私の恋は賽の河原
そして現在に至る。アリスは初めてのレコーディングを三十分で終わらせられ、学校を休んで朝から晩まで時柴からのレッスンを受けた。非常に厳しかったが、普通のアイドルらしいことができてアリスは嬉しかった。
尤も、今まさにアイドルらしさの欠片もないMVを撮る作業が始まったのだが。
時柴の合図とともにスピーカーからポップなイントロが流れ始めた。アリスのデビュー曲となる『私の恋は賽の河原』だ。
山中の川辺で拳銃を向けられている謎の状況でなければ感慨深いものがあった。
アリスはメロディに合わせてステップを踏み、
「積み上げてきた君との時間♪ また全部台無し♪」
MVで使われるのはレコーディングした音源だが、それでも時柴の指示通り本気で歌う。
「少しも素直になれない♪ 馬鹿みたいな私♪」
アリス的にはもう悔しかった。時柴の歌唱力とダンスのキレに届いていないのだ。彼はそこらのアイドルよりも遥かに歌とダンスが上手い。
「君は変わらず話しかけてくれる♪ その笑顔を見る度♪ また自分が崩れた──」
カメラの後ろから時柴の放った銃弾が見事にアリスの額に炸裂した。血が飛び散り、彼女の身体が僅かに後ろに吹き飛んだ。時柴はスピーカーの音を止める。
アリスはもぞもぞと立ち上がると、衣装の袖で額の血を拭う。時柴は曲を再開させた。
「積んでは崩し♪ 崩しては積み上げ……♪ ここは賽の河原ですか?」
アリスは何事もなかったかのようにパフォーマンスを続行し、そしてサビに入る。
「死ね死ね死ね死ね馬鹿な私♪ もうもうもうもう起き上がるなよ♪ 気を遣われると死にたくなるから──」
再びの銃撃。曲が止まる。今度は脇腹に命中し、アリスは吐血しながら倒れ伏した。そして、先ほどと同じように平然と立ち上がった。変わったのは血の滲んだ衣装くらいだ。
時柴がスマートフォンをタップして曲を流す。
「もうさっさと告れよ私♪ 当たって砕けて二度と立つな──」
三度目の銃撃。見事に心臓部に命中した。曲とともにアリスの胸の鼓動も停止し、本日二度目の吐血を経て地面に倒れる。
アリスは口もとを拭って立ち上がった。時柴が曲を再開させる。
「でも君の笑顔で蘇っちゃうよ♪」
カメラに向かって精一杯可愛らしくウインクするアリス。
曲は二コーラス目に突入し、時柴はBメロでもう一度アリスを撃ち抜いた。そしてサビの最後の方でまたしてもアリスを撃ち殺す。
アリスはその度に立ち上がるのだが、間奏に差し掛かったところで異変が起こった。カメラとアリスの真上の何もない空間に波紋が発生したのだ。波紋は徐々に広がり、激しく波打つ。
空間の歪み。それはオーディション中にも発生した異常事態である。
(出た!)
(きたか)
アリスと時柴は待ってましたとばかりにぐにゃりと渦巻く空間を見上げた。
またもや時間が遡り、前日の夕方。二人はダンススタジオでレッスンをしていた。
休憩時間に入り、アリスは息を切らしながら床にへたり込んで壁に背中を預ける。スポーツドリンクを飲んで一息つくと、
「オーディションに現れたあの怪物について、何か情報を見聞きしたことはあるか?」
黒いジャージに身を包み、同じくらい動いているはずなのに息一つ切らしていない時柴が尋ねてきた。
アリスは首を横に振る。
「いいえ。あのときも言いましたけど、あんなの全く知りませんよ。ネットで噂話も探してみましたけど、何も出てきませんし。……あの怪物がどうかしたんですか?」
時柴は床に置いてあったバッグからスマートフォンを取り出した。少しだけ操作して、画面をアリスに見せてくる。
「あのとき、面白そうだったからスマホで撮影していたんだ」
「そういえば、そうでしたね……」
アリスは見たくもないものからさっと目を逸らした。しかし、一瞬目に入った映像に思わず二度見してしまう。
自分自身が真っ二つになっている衝撃の映像だが、アリスの感心はそこにはなかった。
「あの怪物……映ってないですね」
映像ではアリスの胴が脈絡なく吹っ飛んだようにしか見えない。
「どういうわけか知らんが、奴はカメラに映らなかった。これをMVに使えないものかと思ってな」
わけがわからず、アリスは首を傾げる。
「カメラに映らない怪物なんて活かしようなくないですか? 映れば派手になりますけど」
「こいつのビジュアルを使うだけなら別にCGでいい。映らないから面白いんだ。まるでお前の死がCGのように見えるだろう」
アリスの顔が苦々しいものになる。
「……もともとMVを見て、私が本当に殺されていると思う人はいないでしょうけど、この怪物から派手に殺されればいよいよ出来の良いCGとしか思われないってことですか?」
「それもあるがな。銃殺だけでは地味だと思っていたんだ。CGを使う手間をかけず派手にお前を殺せるなら利用しない手はない」
所属タレントの殺害方法について真顔で語る時柴を、アリスは顔をしかめながら見上げた。
「利用すると言ったって、あの怪物が何なのかもわからないじゃないですか。好きに呼び出せるわけでもないのに、利用するのは無理ですよ」
「確かに正体は見当もつかないが、呼び出すことは可能かもしれない」
「……どうやってですか?」
どことなく不穏を感じ取るアリス。
「これまで普通に生きてきたが、あんな怪物をお目にかかったことはなかった。だが、あのとき初めて見た存在は怪物だけじゃない。お前もだ、アリス」
「私、ですか……」
どういうわけか不死身の人間、君乃アリス。あの怪物にも勝るとも劣らない異端な存在だ。
「思えば、あの怪物は明らかにお前を狙っていたからな」
「……それで、どうやって呼ぶんですか?」
「普通に生きていたらあんな怪物とは遭遇しない。しかし、あの状況は普通ではなかった。普通じゃない存在──お前──が、普通じゃないこと──何度も死にまくった──をしていたんだ。お前が連続で死ねば、あれは出てくるのかもしれない。理屈は知らんがな」
それなりに説得力のある仮説だと、アリスも思った。幽霊が怪談に引き寄せられるように、異常事態に異常事態が引き寄せられるというのはあるのではないか。
「ということはMVを撮っていれば勝手に現れるってことですかね」
「かもしれない。オーディションのとき、怪物が出てくるまで三回死んだよな。心臓と頭を撃たれて二回、爆弾で一回」
「あ、それなら……五回かもしれません。爆発を受けたとき左腕が吹き飛んだんですけど、そのとき簡易ステージの破片が喉に、折れたパイプがお腹に刺さったんです。どっちも引き抜いたら治りましたけど、普通なら両方とも致命傷だったかも……」
「そうか。どうせなら曲のクライマックスで呼び出したいな。……しかし、消し方はわからない。あのときは謎に自然消滅したが」
アリスは腕を組み、頭を捻る。思いついたことがあり、ポンと手を打った。
「私の歌の力で浄化した……とかじゃないですか?」
時柴の反応は芳しくない。
「そんなたいそうな歌唱力じゃなかったがな。そもそも叫んでいただけだろう、あれは」
「そ、そうですけど、きっと気持ちが届いたんですよ」
「感情の通った存在にも見えなかったが、まあそれでいいか。あのときは消えたんだから、きっと次も消えるだろう」
こうして二人は謎の怪物すらも利用することを企てていたのだ。
歪みが黒く変質し、首のない巨人の上半身の形を成した。常識外れの存在が再び顕現する。
時柴は間近で怪物を分析した。
(胴体の高さは十メートル以上あるな。気のせいか、あのときよりもサイズが小さいか? ……しかし、なんだこの違和感は。巨大な物体がそこにあるという感覚がまるでない。威圧感も存在感も皆無。空気に色がついているかのようだ)
スマートフォンのカメラを起動して見上げると、やはり怪物の姿は映っていない。ふと、時柴はあることに気づく。
(こいつ、影もないぞ)
陽はしっかりと照っており、自分やアリス、その他の物体には当然影ができているのだが、巨体を持つにもかかわらず怪物の周囲にはどこにも影がないのだ。
(つくづくおかしな存在だな。尤も、それはアリスもだが)
時柴が銃を下ろすと、怪物の右手付近が歪んで巨剣が現れる。あとはアリスと怪物の化学反応に期待するしかない。
そしてアリスはというと、怪物出現時に一瞬だけ目線を外してしまったが、今はカメラを見ながら笑顔で踊っている。既に覚悟は決まっており、いつでもその巨剣を振り下ろしてくるがいいと思っていた。
それはそれとして、
(私の歌で浄化してあげる! 届け、私の思い!)
Cメロが始まり、アリスはすうっと息を吸った。
「どれだけ積み重ねて──もぉっ!」
アリスは上半身を怪物の左手に握り潰され、残された下半身が臓物をぶちまけながら力なく倒れた。
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