最後の曲
アリスの目の前で鮮血が舞った。ぼとりという無機質な音とともに百合色の右腕が傍らに落ちる。血溜まりの中に百合色が力なく倒れた。切断面からとめどなく血が漏れ出ている。
尻もちを着いていたアリスはその状態のまま表情を硬直させていた。目の前の現実を脳が処理できない。というよりも、受け入れられないのだ。
「リリ!」
傷つけられた仲間の姿にジンガが吠え、リュックから拳銃を取り出すと
埒外の展開の連続にジンガはもう驚くことしかできない。するとレツが苦々しい表情で、
「無駄だ。
「……不死身のアイドルといい、あの化物といい、頭がおかしくなりそうだ」
ジンガは頭を抱えながら不快げに吐き捨てた。
ステージのアリスは顔を凍りつかせたまま、血溜まりの中を四つん這いで百合色のもとへ向かう。
「ユリ、ちゃん……大丈夫……?」
ピクリとも動かない百合色に語りかけるが、返事はない。アリスの心臓の鼓動が跳ね上がっていく。
「君乃さん、またくるぞ!」
レツの声が響き渡る。アリスが
ショックで震えて力が入らない足にどうにか気合を入れて、アリスは斜め前に転がる。突き出された長剣がすぐ真横を通り、剣先が壁を透過した。続けて、そのまま長剣がアリスの方向に振り抜かれる。
「……っ!」
アリスはステージに伏せてどうにか刃を回避した。そこで、角度的に顔が見えるようになった百合色と目が合う。……彼女は微笑んだ。
(ユリちゃん、まだ生きて……!)
途端にアリスから涙が溢れ、言葉が爆発する。
「どうして庇ったの⁉ 私が死なないの何度も見たじゃん! あんなに殺そうとしておいてどうして守ろうとしたのさ⁉」
頬を伝って落ちた涙が血溜まりに波紋を作った。百合色は力なく口を動かし、か細い声で、
「仕方……ないじゃない……。だって、私たちは、アイドルとFD、以前に……友達なんだもの……」
「え……?」
百合色は死に体の身体を動かして仰向けになった。眩い照明を見上げながら、
「アリスちゃんを殺す覚悟は、とっくにしてた……。でも、アリスちゃんが誰かに殺される覚悟は、してなかったの……。だから、死なないとわかっていても、身体が勝手に……動いてしまったわ……。本当に、馬鹿ね……私は……」
「本当だよ……ほんとに馬鹿で勝手だよ! 私にアイドルの夢をくれておいて、それなのにアイドルのこと潰そうとして、私のことも殺そうとして……だけど私を守って……」
泣き叫ぶアリスなど気に留めるはずもなく、
百合色は朦朧とした意識をどうにか保ちながら口を開く。
「でも、これでいいのよ……。私はあまりにも、人を傷つけ過ぎたわ。だから、これでいいの。多くの人の夢を奪ったんだから、無意味に死ぬのが、一番いい……」
目を瞑り、百合色はやがて訪れる死を待ち構える。体温が下がっていくのを感じた。沼の中に身体が沈んでいくようだ。彼女の目尻からは涙が零れ落ちていた。
「ユリちゃん……」
その涙を見たアリスは拳を固く握りしめる。血が染み付いた袖で涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
「……させないよ」
「え……?」
百合色は目を開いてアリスを見上げる。そのアイドルは闘志の宿った力強い瞳をしていた。
「確かにユリちゃんは、悪人だと思うよ。だけど私のファンだから……。だから、涙では終わらせない」
アリスは視線を
更なる血がステージを汚し、アリスは片膝を着いた。レツとクイナは悲痛な表情で顔を覆う。凄まじい激痛を感じたが歯を食いしばって叫ばない。やがて一瞬にして腕がもとに戻る。
すると時柴が顎に右手を添え、
「こいつ、MVのときからさらにサイズが小さくなっているな。半分以下だ。どういうことだと思う、ジンガ?」
「だから知らねえっつってんだろ」
ジンガが苛立たしげに吐き捨てた。
「ライブハウスに合わせて姿を調節したのか……?」
時柴のその疑問にはレツが答える。
「あれはそんな風に空気を読むような存在じゃない。……思うに、
「一体、どのくらい滞在時間が増えるのかしら? 半分以下の大きさになったから、まさか単純に二倍以上……?」
クイナが顔をしかめながら言った。すると、
「なんだっていいです。そんなことは」
立ち上がったアリスがステージの中央へ歩いていく。
「十三さん、最後の曲をお願いします」
「了解した」
時柴はスマートフォンを取り出す。それに反論するのはTomorrowsの二人である。
「本気かい⁉ わかっていたことだが君たちは正気じゃないぞ!」
「これ以上理が乱れないよう逃げるべきよ! いえ、乱れとか関係なく普通は逃げるでしょ⁉」
「うるさいぞ。アイドルがライブをやると言っているんだ。プロデューサーが止めてどうする。それより──」
時柴は傍らに置いておいたバッグから取り出したものをレツたちの方へ投げた。レツ、クイナ、ゴエモンが慌ただしくキャッチする。
ゴエモンは受け取ったものをまじまじと見つめた。
「これは……ペンライト?」
「何これ……?」
「僕たちにどうしろと?」
反応に困っている三人を無視して、時柴は隣のジンガにもペンライトを差し出す。
ジンガはそれにじっと目をやり、
「どういうつもりだ?」
「どうもこうも、アイドルファンの神器だ。見るからには楽しんでもらう。……それともあれか? お前は初めて聞く曲にはペンライト振るのを合わせられないのか?」
不快そうに眉をひそめませたジンガが時柴の手からペンライトを奪った。
「舐めるな。そのくらい余裕だ」
時柴は満足げに頷くとアリスのいるステージに目を向けた。そして、ポケットから取り出した小物を勢いよくアリスへ投げる。
「うえっ⁉」
驚きながら両手でチャッチしたアリスはそれを見て息を飲んだ。
「控え室にいったときお前のバッグの中から拝借しておいた。この展開を予想していたわけではないが、あった方が力が出ると思ってな」
何を勝手に、とつっこみたかったアリスだったが、今回ばかりは感謝した。
アリスは受け取った白いウサギの髪飾りを装着すると、アイドルらしい笑顔を百合色へと向けた。
「特等席で見てて、ユリちゃん。貴女の最高のアイドルの、最高のライブを! 途中で死んだら許さないから!」
そして、観客スペースにてこちらを静観している悪魔のようなプロデューサーと、テロリスト二人と、カルト思想に染まっている二人、そして虚無の怪物を見回した。不死身のアイドルのイカれたライブに相応しいオーディエンスだ。
アリスは笑顔で宣言する。
「最後の曲は、私が一番気に入っている曲です。では、聞いてください! 『好きと言うまで!』」
時柴がスマートフォンを操作する。疾走感溢れるポップなイントロがライブハウスに響き渡り始めた。君乃アリス、最初の大一番が始まった。
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