光無き亡者たち

 眉間を撃ち抜かれたアリスの身体が後方に倒れた。それでもすぐに銃創は消えて血液だけが残る。しかしアリスは仰向けのまま起き上がろうとしない。……否、起き上がれなかった。

「こ、これ以上理が乱れるのは駄目だ!」

「やめなさい! 本当にやめて!」

 レツとクイナが大慌てでステージに向かおうとするが、ゴエモンの両腕によって呆気なく止められてしまう。

「なっ⁉ 離せ貴様!」

「貴方たち世界が滅んでもいいの⁉」

 そんなことを喚いている二人をジンガは一瞥すると、

「時柴。さっきからあいつらは何なんだ?」

「愉快な賑やかしだ。気にするな」

「流石に愉快すぎやしないか」

 時柴はつっこみを無視してステージに立つ百合色を見つめる。

「あれがアリスの言っていた友達か……。小児科ではなく祖父と同じ病室にいたようだから、アリスと同年代ではないんじゃないかとは少し思っていた。ただ大病を患っていたようだから勝手に死んだものと思っていたが、生きていたのか。お前らは個人にとってのアイドルも狙うんだな」

「初めてのケースに決まってるだろ。俺たちは反対したが、リリがどうしてもって言うんでな。あいつにとっちゃ、君乃アリスは疑いようのないアイドルってことだ」

 形勢の有利、不利はもはやジンガには興味がないようで、その口調は疲れ切った成人男性以上のものではない。

「どうして……」

 力なく倒れていたアリスがようやく上体を起こした。彼女は俯いたまま顔に付いた血を拭うこともせず、震える声で言う。

「どうしてユリちゃんがFDにいるの……? そんなの、おかしいじゃん」

 百合色はアリスを見下ろしたまま何も言わない。アリスは十年前の記憶を掘り返しながら、

「だってユリちゃんは、小さかった私にも優しくて、私がどんなしょうもない話をしても笑ってくれて……なのに、どうしてこんな……」

 ただ、目の前の現実を受け入れられないような、神にも縋るような表情になった。しかし、百合色はそれを冷たく切り捨てる。

「十年も経てば人は変わるのよ。アリスちゃんは背丈以外あまり変わっていないようだけど」

 アリスはふらつきながら立ち上がった。自然と呼吸が多くなり、過呼吸にならないよう落ち着いて空気を吸う。

「オーディションで私を撃った、ヘルメットを被ってた人は、ユリちゃんでいいの……?」

「ええ。もちろん」

 歯を食いしばり、

「イベントで爆弾を落としたのも……?」

「そうよ。……私がアリスちゃんを、この手で殺そうとしたわ」

 冷徹な声とともに睨みつけられ、アリスは反射的に後ずさってしまう。それと同時に百合色が本当に変わってしまったことを自覚する。昔の彼女は、そんな声を発することも、こんな表情をすることもなかった。

 心臓がやたら痛む気がして、アリスは胸もとに手を置いてぎゅっと衣装を握る。それでも、間違った道を進む友を否定しなくてはならない。

 アリスは流れかけた涙を食い止め、感情のままに訴える。

「ユリちゃん、あんなにアイドルが好きだったじゃん……! それなのに、大勢のアイドルを殺すなんて……酷すぎるよ」

「私の好きだったアイドルは……十年前に死んだわ」

 進藤レイラ。彼女が人々に与えた影響は、十年前から今に至るまで計り知れないのだとアリスは改めて実感する。

「だったら余計に変だよ……。推しを……心の支えを失う痛みと、辛さは、ユリちゃんが誰よりもわかってるはずでしょ⁉」

 レイラが亡くなり、病室のベッドの上で、やつれて一切の笑顔を見せなくなっていた百合色のことを思い出す。生きていても、死んでいるような状態だった彼女のことを……。

「なのにその悲しみを、他のアイドルファンに押し付けて……。どうしてFDの活動なんてしてるの⁉」

 アリスは息を切らしながら、力の限り百合色を睨みつける。

「……まさか、その気持ちを他のアイドルファンにも味わわせるためだなんて、言わないよね?」

 百合色は小首を傾げると、

「言ったら……?」

「……ほっぺた、引っ叩くしかないかも」

 アリスは俯きながら言った。その様子に百合色はくすくすと笑う。

「それは痛そうね。でも、安心して。そんな理由ではないから」

「じゃあ、どんな理由なの? 多くのアイドルの命を奪って、たくさんの人を悲しませて……。それにどんな理由があるって言うの⁉ ジンガさんみたいに、実際にレイラさんと関わりがあったわけじゃないでしょ……⁉」

 全てがままならないアリスは地団駄を踏みながら怒りの言葉を発する。

 百合色はFDの二人を見やった。

「確かに私は、ジンガのようにレイラの家族だったわけでも、ゴエモンのようにレイラの事務所の経理だったというわけでもない。レイラとはアイドルとファンの関係性でしかなかった」

 ゴエモンに押さえつけられているクイナが驚愕する。

「貴方、こんなに強くてニンジャなのに経理担当だったの?」

 ゴエモンは無表情のまま無視した。ステージの上では百合色がふっと自嘲するような笑みを浮かべている。

「私はあの二人と違って、レイラのアイドルとしての笑顔しか知らない。二人のように、彼女の笑顔を守るために行動することなんて……アリスちゃんの言う通りできないわね」

 アリスは奥歯を噛みしめた。

「だったらどうして──」

「二人の気持ちが痛いほどわかってしまったからよ……!」

 ここにきて始めて感情的な声を発した百合色に、アリスはびくりと肩を震わせて驚く。

 百合色は苦々しく顔を歪めながらアリスを見つめた。

「死んだのが進藤レイラではなく、君乃アリスだったとしたら……きっと、私もジンガたちと同じ行動をするだろうって……」

 アリスは目を見開く。

「ど、どうしてそこで私が出てくるの……?」

 百合色は真っ直ぐアリスを見据えると、強い思いのこもった声音で言う。

「そんなの決まっているじゃない。アリスちゃんが私にとって、進藤レイラに匹敵……いえ、

「……っ⁉」

 十年前にも言われた、本当に嬉しかった言葉……。しかし今改めて言われても、ひたすらに感情がかき回され、泣き叫びたくなるような意味しか持たなかった。

 百合色はやや目を伏せた。

「アリスちゃんがアイドルになったら、貴女は私の中だけでなく、世間でも進藤レイラを超える最高のアイドルになっていたはず。そして、そうなったアリスちゃんがレイラのような最期を迎えてしまったら……。そう思うと、私はいても立ってもいられず、FDのメンバーになっていたわ」

「な、なんで、そうなるの……? 私はアイドルになるなんて、ユリちゃんには話していなかったのに……」

「アリスちゃんの夢がアイドルになったのは、何となくはわかっていたのよ。だから貴女をアイドルにさせないために、FDとしてアイドルを蹂躪することにした。アリスちゃんをレイラのような偶像アイドルにさせないためにね。……結局、こんなことになってしまったけれど」

 百合色は嘆息すると、

「SNSで『アリス』というアカウントを見つけて、それにあのオーディションに参加する旨が書いてあったときはもしやと思ったわ。スタッフとして潜り込んだゴエモンからの情報で、それは確信に変わってしまった」

 心の底から辛そうなため息を吐く。

「まさかアリスちゃんが、このアイドル暗黒時代においてもアイドルを目指していたなんてね……。私のしてきたことは無意味だったみたい。こうならないために、これまで活動してきたのに……!」

 その言葉には悔しさや焦燥感、憤りがこもっていた。そして、ほんの少しの後悔も……。

 アリスの身体の震えが止まらない。抑えていた呼吸もどんどん増えてくる。

(そんな……ユリちゃんがFDになって、多くの人を傷つけたのは……私が原因ってことなの? そんなのって……)

 両手で髪をぐしゃぐしゃに乱す。感情をどうにか抑えながら、どうにか百合色を見据えた。

「時柴さんも、ユリちゃんも、おかしいよ。私が進藤レイラを超えるアイドルになんて、なれるわけないのに……。勝手に自分の中で私の存在を大きくして……期待してくれるのは嬉しいけど、でも……絶対無理だって」

 レイラのように抜きん出た容姿というわけではない。レイラのように歌とダンスがその道のプロ級というわけではない。カリスマ性もなければ演技力もトーク力もない。持っている手札がまるで違うのに、彼女を超えられるわけがない。

 アリスは力なく吐き捨てると、震える身体をどうにか抱きしめた。もはや立っているのもやっとな精神状態だ。

 百合色はそんな彼女をじっと見つめると、

「いいえ。貴女は確実に進藤レイラを超えられると、私は確信している」

 毅然とした口調で言った。アリスは反射的に顔を上げると、殆ど逆上するような表情で口を開く。

「だからどうしてそうなるの⁉ 何の根拠もなく私にそんな期待をして色んな人を傷つけてさ! 勝手すぎるよ……」

「ファンは無根拠にアイドルに理想を押しつけるものなのよ」

 ジンガが語っていたことであり、時柴が実際にしてきたことでもある。百合色の視線がそのときの時柴と同じもののように感じた。同時に、ファンから直に受けるその期待が、やはりとてつもない重圧であることを改めてその身で理解した。

 しかし、百合色はふっと柔らかい笑みを作った。

「尤も、私の場合は無根拠ではないのだけれどね」

「……え?」

 困惑するアリスに百合色は告げる。彼女は懐かしむように目を細め、

「レイラが死んで、生きる気力を失っていた私は……もう病気のことなんてどうでもいいと思っていたわ。あんなに活躍していた子でも死ぬときは死ぬ。それならずっとベッドの上にいる私が生きていられる道理なんてない、ってね」

 自虐的に吐き捨てる。

「親も医者も、私はもう駄目だと諦めていた様子だったのに……アリスちゃんは私に手を差し伸べてくれた。確かに子供なのを差し引いても拙いパフォーマンスだったけど、私にはレイラよりも輝いて見えたわ。私はあのときの貴女の笑顔と優しさを糧にして、再び病気と闘い、勝つことができた。……アリスちゃんが私を生かしてくれたのよ。ありがとう」

「ユリちゃん……」

 よもやこの状況で感謝されるとは思っていなかったアリスは呆然としてしまう。それと同時に、当時の彼女に戻ってくれたのではないかという淡い期待が込み上げてきた。

「ユリちゃん、だったら──」 

「そして貴女に生かされた私が大勢のアイドルを殺し、今、貴女に銃を向けている」

 百合色は拳銃を突きつけた。淡い期待はそのまま溶けて消えてしまう。

 アリスは息を飲むことしかできない。

「オーディションの自己紹介、聞いていたわよ。アリスちゃんもこれまで私の言葉を糧にしてアイドルを目指してきたのよね。その言葉を吐いた人間が何者なのかも知らずに。本当に因果なものだわ」

 かたや夢を得てアイドルを目指した少女。かたや生を得てアイドルを消し去ろうとした女。お互いをルーツに持つ二人は、お互いの願いを妨げようとしている。

 アリスは脱力しながら悔しげに口を開く。

「やっぱりおかしいよ……。ユリちゃんもジンガさんも、それから時柴さんも、みんなおかしいって! みんなアイドルのこと話してるのに、言ってることに全然共感も納得もできないもん……。みんな、みんな……イカれてる。アイドルってそういうのじゃなかったじゃん。もっとキラキラしてて、楽しいものだったはずなのに……」

 誰も彼もが、自分の夢のために暴走している。時柴はアリスを最高のアイドルにするためにアリスを殺し、ジンガは進藤レイラを人に戻すためにアイドルを殺し、百合色はアリスを偶像にさせないためにアイドルを殺す。アイドルに夢を見ていると表現するには、あまりにも不条理である。

「それが今のアイドル業界ということよ。大きな光を失った亡者たちの跋扈する世界。アリスちゃんがいるのはそんな狂気に満ちた場所なのよ」

 百合色は吐き捨てるように言うと拳銃を力強く握った。そして、殺意を持ってアリスを睨みつける。

「昔の私の言葉を励みにしている貴女にの言葉を贈るわ。……思い出の中から出てこないで。今の貴女は目障りなのよ。ステージを降りて、アイドルを辞めてちょうだい」

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