作戦会議

 アリスは時柴とテーブルを挟んで向かい合っているソファの前に立つと、被さっていた埃を払い除けて座る。柔らかさの欠片もなかった。

 間髪入れずに時柴が口を開く。

「今日は今後の方針について話し合っていく」

 突然のことにアリスは一瞬だけ何のことか忘れてしまった。

「ほ、方針……ですか」

「そうだ。ようは、今後のお前の売り出し方の話だな」

「売り出し方って……ローカルアイドルとして色々やっていくんですよね? 地元のイベントに参加したりとか」

 時柴は無表情のまま首を横に振った。

「勘違いしているようだが、お前は別にローカルアイドルではない」

「え? だって、ローカルアイドルのオーディションでしたよね、あれ」

 アリスは不思議そうに首を傾げる。

「あれは花村さんの企画で、俺は手伝っていただけだ。花村さんが死んだ以上、あの企画は消滅した。意思を継いでプロジェクトを続行させる義理もない」

 なかなか冷たい物言いだが、アリスは時柴と花村の関係性など一切知らないので何も言わなかった。

「今の時代、誰でもアイドルになれるものだ。とりあえず、最初のうちはネットをメインで活動していく。そして話題になったタイミングでリアルイベントを開催する」

 アリスはこくりと頷いた。

「妥当な気はしますけど、ネットで話題になるのって、口で言うほど簡単ではないんじゃないですか?」

「そうだな。真っ当な方法で話題になるのは難しい。だが、真っ当な方法など使わないからそこは問題ない」

「……何をするつもりですか?」

 アリスはごくりと唾を飲んで尋ねる。時柴はきっぱりと言った。

「とりあえず炎上するぞ」

「嫌ですよ!」

 アリスがテーブルを両手で叩いて立ち上がった。

「炎上商法から始まるアイドル活動なんて絶対ろくなことになりませんってば!」

 断固拒否するアリスに、時柴は顔色一つ変えない。

「まあ落ち着け。これは論理的な経営戦略だ」

「……聞かせてください」

 アリスは渋々といった具合にソファに座り直した。

「話題になりたい者からすれば炎上は非常に容易な手段だ。それはお前も認めているだろう」

「それは、はい……」

 今の時代、SNSを駆使すれば簡単に炎上して目立つことができる。以降の人生を棒に振るう可能性も秘めた諸刃の剣であるが。

「俺みたいな嫌われ者が関わっている以上、デビューすればどのみち大なり小なり炎上することは見えている。それならばいっそ、盛大に燃えておいた方が得だ。論理的だろう?」

「どこがですか。どうせ借金してるんだからもっと借りてギャンブルしちゃおうってことですよね。そんな理由で世間を敵に回したくないですよ」

「安心しろ。叩かれるのは元々悪名高い俺だ。むしろお前は同情されるような炎上の仕方をする。アイドルが嫌われたら終わりだからな」

「あ、それならやりましょう」

「良い性格してるなお前」

 アリスのあまりの変わり身の早さに時柴は思わずつっこんでしまった。

 納得したアリスだったが、しかし彼女は唸り声を上げる。

「でも、最近炎上商法が成功したところなんてあまり見てないですけど、上手くいくんでしょうか?」

「問題はそこだな。炎上商法は話題にはなるが、基本的に敵を作りすぎてそのまま終わるのが常だ。重要なのは敵を作りすぎないことと、盛り上がっているところに群がってきた暇な野次馬を取り込むことだろう」

「炎上に興味のない野次馬をファンに変えるのはわかりますけど、敵を作りすぎないで炎上なんてできるんですか?」

「敵と同時に味方を作ればいいんだ。アリスのためという大義名分を与えつつ、俺を叩かせる。これについてはちゃんと上手い方法を考えてある」

「なんか嫌な予感がしますけど、それはまあいいです。野次馬をファンに変えるには……やっぱり実力しかないですよね」

 アリスは自信なさげに肩を落とした。炎上は簡単にできるが、こちらの難易度は凄まじく高い。

「私なんかの歌やダンスでどうにかなるかなあ……」

 アリスの胃が痛くなる。しかし時柴はまるで気にしない。

「アイドルの実力不足を補うためにプロデューサーがいる。それにそもそも、アイドルの実力とは歌やダンスが上手くて容姿が良いことではない。人に愛されるかどうか……ようはキャラクター性だな」

「キャラクター性……?」

「進藤レイラが歌やダンスが下手くそだったらがっかり感が凄いが、愛嬌だけで全てを乗り越えているようなドジっ子アイドルの歌とダンスが下手でも微笑ましく流せるだろう? もちろん上手くてもギャップは生まれるがな。しかし、歌やダンスの微妙さ……欠点も魅力になるのがアイドルという職業だ」

「欠点も、魅力に……」

 アリスは言葉を反芻する。それに感銘を受けたというより、突然まともなプロデューサーらしいことを言い出した時柴に困惑したというのが大きい。

 時柴は死んだ魚のような目でアリスの顔を見る。

「お前の容姿は悪くないが、お前をぱっと見て歌とダンスが上手いと属性を決める人間はいないだろうな」

「褒めてます? 貶してます?」

「どちらでもない。分析しているだけだ。しかし、今回に限っては好都合だろう。性格を加味しても、お前は進藤レイラのような力で応援させるアイドルではなく、微笑ましさから応援したくなるようなアイドルだ」

 アリスは顔をしかめた。

「応援したくなるようなアイドル……」

 彼女が目指しているのは人々に希望を届けるようなアイドルである。時柴の話すアイドル像とは大分異なるような気がした。

 病院のベッドの上で、日に日にやつれていっていた友人の姿を思い返す。血色も悪くなっていき、ずっと生気の抜けた目を窓の外に向けていた。そんな彼女を助けたくてアリスは……。

(そうだ。あのときだって、私に力なんてなかった。だけど、それでも希望は届けられたんだ。釈然としないところもあるけど、結局は私がパワーアップすればいいだけだもんね)

 アリスはこくりと頷き、

「わかりました。何にせよ、頑張ればいいわけですね」

「まとめすぎだが、まあそういうことだ」

「でも、一つだけ納得しましたよ。時柴さんがアナカラのメンバーにキャラ付けを徹底していたのは、そういう理由があったんですね」

 アナカラとはAnother↔Colorsの略称だ。アリスは昨夜読んだインタビュー記事での時柴の言葉を思い出しながら言った。理由については納得いったが、それはそれとして蛮行についての理解はできなかった。

 時柴は大きく頷く。

「アイドルってもんは基本的に偶像にせものだ。自分の一部、あるいはまったく別の自分を偶像ほんものに見せかけて愛してもらう。そういう意味では、あいつらにはアイドルとしての才能があった。どいつも猫を被るのが上手かったから、オタクに受けるキャラクターを演じさせていたんだ。歌と踊りはいくらでも強化できるしな。やりすぎてクビになったが」

「あんまり気にしてないんですね」

 どうでもよさそうな語り口にアリスはやや驚きながら尋ねた。

 時柴は一切表情を動かさず、しかしどこかうんざりした口調で、

「そりゃあ、社長から押し付けられただけの仕事だったからな。猫被りしか能がない小娘たちを一時とはいえ人気者にしてやったんだ。我ながら良い仕事だっただろう」

「時柴さんが離れてからあっという間に崩壊しましたもんね、アナカラ……。私、結構好きだったんですけど」

「去年まで日本武道館を容易く埋めていたアイドルグループが、解散ライブを全盛期の半数のメンバーで、おまけに大きくもないライブハウスでやるのはなかなかの傑作だったな。おまけに箱も埋まらなかったときた」

「めちゃくちゃ根に持ってるじゃないですか」

 アリスは底知れない雰囲気を持つ時柴の器の小ささを垣間見た。

 時柴はつっこみを無視し、

「欠点も含めてアイドルの魅力……とは言ったが、当然武器も必要になってくる。というより、やはりこっちの方が重要なのは確かだ。良点があるから欠点も映えるからな」

「武器、ですか……」

 アリスは自信なさげに俯いた。

「アイドルに限らず芸能界においては、どの分野でもいい──ナンバーワンかオンリーワンであることが売れる近道だ。俺の持論だけどな」

「ナンバーワン、オンリーワン……。言ってることはわかりますけど、私に一番と誇れる実績のある特技なんてありませんよ。私にしかない個性なんてのもありませんし……」

 時柴は訝しげに眉をひそめた。

「何を言っているんだ、お前は? オンリーワンの個性ならあるじゃないか。不死身という、とっておきのやつがな」

 アリスの顔が衝撃で固まった。自身が不死身だと発覚したのがつい昨日のことだったので、すっかり失念してしまっていたのだ。

 しかし、アリスの不安は拭えない。

「そんなの、アイドルとしての個性になりますかね……」

「なるに決まっているだろう。歌が上手いアイドルもダンスが上手いアイドルも腐るほどいる。作詞作曲できるアイドルも、絵が上手いアイドルも、トークが上手いアイドルもいるだろう。だが、不死身なんてのは、古今東西のアイドルでお前だけだ。前例がないことは大きな武器になる」

「けど、まさかライブやテレビで死にまくるわけにもいきませんよね」

「もちろんだ。世間にお前が本当に不死身だと知られること自体避けたい。世界各国の研究機関に拐われてモルモットにされかねないからな」

 非現実的すぎる心配だが、実際にアリスは非現実的な存在なのであり得なくはない。アリスは青い顔で息を飲んだ。

「そ、それじゃあ、やっぱり不死身は役立てられないってことですか?」

「いや、いくらでも活かしどころはある。特にこのアイドル暗黒時代ではな……」

 意味深な言葉にアリスは眉をひそめるも、

「時にアリス。売り出すにあたって、俺たちはお前の不死性について詳しく知る必要がある。どうして不死身になったのか思い当たるか?」

「いえ……。私も昨日考えてみたんですけど、普通の人生しか送っていませんでした。でも、よくよく思い返してみると、ここ一年くらい小さな怪我も病気もしていないなって」

「致命傷以外も再生するのか?」

「はい。昨日、試しに裁縫セットの針を指に刺してみたら傷が一瞬で治りました。血は残りましたけど」

「そうか。痛みはどうなる?」

「肉体的な痛みは傷が治るのと一緒になくなるんですけど、心や記憶には残ると言いますか。針を指に刺した程度の痛みはすぐに忘れられますけど、爆弾で吹き飛ばされたり、身体を真っ二つに斬られたような痛みは結構頭に残りました」

 昨日のことを思い出し、アリスの顔色がみるみる悪くなっていく。しかし時柴はフォローなど入れない。

「傷が治れば肉片は戻るが血は戻らず、肉体的な痛みは消えるが記憶には残る、か。痒い所に手が届かない不死身だな」

 確かに、とアリスは思ってしまった。血も一緒に身体に戻ればジャージは汚れなかったし、警察に無理のある証言をせずに済んだ。痛みも忘れたら精神ダメージも抑えられたのだ。

 そんなことを考えていたアリスは深くため息を吐いた。昔は普通に怪我も病気もしていたというのに……。自分の身体が知らないうちに自分のものではなくなっていたような、度し難いほどの気味悪さを感じたのだ。

「──うがっ」

 突然、アリスの喉に激しい痛みが走った。目線を下げると、時柴の右腕が首もとまで伸びていた。さらに目線を下げると、彼が握るボールペンが深々と喉に突き刺さっている。

「あ、う……」

 血が床に滴り落ちる。時柴がボールペンを引き抜くと、勢いよく吹き出た鮮血が八方を赤く染めていく。が、すぐに収まった。

 力なくテーブルに突っ伏したアリスは涙目になりながら何度も呼吸をする。手を喉に添えると、ぬるりとした血があるだけで傷跡は治っていた。

「い、いきなり何するんですか時柴さん!」

 アリスは怯えながらも怒気を孕んだ声音で叫んだ。

 時柴は血に濡れたボールペンを近くにあった雑巾で拭っている。

「俺が殺しても死なないのかを確認しておきたかった」

「いや本当に死んじゃったらどうするんですか⁉」

「安心しろ。そのときは大人しく自首するからな」

「そういう問題ではなくて!」

 アリスは今すぐにでも仮契約を解消したい衝動に駆られていた。

「お前が売れるためには必要な確認なんだ。全ては俺とお前の夢のため。とりあえず喉と顔を拭け」

 時柴は申し訳なさそうな素振りすら見せずにテーブルにあった台布巾をアリスに手渡す。アリスは憮然とした表情で喉や顔を拭うも、服にも血が付いていることに気づいて余計に腹が立った。

「MVを撮るぞ。できるだけ早く」

「エ、エムブイ?」

 いきなりアイドルらしい話に戻り、アリスから困惑の声が漏れる。

「できるだけ早くって……?」

「二日か三日後だな」

「そんな無茶な……。だいいち、曲はどうするんですか?」

「曲は昨日のうちに作った。振付も考えてある」

「い、衣装は……?」

「俺はいつどんな理想のアイドルと遭遇してもいいように、あらゆるサイズの衣装を用意している」

(え、キモっ……)

 と、そこに関してはそう思ってしまったものの、アリスは彼のアイドルに対する狂気的とも言える情熱に唖然としてしまう。

(倫理観は終わってるけど、この人は私以上に、私をアイドルにするのに真剣なんだ……)

 それがわかり、殺された恨みが多少は収まってきた。

「どんなMVにするのかも考えてあるんですか?」

「当然だ。撮影にはこいつを使う」

 時柴は脇に置いていたバッグの中から手拭いに巻かれた何かを取り出すと、テーブルの上に置いた。ごとりと重量感のある音がする。

「なんですか、これ?」

 時柴が手拭いを取り外すと、昨日も見た物体が現れた。ここにきて何度目かの嫌な予感。

「……モデルガンですか?」

「本物だ。五年くらい前に反社の友人からもらった。弾もたんまりあるぞ」

「なにやってんですか⁉」

 アリスは勢いよく立ち上がった。

「今のご時世で反社との関わりはまずいですって! メディアから干されますよ!」

「安心しろ。その友人はこの銃をくれた二ヶ月後に敵対組織との抗争で死んだ。もう関わりはない。そもそも既にメディアからは干されているしな」

「全然安心できないんですけど……!」

 アリスの中での時柴の株価の乱高下が激しい。

「その銃で何をするつもりですか?」

「曲に合わせて踊るお前をカメラの外から撃ち殺しまくるんだよ」

「嫌です! 絶対ろくなMVになりません!」

 反発するアリスに時柴は面倒くさそうにため息を吐いた。

「……よく考えてみろ。時柴十三の七年ぶりの業界復帰、デビューするのは先日FDの襲撃から生き残った少女、そして殺されまくる不謹慎なMV……大炎上間違いなしだぞ?」

「だから反対してるんです! 上手くいく未来が見えませんよ!」

 頭を抱えるアリスを時柴は無機質な表情で眺めていた。そして、ふっと笑みを浮かべる。

「やはりお前はイカれているな、アリス」

「は、はい……?」

 突然の笑みと言葉にアリスは首を傾げた。

「さっき殺されたときには恐怖を感じていたようだが、アイドルの仕事で殺されることには文句ないんだな。MVの出来ばかり気にしている」

「いや、それは……」

 図星を突かれた気がした。アリスが反対しているのはあくまでもMVの内容があまりにも酷すぎるからで、撮影で殺されることに対する文句は浮かんでいなかったのだ。

「俺を信じろ。一年もかからずにお前を一流のアイドルにしてやる。これはそのための第一歩だ」

 アリスは頭の中を悶々とさせる。そのMVがアップされれば、これまでの生活が一変してしまうだろう。それが良い方向なのか、悪い方向なのかはわからないが。

 しかし、もともとアイドルになるというのは、そういうことなのかもしれない。

 アリスは力なくソファに座る。

「わかりました。……やります。私は何をすればいいんですか?」

「とりあえず、これからスタジオへいって曲のレコーディングをしてもらう。その後は振付を全力で身体に叩き込む。昨日の事件が世間の記憶に新しいうちにMVを作ってアップするぞ」

「だからスピード勝負なんですね。……曲を作ったと言っていましたけど、そういうデモテープ? って仮歌と呼ばれるものが入っているんですよね。それは誰が歌ってるんですか?」

「俺だ」

「……振付を教えてくれる方は?」

「それも俺だ」

 時柴の歌声、そして彼が華麗に踊る姿を想像し、アリスは時柴の顔から目を逸らした。

「……笑ってしまったら、すみません」

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