偶像堕としのリーダー

「まさか一曲もできないなんて……」

 夕方。時柴の運転するトラックの助手席にてアリスはため息を吐いた。

「FDの連中、まさかいきなり爆弾を投下してくるとはな。幸い客に大した怪我人はいなかったが、下手したらアイドルと邪魔する者以外は殺さないという奴らの流儀に反していた可能性もあっただろうに。それほどお前という存在を恐れたのかもしれんが」

 時柴はハンドルを切りながらいつもの調子で言った。

 ドローンから投下された爆弾の爆風にアリスは盛大に巻き込まれた。公園は言うまでもなく大パニックになり、客に紛れていた刑事たちが人々を落ち着かせるという事態になった。

 アリスは爆発によって運良く真後ろに吹き飛んだので爆炎によって隠れられ、観客スペースからは不死身を見られずに済んだ。

 その後は当然イベントの再開などできるわけもなく、この時間まで警察の事情聴取に付き合うこととなった。警察によると、爆弾もドローンもFDがよく使っているものらしいので、彼らによる犯行で間違いないらしい。

 ちなみに、観客も警察もみんな、アリスが無傷なことに驚いていた。どうにか後ろにすっとんで回避したと説明はしたが。

「レツさんとクイナさん、飛び去っていったドローンを追いかけていきましたけど、大丈夫なんでしょうか」

「知らん。……役に立たなかったな、あいつら」

 アリスはスマートフォンを取り出してSNSを開く。

「このこと、もう話題になってますね。あ、爆弾が投下された瞬間の動画まで上がってる」

「どういう意見が多い? ネガティブかポジティブか」

 アリスは呟きを見ながら唸り、

「どちらかというと『凄い!』みたいな意見が多いですかね。『アリスちゃんまじで不死身かよ』『これもう最強のアイドルだろ』『FDダッサ』とか。もちろん、危険だからアイドル辞めるべきではみたいな意見もありますけど」

「帰ったら即動画上げるか。ライブをまともにできなくて残念なのはわかるが、話題になったからよしとするぞ」

 アリスはこくりと頷いた。

「そうですね。一応少しだけ踊りましたけど、緊張で力が発揮できないみたいな感じはしなかったので、それは収穫かもです」

 やはりそれなりにショックではあるものの、この事態も想定内ではあった。二人とも切り替えは早い。

 大型トラックは道を進み、時柴は事務所からやや離れた駐車場に停める。アリスと時柴は茜色に染まる空の下、とぼとぼと事務所へと歩いていく。

 使う度に不安になる錆びついた階段を上がり、時柴が事務所の扉に鍵を差し込む。

「……ん?」

「どうかしたんですか?」

 訝る時柴にアリスが首を傾げて尋ねた。

「鍵が開いている」

 時柴は鍵を引き抜くとドアノブを捻る。そのまま引くと、扉はすんなりと開いた。確実に鍵は閉めたはずだった。アリスの顔が緊張感に包まれる。

 扉を開け放つ。ブラインドの隙間から夕陽が差し込む薄暗い部屋のソファに一人の男が座っていた。ボサついた髪に鋭い目つき。ライダースジャケットの上からでもわかる筋肉質な身体。そして、気怠げで危険な雰囲気。テレビで何度か見た、そしてつい先日には生で見た男の顔だった。

 背もたれに全体重を預けて脱力していた男は、上体を起こして両膝に肘を置いた。掠れた声を発する。

「よお、お邪魔してるぜ。時柴十三、君乃アリス……」

 偶像堕としフォーリンダウンのリーダー、ジンガはにやりと笑ってみせた。


       ◇◆◇


「け、け、けけけ警察……!」

 突然の指名手配犯との接触にパニックになったアリスは目を回しながらスマートフォンを取り出す。

 ジンガは顔をしかめた。

「おいおいやめてくれよ。せっかくお前らと話すために三時間も待ってたんだぜ? その時間がパーになっちまう」

「は、は、話すことなんて何もありましぇん!」

 混乱中のアリスは一一九をプッシュする。時柴がスマートフォンを取り上げた。

「かけるならちゃんとかけろアホ」

 彼はジンガに目を向け、

「俺もお前には興味がある。少しだけだがな」

「俺は興味津々だがね、お前らには」

 テロリストの親玉相手にも一切気圧されることなく、時柴は彼と向かい合うようにソファに座る。アリスもびくびくしながら彼の隣に座った。

 ジンガは怪訝そうにアリスをじっと見つめる。

「お前、なんで生きてるんだ? さっきの爆弾、リリは完璧な位置に投下したはずなんだが……。それにこの前は確実に胸と頭撃ち抜いただろ」

「そ、それは……」

 言い淀むアリスに時柴が助け舟を出す。

「見間違いだろう。俺の目にはそうは映らなかったぞ」

「んなわけあるかよ。……ったく。これでお前らはまた話題になるわけだ」

 ジンガはうんざりしたように頭を掻いた。

「考えたとしても、普通はやらねえぜ。プロモーションに俺らを利用するなんざ。タレント殺されたら終わりだからな」

「お前らの殺しっぷりが甘いおかげだ」

 時柴の煽りにジンガは苦笑するしかない。

「既にSNSじゃ二度もターゲットを仕留め損なった俺らを馬鹿にする言葉で溢れているが……。まさか面と向かって言われるとは」

 ジンガはジャケットの懐から拳銃を取り出してアリスに向けた。

 アリスは眼前にきた銃口を見つめることしかできない。ジンガは訝しげに眉をひそめた。

「さっきまでびびってたくせに、銃には無反応なんだな」

「え、いや……だって、FDはライブ中のアイドルしか狙わないって……」

 咄嗟に言い訳をする。

「だからってノーリアクションは心臓に毛が生えてるどころじゃねえぞ。……お前、親御さんはアイドル活動についてなんて言ってんだ? 普通ならこのご時世にアイドルなんて反対されるだろ」

「そのご時世を作ったのは殆ど貴方たちじゃないですか……。うちの親は超放任主義なので、何も言ってきません」

 アリスは目を逸らしながら言った。

「ほお。闇の深そうなご家庭みたいだな」

「ほっといてください!」

 アリスが不愉快そうに言うと、ジンガは拳銃をしまった。ふてぶてしく脚を組み、

「お前らの目的はなんだ? 二度も命を狙われてまでアイドルに拘る理由がどこにある」

「アリスはアイドルになるのが夢だった。俺は理想のアイドル像をアリスに見出した。それだけだ。ただ、やるからにはアイドル暗黒時代も終わらせるし、進藤レイラも超える。アリスにはそれだけのポテンシャルはあると判断した」

 もう何度か言われたことながら、アリスは恐縮そうに肩を縮めた。

 ジンガがその鋭い目でアリスを見据える。蛇に睨まれたカエルのように、アリスは硬直してしまう。彼は呆れたようにため息を吐いた。

そんなこと言ってんのかよ。俺の目には、こいつは歌も踊りも並かそれ以下のアイドルにしか見えねえがな」

「だが、お前たちの襲撃から生き残ることができた。それだけでも今の時代では大きな意味を持つぞ」

 淡々とした時柴の意見にジンガは返す言葉を失う。多くのアイドルが殺されているこのアイドル暗黒時代に、二度も殺されかけても生存したアイドルが現れた……。新しい時代の産声に聞こえなくもない状況だ。

「俺からも質問がある」

 時柴はジンガを生気の抜けた目で真っ直ぐ見据えた。

「お前たちFDの行動理念、偶像アイドルを人に戻すというのは、一体どういうことだ?」

 FDは行動理念のみ世間に公表しているものの、その意味に関して謎に包まれている。FDとしてはこれだけで伝わると思っているのか、端から世間の意見なぞに興味がないのか定かではないが、周りとしては意味不明すぎてそんな理由でアイドルが殺されるというのは理不尽そのものだ。

 ジンガはつまらなさそうな表情で脚を組み替える。

「アイドルってのは、ファンの期待……理想と願望、妄想を押し付けられて生きているだろ?」

「そうだな」

 時柴は考える間もなく頷いた。アイドルには交際経験などないし、アイドルはファンサービス旺盛でなければならないし、アイドルは同じグループのメンバーと非常に仲良しでなければならない。ファンのアイドルに対する考えの押し付けなど、挙げればきりがないだろう。

 アリスは以前、イベント開催すると時柴が決定したときに彼から無根拠で真っ直ぐな期待を向けられたことを思い出す。あのときは時柴を恐れたが、今思えばあれは単に重い期待から逃れたかっただけなのかもしれない。

 ジンガは気怠げに時柴へと尋ねる。

「それを裏切ったアイドルはどうなる?」

「批判される。自分は気にしない、勝手に期待して裏切られてるファンが悪いと言う者は現れるが、たいていの場合、そいつの持っていた数字は減る」

「そう。そうなんだよ。特にアイドル黄金時代は酷いものだった。光あるところに影があると言うべきか、毎月、毎週、毎日のように活きのいいアイドルが現れていたんだ。ファンの期待に添えなかったアイドルたちがどうなるかは想像に難しくないよな」

 ファンから捨てられ、新しいアイドルたちに乗り換えられるだろう。

 アイドル黄金時代は華やかではあったが、アイドルたちのスキャンダルも耐えない時代でもあった。盛り上がっているところにマスコミが目を光らせるのは当たり前である。そして、ずっとプロであり続けられるアイドルなど滅多にいないのも当たり前なのだ。

「ファンを裏切ったアイドルの末路としては、お前とも縁深いアナカラが良い例だろ。ゴールデンタイムでメンバーを見ない日はなかった彼女たちだが、お前を失って一年も経たずメンバーの半数が問題を起こして脱退。武道館ライブのチケットが数分で売り切れていたアイドルグループのラストライブが、さして大きくもない箱を埋めきれずに終了だ。控えめに言って異常だろ」

 ジンガは嘆かわしそうに首を振った。

「スキャンダルで終わったアイドルたちは、それなりに名前が知れ渡っていた場合、周りから嘲笑されて生きていくことになる。けど誰もそのことを同情しない。何故ならファンを裏切ったからだ。勝手な話だが、それがアイドルの業でもある。仕方ない」

 ジンガは天井を仰ぎながらため息を吐く。

「こういうのは、アイドルにとってもファンにとっても好ましくない事態だ。だがアイドルにもプライベートはあるし、アイドルに期待しちまうのがファンだ。それをどうこうすることはできない。そこで、俺が立ち上がったのさ」

 アリスは首を傾げた。

「どういう、ことですか?」

「アイドルがアイドルとして死ぬからこの手のことが起こるんだ。……だがな、アイドルではなく、人として死ねばそうはならない」

「人として、死ぬ……」

 それが物理的な死を意味していることは明白だろう。

「人は死ねば聖人も悪人も賢者も愚者も、何も成せないただの人に戻る。他者からの認識は生前の記憶のまま固定化され、印象が更新されることはよっぽどない。これが何を意味するかわかるか?」

 アリスと時柴は答えなかった。ジンガは両手を広げて笑った。

「俺たちはアイドルがアイドルとして死ぬ前に人として殺すことで、綺麗なままアイドルを卒業させてやっているんだ。卒業したら、アイドルもただの人だからな。それこそが、偶像アイドルを人に戻すということだ」

 この理由を聞いて彼らのやっていることに納得できる者はどれくらいいるだろうか。おそらく果てしなく少ないだろう。理由として倫理観が明らかに狂っているから……であるが、アリスはそれとはまた別の理由で納得いっていなかった。

(何だろう……この人と話したのは初めてなのに、心にもないこと言ってる気がする)

 言葉の一つ一つに薄っぺらさを覚えたのだ。同じく意味不明なことをのたまっていたレツとクイナからは溢れていた熱さが、まるで感じられない。

 時柴も同様だったのだろう。彼はため息を吐いた。

「そのご高説はなかなか興味深いが、お前がアイドルを殺すのはそんな理由ではないな?」

「あ?」

 ジンガは不快げに目を細める。

「何をもってそう思うんだ?」

「お前の話には大きな穴がある。人は死んだら何も成せない、人として殺すことでアイドルを卒業させる。お前はそう言うが、

 アリスははっとなった。

「進藤、レイラ……」

 死んで尚、アイドル業界に凛然と輝き続けている不滅のアイドル。彼女の死はアイドル黄金時代を生んで日本を盛り上げたが、そんな中でもトップはレイラだった。アイドル暗黒時代の今でも、多くの人から変わらず支持されている。そんな彼女は果たして、死んでから何も成していないのか? アイドルを卒業したと言えるのだろうか? 

 否だ。未だに多くの人に希望を届け続けている。彼女は依然として日本国民の胸の中でアイドルとして生き続けているのだ。

「今の話の内容でレイラに触れないのは不自然極まりない。……敢えて触れなかったんだな。本当の理由がそこにあるから。嘘を吐くのが下手だな、ジンガ」

 虚実を入り交ぜるのが上手い嘘の吐き方であると時柴は考えている。しかしジンガは、それに触れると墓穴を掘ると考えたのか、心に一切思っていない話しかしなかった。言葉に熱も厚みも乗るわけがない。

 だが、時柴はそれを愚かとは思わなかった。自分が同じ立場でも、彼と同じような嘘の吐き方をしただろうと思ったからである。……ジンガがそれに少しも触れなかったのは、おそらく少し触れただけでも感情をコントロールできなくなると判断したからなのだろう。

 俯いたまま黙り込むジンガに、時柴は僅かに目を伏せながら言う。

「俺とお前たちは同類だとずっと思っていた。……俺と同じで、進藤レイラに狂わされた口なんだろう?」

 しばらく黙っていたジンガは力なく上を向くと、ボロボロの天井にため息を吐きつけた。

「お前らのことがどうしても気になったから会いにきちまったんだが、やっぱ失敗だったか」

 彼は諦めたように呟くと、

「……レイラがよく言ってたんだ。アイドルを引退するときは『普通の女の子に戻ります』と言うんだって。往年の人気アイドルのオマージュだな」

 先ほどまでの威圧感が嘘のように思えるほど消え入りそうな声で言った。時柴は眉をひそめる。

「確かにレイラはアイドルを引退するときは芸能活動ごと辞めると、インタビューで語っていたな。だが、その名言を引用するつもりという話は聞いたことがない」

「そりゃあ、引退のことを詳細に語るなんてファンを不安にさせるからな。あいつがそんな話をするわけねえさ。……俺たち以外にはな」

「貴方は、一体……? 進藤レイラさんとどういう関係なんですか?」

 アリスは小首を傾げた。明らかに一ファンとは一線を画す関係性を感じたのだ。

 ジンガは何の覇気もない声で答える。

「俺は、レイラと同じ孤児院で育った……だ」

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