アイドルの使命

 響木百合色は恐れている。アリスという存在がレイラのように肥大化し、自分の中にあるあの笑顔が偶像にせものと化してしまうことを……。そうさせないためには、アイドル君乃アリスを消し去るしかない。

 アリスの表情が漂白されたように無になった。呆然と立ち尽くし、百合色を虚ろな目で見つめている。

 一連の様子を見守っていたジンガがステージから目を逸らす。

「エグいことするな……リリも。自分の間違いと業をあいつに押しつけるなんてよ」

 そう吐き捨てると、じっとステージを視線を注ぐ時柴を見やった。

「いいのかよ?」

「何がだ?」

「プロデューサーならなんか言ってやった方がいいだろ。あいつ、本当に心が折れちまうぜ」

 ジンガの個人的なアドバイスだ。これはもうFDの活動とは無関係な、一アイドルと一ファンのトラブルなのだ。

 しかし時柴は相変わらずの無表情のままゆったりと脚を組み、

「お前らは一つ勘違いをしているようだな」

 やはりいつもと同じような抑揚のない声で呟いた。ジンガは眉をひそめる。

「なに?」

「精神的に殺す? 心が折れる? 心配の必要がない。俺がアリスをプロデュースしようと思ったのは、あいつが不死身だったからではない。

「不屈、だと……?」

 ジンガがベンチの背もたれから身体を離した。思い浮かんだのはオーディションのときのこと。自分たちの前でいきなり歌って踊り出したので、恐怖で頭がおかしくなったのかと思ったが……。

「アリスはしょうもないことでぐちぐちと悩むが、一度覚悟さえ決まれば揺るがない。そしてあいつは、既にアイドルとしての覚悟を決めている」

 そんな確信めいた言葉を受けたジンガは再びステージを見やった。照明の下、依然としてアリスが力なく立ち尽くしている。

 俯いていたアリスが顔を上げた。その表情を見た百合色は驚いて目を見開く。決意に満ちた、力強い表情……。

 アリスは僅かに潤んだ瞳で百合色を睨み、

「ステージは降りないし、アイドルも辞めないよ」

 予想外の答えに百合色はぎりっと奥歯を噛みしめる。

「どうして⁉ 私の言葉でアイドルを目指したんでしょう? だったら私の言葉で辞めなさいよ!」

「きっかけはそうだけど、もうこの夢はユリちゃんだけから構成されてるわけじゃない。長年の私の思いと、まだ多くはないけど応援してくれるファンがいる。だから辞めない。それに──」

 アリスは自身の胸に手を当て、

「あのときのユリちゃんの笑顔は、私にとっても大切なものなの。夢へと突き進むための原動力。ユリちゃんがあのときの思い出を守りたいなら、私だってそうだよ。過去のユリちゃんを守るために、今のユリちゃんだって否定してみせる」

 迷いのない目を百合色へと叩きつけた。

「……っ⁉」

 今度は百合色が動揺する番だった。その気迫を前に銃を向けたまま半歩後ろに下がると、激情に駆られた声で、

「どうしてわかってくれないのよ⁉ アイドルなんでしょ! アイドルならファンの願いを聞き入れなさいよ!」

「それは厄介ファンの心理だよ。期待には応えたいけど、願いを聞くことはできない。……ユリちゃんの私に対する期待は、進藤レイラを超えるアイドルになること、でしょ?」

 微笑みとともに穏やかな声音で尋ねられ、百合色は言葉に詰まる。

「なら私はそれに全力で応える。自信なんて全然ないけど……でも、私はアイドルだから」

 百合色は顔を歪ませながら空いた左手で頭を抱えた。

「だからよ……そうなるから嫌なのよ! 貴女がレイラのようになってしまったら私は──」

「私はレイラさんのようにはならないよ」

 アリスは断言するように言い切った。会心の笑みを浮かべる。

「だって私は不死身だから」

 百合色は息を飲んだ。反論できる言葉もなかった。進藤レイラは悲劇的な死を遂げた。それ故に存在が留まることなく大きくなった。しかし、アリスは死なない。決定的すぎる差だ。

 百合色が上下の歯が歯茎に食い込みそうになるほど口を噛みしめる。

「駄目なのよ……アリスちゃんはアイドルを辞めなきゃ……死ななきゃいけないのよ!」

 半狂乱になりながら叫ぶと、引き金を弾いて銃弾をアリスの喉に撃ち込んだ。

「うぁっ……!」

 頭よりも多い鮮血が吹き出てくる。ステージにあっという間に血溜まりができた。

「ああっ! 理が!」

「いやあああっ!」

 静かにしていたレツとクイナが悲痛な叫び声を発する。膝を着いて両手で喉を押さえていたアリスは傷が治ると立ち上がった。

「もっと殺してみればいいよ。警察がくるまで好きなだけ……。絶対に死んでやらないから! 私のファン一号であるユリちゃんが、今の私を認めてくれるまで、何度だって殺されてやる! 私は進藤レイラじゃない……君乃アリスなんだから!」

 鋭く睨みながら啖呵を切る。百合色は血まみれのアリスを前にして、突きつけていた拳銃を持つ手が震えていく。

「どうしてよ……どうして、辞めてくれないの? 死んでくれないの……? これじゃあ、私は……」

「ユ、ユリちゃん……?」

 俯きながら徐々に声色が不安定になっていく百合色に、アリスは不安げに声をかける。すると、百合色は瞳を潤ませながら顔を上げた。目元から水滴が宙に跳ねる。

(ユリちゃん、泣いて──)

 その涙の理由にアリスはすぐに気がついた。瞬間、

「これじゃあ私は何のために大勢のアイドルを殺したのよ! お願いだからもう辞めてよ!」

 銃声が三回鳴り響き、アリスの身体が三度跳ねる。胴体に空いた三つの穴から血が飛び散り、溢れ出てきた。

「……っ!」

 激痛のあまりアリスはステージに倒れかけるも、どうにかして堪える。そして傷が治るのを待たずして、血まみれのまま百合色に飛びついた。両腕を背中に回し、ぎゅっと抱きしめる。

 百合色は涙を溜めた目を大きく見開いた。アリスは瞼を閉じて悔恨の表情を浮かべ、

「ごめん、ユリちゃん……。私、今のユリちゃんを否定することしか考えてなかった。でも、そうだよね。私を傷つけて一番辛いのは、ユリちゃんだよね」

「アリスちゃん……」

 百合色から呆然した声が漏れた。彼女はもはや後戻りできないところまできてしまっているのを自覚している。しかしここで折れてしまったら、これまで感情を殺して行ってきた自分の所業が無意味になってしまうのだ。

 二人を静観していたジンガはふと思い出す。

(そういや、あんとき……)

 オーディションでアリスを襲撃した後のこと、車内でヘルメットを取り外した百合色はゴミが入ったと言って目を擦っていた。しかし、直前までフルフェイスヘルメットをしていた人間の目にゴミが入るというのは妙である。

(やっぱ無理してやがったか……リリの奴)

 百合色はずっと、アリスの夢を破壊しようとしていた。それが自分の思い出を守るためという行為の結果だとしても、もとは健全なアイドルファンだった彼女には計り知れない傷となっていたのだ。

 アリスは申し訳なさそうに、しかし優しい声音で語りかける。

「ファンを悲しませて泣かせるアイドルなんて最低だ。私はユリちゃんの心を折るんじゃなくて、変えなきゃいけなかった。アイドルらしく、ライブで……。私は希望を届けるために、FDのみなさんを呼んだんだから。アイドルになったんだから!」

 抱擁を解き、アリスは昔と変わらない笑みを浮かべた。百合色は涙を流しながら彼女を見つめ返す。

「十三さん、最後の曲を──」

 アリスが時柴へと呼びかけたそのときだった。ステージ正面の空間に波紋が生まれたのだ。それは一瞬にして大きな波となり、歪みと化し、黒く染まり、そして……、

「まずい、虚人ヴォイダーだ!」

「また乱れが……!」

 レツとクイナが戦慄したように叫ぶと同時に、上半身だけの首無しの怪物が顕現した。これまでと比べて明らかにサイズが小さく、ライブハウス内に収まっている。

 時柴は鬱陶しげに舌打ちをした。

(さっきので五回目の死か……。いいところで現れやがって)

 アリスが最高のパフォーマンスをできるだろうタイミングでの虚人ヴォイダーの出現。これは時柴からしても間が悪いとしか言えなかった。

「何だありゃ……」

 その目に怪物を見たジンガが唖然とした声を漏らした。ゴエモンも顔に恐怖を滲ませている。

「な、何なの、あれ……」

 ステージの上で百合色が驚愕して口もとを押さえる。アリスはもどかしそうに奥歯を噛んだ。

「こんなときに……! ユリちゃん、危ないから離れてて」

 漆黒の虚無の右手にこれまでの巨剣とは形状の異なる細長い長剣が現れ、高々と掲げられた。長剣はライブハウスの天井をすり抜けている。

(あいつに殺されながら最高のライブなんてできない。消えるまで殺され続けるしかないけど、途中で警察がきちゃったら……)

 FDの彼らは逃げるか捕まる。初めは逮捕されるならそれでもいいと思っていたが、今はそれでは駄目なのだ。変わってしまった大切なファン第一号に認めてもらわなくてはならない。

 アリスは虚人ヴォイダーを見上げながら一歩ずつ下がっていく。

(この攻撃……縦斬りは絶対避けなきゃ。衣装が横に裂けるぶんにはまだ何とかなるけど、MVのときみたいに縦に裂けたらライブどころじゃ──っ!)

 自分の血溜まりに右足を取られてバランスを崩した。どうにか転倒するのは防いだものの、

「君乃さん避けて!」

 クイナの必死の叫びが反響する。虚人ヴォイダーが剣を振り下ろしたのだ。

(やばっ! 真っ二──)

 頭部から股にかけて一刀両断されるのを覚悟した。……しかし、痛みは襲ってこない。代わりに、とん、と真横から突き飛ばされる。

 そして、振り下ろされた長剣が百合色の右腕をあっさりと斬り飛ばした。

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