第11話
ヤクザとの遭遇によって当初の目的を忘れかけていたが、カルタはまた元の目的地へ向けて歩いていた。
彼が今一番手に入れたいものは自身の記憶である。
頭だけ使ってうんうんと唸っていても、いつまでたっても思い出せないので、記憶を失った現地まで行き、そこで何か手がかりを探してみようと考えたのだ。
――山頂の神社まで行けば何かを思い出すかもしれない。
彼は次の目的地を神代山と決めて歩き始めた。
自分の住んでいた街がゴーストタウンになってしまっているのを見るのは不思議な気分であった。
道には死体も落ちているし、そこかしこで車が事故を起こしたまま放置されている。
ひどい光景ではあるが、意外とカルタはショックを受けなかった。
むしろ、このようになっても、この街に愛着のひとつもない自分の冷たさにショックを受けたくらいだった。
モンスターにも人間にも会わないように注意しながら移動していたカルタだったが、コンビニの横を通りすぎようとしたタイミングで店内から出てきた女の子と目が合ってしまった。
硬直し、見つめ合う二人。
少し癖のあるボブカットと軽く日焼けした顔が活発な印象のあるその女性は高校生くらいに見えた。
「あなたなんで生きてるんですか! あの熊に殺されたはずじゃ……」
女はカルタの顔を見て何かを思い出したように目を見開きながらそう言った。
「はい? あんたは誰です? それと……熊?」
「……? 人違いじゃないですよね、あの時、何かスキルを発動しようとしてたから目立っていましたし、よく覚えています。……もしかして、あの日の記憶がないんですか?」
カルタは、目の前の女の子が何を言っているのか理解できていなかった。だが、なぜか、とてつもなく嫌な予感が全身をかけめぐっていくのを感じた。
鳥肌が全身に広がる。
「世界が終わった日。世界の声が聞こえた日。あの日、あなたも
「世界の声……神代神社……熊……」
そのときカルタをひどい頭痛が襲った。
また鬼になるのかと、あわてて頭をさわったものの角が生えてくることはなかった。
この時、彼の頭を満たしていたのは、怒りでも殺意でもなく、間欠泉のように吹き出してきた記憶であった。
「
すべて、思い出した。
あの日、頭に響いた声。あの時、確かに自分が適合者であり、スキルを使えるのだと理解していた。
スキル『憤怒』。
ぼんやりとしか理解できないが、おそらく怒りの感情をトリガーに発動し、姿を鬼に変えるのだろう。
坊主とピアスの男達に痛めつけられていたとき、カルタは強い怒りを感じていた。
その怒りがスキル『憤怒』の発動へとつながり、鬼の姿になった。
自分の家でゴブリンに襲われたときは、怒りの感情がわきあがることがなかったので憤怒は発動せず、鬼にもならなかったのであろう。
傷が治ったり、身体能力が上がるのも憤怒のおかげだとは思うが、どの程度の性能があるのかまではわからなかった。
――いや、わかることもある。
――俺の再生能力は死すら
そう、カルタは確実に一度死んでいる。
死の定義もあいまいになってしまったが、少なくとも、スキルなんてものがあらわれる前の体であれば確実に死んでいた。
目の前の女子が言ったように、角熊に頭を叩き割られたはずだ。
自分に向かって振り下ろされる巨大な手を最後の光景として覚えている。
――頭を割られたら確実に死ぬよな?
――死んでも生き返るほどの再生能力? ありえるのか?
――記憶が飛んでいたのは頭を潰されたからだろうけど、裸だったのは?
――もしかして体のほとんどを喰われたとか? そんな状態からでも再生するのか!?
――いったい、今この体のどこからどこまでが元々あったものなんだ?
――記憶は? 魂は?
――この俺は、本当に俺なのか?
「テセウスの船……」
「船? あなたいったいなんの話を……やっぱり人違いだったかなぁ?」
テセウスの船。
ギリシア神話に登場するテセウスという王様が、クレタ島に住むミノタウロスを倒しにいくときに乗った船のことである。
偉業を成し遂げたときに乗っていた船ということで、記念に残されることになったが、長い年月を経てあちらこちらにガタがきてしまった。
そこで、壊れる度に修理して、部品を取り替えて、板を張り替えて……と繰り返しているうちに、ついには元々その船を構成していた木材は一つもなくなってしまった。
『はたしてその船は、テセウスがクレタ島へ向かった船と同一と言えるだろうか?』というパラドックスが生まれたというわけである。
二人で噛み合わない会話をしていると、彼女の後ろにあるコンビニの入り口からさらに二人、男が出てきた。
一人はジャージを着た三十代くらいの男で、もう一人は見覚えのある制服を着た男子だった。
カルタは、また勇正か、苦い顔で呟いた。
男たちはカルタの顔を見て一瞬ポカンとした表情で固まった。
その後、怪訝な顔をしながらゆっくりと近づいてきた。
彼らは「目黒、こっちへ来い!」と小声で鋭く言った。
目黒と呼ばれた女は、ちらりとカルタの顔を見て、すぐに走ってジャージの男の後ろに下がった。
それを確認したジャージの男は、会話もなしに、右手のひらをカルタに向けた。
そして、唐突に言い放つ。
「ファイアボール!」
「うおっ!」
男の手からは、手品か魔法のように火の玉が飛び出した。
それは豪速球で、まっすぐとカルタにせまった。
彼に野球の経験があれば、火の玉を避けることもできたかもしれない。
かつてカルタが殺したタケシであれば、とっさに金棒を出して打ち返していただろう。
だが、万年帰宅部だったカルタはろくに反応できず、もろに直撃をくらった。
「ぐっ、あぁぁ……!」
――冷たい? ……熱い! 痛い!
とっさに前に出した腕に火の玉がぶつかり、手と顔にヤケドをおった。
目黒は目の前の状況を理解できていないようで、ジャージの男を非難した。
「いきなりなにやってるんです先生! 相手は人間ですよ!?」
「下がってろ! こいつ豪徳寺が作った指名手配書に載ってたやつだ!」
――指名手配だと? そこまでやるのか!? そもそも先に俺を殺そうとしたのはあいつらだろうが……。
「お前がタケシたちを殺したんだってなぁ。タケシはオレの教え子だったんだぞ! 野球部で頑張っててなぁ……」
「もとはと言えば、あいつらが先に攻撃してきたんだぞ! その情報は知らされてないのか? 俺は自衛のために反撃しただけだ」
カルタはヤケドの痛みを気にしながら反論した。
ヤケドをおった肌は、うごめきながら見るまに治っていく。
消えていく体表面の熱さとは裏腹に、まるで体内にもヤケドをおってしまったかのようにジクジクと痛みをともなう熱さが、胸と頭の中で生まれていた。
異変に顔をゆがめるカルタに気づく様子もなく、ジャージの教師は熱く語り続ける。
「でもあいつらはまだ高校生だったんだぞ!? 間違いをおかしたなら大人が諭してやるべきだろう。……確かに少し調子にのりやすいところはあったかもしれない……だが殺す必要はなかったはずだ!」
「なんだよそれ……勝手すぎるだろ……殺そうとした側がそれを言うのか? あんたは俺がおとなしく殺されるべきだったっていうのか……?」
「そんなことは言ってないだろう! お前、もう大人だろう? ちゃんと頭を使えばそのときどうすべきたったかわかるはずだ」
「はぁ? なに言って――」
「言い訳するな! お前、本当に反省してるのか?」
教師は顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
カルタは頭が痛くなってきた。
あまりに話がかみあわない。会話ができない。
この教師の中にいったいどういうロジックがあるのかカルタにはまるで理解できなかった。
教師の顔を見ると、彼は彼で、理解できない生き物でも見るかのような、とんでもないでき損ないの生徒を見るような顔をしていた。
カルタは思わず呟いた。
「そういやそうだよな」
「なんだ、理解できたのか? ちゃんと自分の口で説明してみろ」
完全に教師モードに入ってしまった彼に嫌悪感を抱きながら、カルタは言葉を続けた。
「そういやそうだよな。教師ってのはそういう人種だったよ。久しぶりに思い出したよ」
「人種? なんの話だ」
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