イベント当日

「どう考えても、体よく利用されている気がするんだけど」

 クイナがレツとともに音響機器を野外ステージに搬入しながら苦々しい顔で呟いた。

 ゴールデンウィークの最終日。朝の七時という時刻。愛知県内の公園にて、君乃アリス初のリアルイベントの準備が着実に進んでいた。

 開催時刻は午前十時。本当ならば午後に開催したかったのだが、昼過ぎとなるとどれだけの人数が集まるのかわからなくなる。道の混雑が予想されたことや近隣住民への配慮もあって、午前中しかステージの使用許可が下りなかったのだ。

 レツは肩をすくめつつ、

「そうは言っても、君乃アリスを指一本動かせない状態で監禁できる術なんてないんだ。時柴の提案通り、彼女を見張りながら怪我をさせないよう身の安全を確保することに努めるのは、割とベストだと思う。本部も承認しているしね」

「ボディガードについては納得してるわ。けど、スタッフとしてイベントの手伝いをさせられるのはおかしいでしょ!」

「それは……本当に、そうだな」

 二人はうんざりしながら、トラックの荷台からキャスター付きの大型モニターを引っ張り出す時柴を見やった。彼と目が合う。

「サボってないで手と足を動かせ」

 声を張り上げ指示を飛ばしてくる時柴にクイナは顔をしかめた。彼女は音響機器を雑に置くと、憮然とした表情で時柴のもとへ向かう。

「どうして私たちがあんたに命令されなきゃいけないのよ!」

「俺の事務所のスタッフなんだから当然だろう。ホームページにもお前たちの名前も載せたからな」

「どういうことだ⁉」

 流石に聞き捨てならなかったのか、レツも慌てて駆け寄ってくる。

 時柴はスマートフォンを取り出すと、『時柴プロダクション』と検索して事務所のホームページを呼び出した。スタッフ欄に時柴十三と並んで、『レツ』『クイナ』と雑に名前が記されていた。

 レツとクイナは怒りの形相になる。

「勝手に何をやってるんだ貴様は!」

「私の名前はQuinaで表記しなさいよ!」

「いや、そこじゃないだろ!」

 相棒の天然発言にレツはずっこける。クイナはきょとんとした。

「別に名前くらいなら大丈夫でしょう?」

「今日のイベントにくる人間に顔がバレる」

「あっ……」

 状況を察したのかクイナの顔が引きつった。

「僕たち調律者ターナーは組織内の者にすら名前や立場を明かしていない。知っているのは上層部だけなんだ。それを公開なんてされたらたまったものじゃないぞ」

 レツは時柴を睨みながら訴える。しかし当のアイドルプロデューサーは血色の悪い顔を無から変えもしない。

「給料も出すし、何ならそのうち動画にも出してやるから安心しろ」

「そんな話はしていない!」

 時柴は面倒くさそうにため息を吐くと、

「心配するな。おそらく組織内でも、お前たちは調律者ターナーとやらからアリス専門のボディガードにジョブチェンジすることになるだろう」

「テキトーなことを……」

 レツが苛立たしげに吐き捨て、クイナがブロンドの髪を払ってそっぽを向いた。

「とにかく、君乃アリスのボディガードはともかくとして、アイドルとやらの手伝いはしないから」

「そうか……。ならいい。アリス」

 時柴はトラックの脇で振付の確認をしていたジャージ姿のアリスを呼びつけた。

「どうかしたんですか?」

 首を傾げるアリスに時柴は告げる。

「この二人がストライキするようだから、このモニターをステージまで運んでおいてくれ」

「いいですけど、本当に『私の恋は賽の河原』の無修正版MVを流すんですか……?」

 アリスは心底嫌そうな顔で言った。

「結局、投稿版はグロすぎてモザイクをかけざるを得なかったからな。どうなっているのか気になる奴はいるだろう」

「いるかなあ」

 疑問を抱きながらモニターを引っ張っていくアリス。屋外ゆえにキャスターの動きが悪い。

(というか、こういうことをタレントに手伝わせるかな普通)

 不満を募らせながら後ろ向きに歩くアリスだったが、地面の出っ張りに踵をぶつけた。

「わっ」

 モニターからは手を離したため大惨事は防げたが、当人は倒れてお尻と両手を地面に着いてしまう。

「いったた……。あ、手から血が……治った」

「うわあああああああああ!」

 レツとクイナが同時に絶叫し、アリスはびくりと肩を震わせる。

「ど、どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもない! 理が! たった今、理が乱れたんだぞ⁉ 君乃さんのせいでだ!」

「え、ご、ごめんなさい」

「ごめんで済んだらポリスメンもTomorrowsもいらないのよ! 責任を取りたいならこれ以上の乱れを起こさないよう死になさい、今すぐに!」

「し、死んだらもっと駄目なんじゃ……?」

 むちゃくちゃ言ってくるレツとクイナに、アリスは気まずそうに顔を背けた。

 レツは右手で顔を覆うと、

「ああ、もういい! 機材は全て僕たちがセッティングするから君乃さんは何もするな! 君は今後、一挙手一投足に世界の命運が懸かっていると思って行動するように! いいな?」

「重いんですけど……」

「明日世界が滅んだら、貴女のせいだからね」

「嫌なこと言わないでくださいよ」

 二人はぶつくさと文句を言いながらモニターを引っ張っていく。

 アリスはむすっとした表情で時柴のもとへ向かうと、

「私がドジって怪我することを読んで仕事を振りましたね? あの二人を働かせるために」

「なんだ。本当に怪我したのか。怪我をする演技だけでよかったんだが、まあお前の演技力じゃバレていたか」

「何なんですか、もうっ。私は振付の練習をしたいんです!」

 余裕のなさそうなアリスに時柴は呆れる。

「今からじゃ大して変わらん。リラックスしておく方が重要だ。練習中に怪我したらまたあいつらがうるさくなるぞ」

「うっ、確かにそれは面倒くさい……」

「それに、お前のパフォーマンスは普通に人に見せられるレベルには達している。少しは自信を持て」

「はい……」

 アリスはしゅんと肩を落とすとトラックに置いていたバッグからスマートフォンを取り出した。SNSを確認する。

「アイドルの日だけあって進藤レイラがトレンドになってますね。毎年のことですけど」

 SNSにはユーザーたちの好きなアイドルの名シーンが、無断転載と思われる動画でいくつもアップされていた。様々なアイドルの動画があるが、やはりダントツで進藤レイラが多い。

 アリスがため息を吐いた。

「凄いですよね、十年間も語られるなんて……」

「そうだな。レイラの場合、最後が悲劇的だったからというのもあるだろうが、それがなくても語られていたのは想像に難しくない」

 時柴は自分の感情を含まずに進藤レイラを評価する。

「私なんて一時の話題で数字を得ているだけ……。十年どころか、来年には誰も話していないかも」

 そういやそんな奴もいたな、と言われていそうな気がしてならない。一発屋のお笑い芸人のようなものだ。

「そうならないための、今日だ。よく見てみろ。お前の名前もトレンドにあるぞ」

「……!」

 SNSに自分の名前を発見して硬直する。これまでも話題になったことはあったが、全ては炎上の結果だ。しかし今回は、今日イベントが行われる、という比較的ポジティブな話題であった。

(FDが現れてから三年……。アイドル黄金時代は終わって、暗黒時代になった。けど、アイドルの日はまだSNSで話題になってる。ってことは、みんなまだ熱を持ってるんだ)

 進藤レイラから始まったアイドルのパワーを実感した。

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