルタをあざ笑う豪徳寺だったが、その顔は少々ひきつっている。
「鬼じゃなくても傷は再生するのか……気持ち悪いやつめ……死ね……死ね……死ねぇぇ!」
豪徳寺としてはスキルさえ使えば相手が誰であろうが余裕で倒しきれる想定だったのだろう。むしろ暇つぶしに遊んでやるというくらいの気持ちだったかもしれない。
しかし、いつまでたっても殺しきれないカルタを目の前にして、いつの間にか余裕がなくなり始めているように見えた。
カルタは声もあげず自身の心のうちに目を向けていた。
――痛みが麻痺してきた……眠い……意識が飛びそうになってる……。
――俺はここでなにをしていたんだったか……なんでこいつに殴られてるんだ……?
カルタは閉じかけていた目に力を入れて開き、豪徳寺の顔を凝視した。
「チッ……その目で、ボクを、見るな!」
さらに勢いをまして殴り続ける豪徳寺。
――こいつは俺を殴り殺そうとしている。
――なぜなら、こいつにとって俺が敵だからだ。
――そして、俺にとってもこいつは敵なんだよな? それはそうだ、これだけ一方的に殴られてるんだから。殺そうとしてるんだから。
――こいつが俺を殺そうとするなら……俺もこいつを殺していいってことだよな?
ふと風が吹いた。
その風はカルタの心の奥で、灰の下でくすぶっていた炎を呼び覚ました。
――こいつは? 敵だ。
――敵は? 殺す。
――敵は? 殺す!
――殺す……殺す……殺せ!
未だにスキル『憤怒』は発動せず鬼の姿には変化しない。
だが、まどろみの中、急に叩き起こされたかのようにカルタの体はビクンと一度大きく動いたかと思うと、再び自由を取り戻したのである。
「なに!? スキルを使うなと命じていたはずなのに、なぜ動ける!」
「知るかァ!」
勢いよく殴りかかるカルタであったが、鬼の身体能力もなく、格闘技の経験どころか喧嘩の経験すらなかった彼のパンチはかすりもせずよけられた。
カルタが何発も殴られ、やっとこさ繰り出した拳は豪徳寺によけられる。
そしてまた何度も殴られる。
殴られる、よけられる、殴られる、よけられる。
その繰り返し。無限ループしているような光景な変わらないまま数分間続いた。
だが、カルタが鬼ではないように、豪徳寺もまたただの人間である。
じょじょに変化があらわれた。
豪徳寺の殴る回数が減り、カルタの拳がかすり始める。
「ハァ……ハァ……死ねよ……ハァ……ゲホッ……」
一方的にハイペースで殴り続けていた豪徳寺の体力に限界がおとずれようとしていた。
カルタは再生能力のおかげなのか、まだ体力に余裕がある。
じょじょにすうせいは傾き始め、カルタの優勢になる。
――効いてる! いける!
とうとうカルタの拳が豪徳寺の顔をまともに打った。
「クソッ!」
不利を悟った豪徳寺はプライドを捨て、守りに入った。
息を整えながらカルタの攻撃を確実によけることだけに専念し始めた豪徳寺はさすがというべきか、まともな打撃をくらうことなくしのいでいく。
ふたたび苦戦し始めたカルタは、状況を打開するために一度心を落ち着けて相手を観察することにした。
すると、豪徳寺が攻撃をよけながらもしきりに周りに視線をやっていることに気づいた。
――なんだ? フェイクにしては不自然だ。こいつが逃げ道を探すわけはなさそうだし……まさかまだ仲間がいるのか?
隙をさらすことは覚悟の上で、豪徳寺の視線の先をちらりと見ると、そこには生き残った村人が数人集まっていた。
井田や老婆もそこにまざり、カルタと豪徳寺の戦いを心配そうに見ている。
――なんで逃げてないんだ!?
カルタが視線を戻すと、豪徳寺はニヤリと笑ったかと思うと、突然叫んだ。
「そこの女! 命令だ! こいつを殺せ!」
豪徳寺の視線の先にいたのは井田。
井田はピクリと一度硬直し、カルタに向かって走り出した。
しかし、数歩走ったところで派手に転んでしまった。
そもそも彼女の義足は競技用のものでもないため、走るのは苦手である。
彼女も普段から走る練習などしていない。
いくら命令されてもできないことはできないのである。
彼女は立ち上がろうとしたが、義足が壊れてしまったのか、足から外れている。
「くそッ、使えない! おいババア! おまえがこいつを殺せ!」
次に、豪徳寺は老婆に命令を出した。
しかし老婆は動かない。
「な!? やつもスキル持ちか?」
「耳が遠いだけだろ」
カルタはそう言いながら豪徳寺に蹴りを放つ。
スキルがうまく使えなくて動揺していた豪徳寺はもろにくらい、ついに膝をついた。
「くそッ、どいつもこいつもバカにしやがって! もういい……そこのガキ、お前が殺せ!」
以前、カルタがたまたま助けた子供が、まるで遊びでも始まったかのように無邪気に走り出した。
その向かう先にいるのはカルタである。
「いかんよ!」
まっさきに反応したのは老婆だった。
老婆は豪徳寺たちの声が聞こえていなかったものの、戦闘中の二人に近づく子供にはすぐに気がついた。
血の繋がりはないが大切な村の一員である子供を守ろうと、老婆はおぼつかない足どりながら走り出した。
だがそのスピードは子供が走るはやさの半分にも満たず、老婆が追い付く前に子供はカルタのもとまでたどり着いてしまった。
それに合わせて、豪徳寺はニヤニヤと笑いながら、ちゅうちょすることなしに拳を振り上げ、子供を狙うような動きを見せた。
「危ない!」
とっさに子供を抱きしめてかばったカルタの背中にメリケンサックのトゲが突き刺さる。
子供を守り続けるカルタの背中を何度か攻撃した豪徳寺だったが、カルタは必死に耐えている。
「ヒーローごっこが好きだな君は! だったらこれなら!?」
豪徳寺はカルタを回り込んで、またしても子供を直接攻撃しようとした。
カルタは体を反転させてかばうつもりだった。が、体が動かない。
豪徳寺のスキル『傲慢』の影響というわけではなく、背中への連続攻撃の影響で、脊椎を損傷したのだ。一時的に半身不随のような状態になり、体のコントロールを失った。
もちろんスキル『憤怒』による再生能力のおかげで、すぐに回復するだろう。
だが、この状況での一秒二秒は致命的に大きかった。
彼の脱力した手をするりと離れた子供に豪徳寺の拳が直撃する、かのように見えた。
だが拳に打ちすえられたのは老婆であった。
遅い足で駆けつけた老婆が、ついにたどり着き、倒れこむようにして子供と豪徳寺の拳との間に入り込んだのである。
グシャリ、と嫌な音をたてて老婆の背中に突き刺さるメリケンサック。
「邪魔なババアめ! ……いや、こいつでもいいか。どうだ、ヒーロー、おまえのせいでババアが怪我をしたぞ? しょせん、お前は誰も守れないんだよ」
豪徳寺は満足げに笑いながらカルタを見た。
カルタは地面に倒れて動かなくなった老婆を見た。その瞬間、髪が逆立つほどの炎が足元から吹き上がり、カルタの全身をつつんだと感じた。
それほどの怒りが彼の身体をつつんだのである。
肌の今を見るまでもなく、角を触るまでもなく、カルタは今、自分が鬼であることを理解した。
「……おい、なんだその姿は? なぜお前のスキルが発動する? オレの
「お前は、今、ここで死ぬ」
「バカな……バカなこと言うな」
「安心しろ。いたぶる趣味はない。死んだ後、地獄で鬼にかわいがってもらえ」
鬼は金棒をきしむほどきつく握りしめ、高く振り上げた。
ゆっくりと垂直に振り上げられていく金棒を、豪徳寺は血走った目で見つめていた。
金棒と、憤怒の表情を浮かべた鬼とを交互に見ながら、豪徳寺は必死に叫ぶ。
「命令だ! 殺すな! おいっ、命令だ……命令だぞ……これは命令なんだ……そうだ、君はボクの命令にしたがう……なぁ、そうだろう? 命令……命令、命令! その金棒から手を離せ! ボクを殺すなんて、ありえないだろう!? なぁ、殺す――」
鬼は地球ごと割り砕くほどの勢いで、金棒をまっすぐに振り下ろした。
金棒は、ガードのためにあげられた豪徳寺の両腕をへし折り、カシャンッという音をたてて
鬼は長い間、残心したままであった。
豪徳寺が、万が一動き出さないか慎重に見極めているのだった。
しかし、確認するまでもなく、彼の肉体は破壊されつくしていることも理解していた。それこそ、鬼と同じくらいの再生能力がなければ、再び動き出すことはないだろう。
鬼はようやく長い息を吐いて残心をとき、金棒についた血を振り払ったあと、空を見上げた。
風に舞う
それらが、ぐるぐると回りながら、空高くのぼっていくのが見えた。
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