イベントスタート
「なんか……めちゃくちゃ人きてませんか?」
アイドル衣装に身を包んだアリスが、トラックの荷台の中から公園の様子を覗きながら呟いた。
イベント開始時刻である十時が近づいている。それに従って、百をいうに超える人数の人だかりが野外ステージにできていた。
ステージはオーディション会場よりもルーフが小さく、観客スペースも狭い。にも関わらず、あのときよりも遥かに多い人数が集まってきているのでほぼすし詰め状態である。
「ざっと五百人以上はいるな。人の多さを見て帰る者も含めればもっといくか」
トラックの前で腕を組んでいたレツがやや驚きながら呟く。
「
クイナが顎に手を添えながら首を傾げた。彼女は観客スペースにいる一部の客からチラチラと視線をもらっている。謎の外国人美女が気になるのだろう。
レツがうんざりしたようにため息を吐いた。
「何が楽しくて朝からこんなに大勢で並ぶのか……。そんなにアイドルというものに魅力を感じるのか?」
「邦ロックは嫌いじゃないけれど、アイドルソングにはあまりそそられないわね」
クイナも腕を組んで追従した。アリスは荷台の中から尋ねる。
「お二人は進藤レイラも知らないんですか?」
「当時は本部にいたからね。海外でも有名だったから名前は知っているが、それだけだな」
「当然、アイドル黄金時代なんてものも知らないわよ」
レツとクイナは興味なさそうに答えた。時柴が珍しく憐れむような口調になる。
「まあ進藤レイラとアイドル黄金時代を経験した者とそうでない者の間には、アイドルに対する熱量に絶対的な隔たりが生まれるからな」
その言葉にクイナが呆れたようにため息を吐き、
「その熱で生まれたのが馬鹿みたいなテロリストじゃ世話ないわよ。そもそも
「まったくだな。
アリスと時柴は荷台の中からそんなことをのたまう二人に冷たい目を向けた。一度殺されたアリスからしたら、この二人もFDと大差ない。
時柴はいつも通り抑揚のない声で言う。
「こちらとしてはFDに襲われても話題になるからおいしいが、結局はパフォーマンスを見せなきゃアイドルとして評価はされない。どちらでも構わないが、せっかくこれだけの人がいるんだ。ちゃんとしたライブをやらなきゃ損だろう。……ということだから、しっかり守れよ。お前たちはそのためのボディガードなんだからな」
「当然だ。ライブはどうでもいいが、理が乱れたら困るからな」
「なんちゃってテロリストに遅れを取る私たちじゃないわよ」
荷台の外でレツとクイナが頷く。
「とはいえ、油断できないのも確かではあるが……」
レツが神妙な面持ちで呟いた。彼は腕を組むと、
「少し連中について調べてみたが、とても少人数とは思えない組織力を誇っている。三年間も活動を続けながら警察から逃げおおせるなんて、並大抵のことではない」
「日本の警察が無能なんじゃない?」
クイナが悪気のない声音で言った。レツは首を横に振り、
「それだけではとても説明がつかないのさ。追ってきた警察を全員無力化させることもざら。その他、警察の捜査情報を知っているとしか思えない動きも多々見せている。おそらく、尋常ではない存在が向こうにもいるんだ」
時柴が眉をひそめた。彼の語る存在とは即ち、
「FDの中にも外れ者がいる……と?」
「可能性としては十分考えられる。それなら奴らがどれだけ派手に暴れても、保有する能力次第では警察に捕まることはまずない」
アリスはごくりと唾を飲んだ。これまでは考えたこともなかった切り口の話である。世間では
クイナが面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「上等じゃない。
レツも頷くと、二人はトラックから離れると、見張りのため観客スペースの方へ向かっていった。
時柴は緊張で硬直しているアリスに目を向ける。
「奴らがどこまで役に立つかは疑問だ。FDに襲われた場合のことを確認しておくぞ」
「は、はい」
「とりあえず撃たれたらほとぼりが冷めるまでそのまま死んだふりをしておけ。その後、周りに人がいたら、FDがステージを爆破すると煽って人払いをする。奴らがステージを爆破したら、それに紛れて戻ってこい」
「わ、わかりました……!」
本当にわかっているのかと時柴が言いたくなるほど、アリスは目に見えて緊張していた。そわそわと忙しなく動いているものの、その全ての動きがロボットのようにいちいち固いのだ。
「深呼吸しろ」
「あ、はい」
アリスは震える喉に目一杯空気を吸い込み、そして吐き出した。それを何度か行い、どうにか心を落ち着かせる。彼女は時柴を見上げ、
「わ、私の心音、聞こえてたりします?」
「聞こえないから安心しろ」
その情報にアリスは僅かに安堵した。すると、思い出したことがあって置いてあったバッグへとしゃがみ込んだ。中から白いウサギの髪飾りを取り出すも、すぐに手を止める。
「FDがくるかもなら、つけない方がいいですよね……」
再びバッグに戻した。時柴は目線だけを彼女に向けたまま、
「オーディションのときにもつけていたな。『私の恋は賽の河原』のMV撮影のときもつけようとしていたか」
ついでに、アリスの二曲目である『
アリスは微笑みながら髪飾りを見下ろした。
「これは、友達からもらったものなんです」
「オーディションのとき話していた、アイドルを目指すきっかけになったという友達か?」
時柴の問いにこくりと頷く。
「彼女……ずっと入院していたので、これくらいしかプレゼントするものがないって言っていたんですけど、それでも私は嬉しくて……。ここぞってときにつけるようにしてるんです」
そのため、十年選手ながらまだ白さを保っている。流石に血まみれになったときは終わったと思ったが、洗ったらどうにかなった。
時柴はその話に興味を示したようだった。
「その友達は幼なじみか何かだったのか?」
「いえ、お祖父ちゃんが入院したとき、病室が同じだったんです。お見舞いにいって退屈そうにしていた私にグラシュの曲をいくつか聞かせてくれたのが出会いでした。それから、お祖父ちゃんのお見舞いにいく度に遊び相手になってくれて……」
アリスの顔が僅かに落ち込んだ。
「進藤レイラの大ファンだったんです、彼女。レイラさんの活躍やグラシュの曲を支えに闘病生活を続けていたんですけど、あの事件があって……。抜け殻のようになっていた彼女を元気づけるために、グラシュの曲と振付を覚えて披露したんです。微笑ましいどころか寒々しいクオリティだったと思いますけど」
アリスは苦笑いを浮かべる。
「でも彼女は喜んでくれたんです。私もそれが嬉しくて、人にもっと希望を届けたいと思うようになりました。アイドル暗黒時代でも夢を失わずにいられたのはこの思い出のおかげです」
時柴はやや驚いて息を飲んだ。
「それがお前のルーツにして原動力か……。自己紹介のあれはオーディション受けを狙ったでまかせではなかったんだな」
「違いますよ⁉ ちゃんと実話です!」
「花村さんは『あれは絶対嘘と見たね。僕の勘はよく当たるんだ』と言っていたんだがな」
「ひ、酷い……!」
あのときフォローしてくれたと思ったのに……と憤るが、当人は既に死んでいるので発散する場所がない。
アリスはため息を一つ吐き、荷台の隙間から青空を見上げる。
「私のこと、見てくれてるかなあ……ユリちゃん」
アリスは懐かしむように呟いた。そのまま物思いに耽っていると、腕時計で時間を確認していた時柴が口を開いた。
「そろそろ十時だな」
その一言でアリスの身体が再び強張った。友人の話で落ち着いていた心がざわめき出す。
ガチガチ震えるアリスを見て時柴はため息を吐いた。
「まだ緊張しているのかお前は」
「す、すみません……」
彼女にイカれた覚悟があるのは時柴も知っているが、覚悟が決まらなければ脆いのも把握している。オーディションの際も、FDが現れるまではてんで駄目だった。
「これまでの人生で最も自己顕示欲が満たされた瞬間を思い出して、それを三度唱えるんだ。馬鹿な人間はこれで緊張が吹き飛ぶ。そしてお前は馬鹿な人間だ」
「はあ……」
失礼極まりないことを言われて顔をしかめるアリスだったが、それはそれとして胸に手を当てて記憶を振り返る。アイドルになってインターネット上やリアルにおいて、多くの注目を集めることになった。それらは間違いなくアリスの承認欲求、自己顕示欲を満たすことに繋がっただろう。しかし、一番の出来事となると、すぐに決まった。
「私は中学のとき男子に告白されたことがある……」
「はあ……?」
珍しく時柴が困惑したような表情になった。
「私は中学のとき男子に告白されたことがある。私は中学のとき男子に告白されたことがある! よしいける!」
「あ、そういうことか。それでいいのか? 他に何もなかったのかお前の人生?」
時柴のつっこみは聞こえない。凄まじいまでの自信がアリスの心に満ち満ちていく。圧倒的な全能感を抱きながら、アリスはトラックの荷台を開けた。
トラックから現れた君乃アリスに会場が僅かにどよめいた。そこから出てくるんかい、というつっこみ的な空気が周囲に蔓延する。
観客スペースの周囲を警戒しながら練り歩いていたクイナは、時柴から持たされていたヘッドマイクのスイッチを入れ、
「君乃アリスの登場です。拍手でお迎えくださーい」
事務的な声を響かせる。先ほどからそれなりに視線を受けていたクイナだが、さらに注目が集まった。それでも、流石にステージにアリスが足を踏み入れると、ぱちぱちと大きな拍手が彼女に送られる。スマートフォンを掲げて撮影している者も多い。
クイナなヘッドマイクのスイッチを切り、インカムに口を近づける。
「レツ。怪しい奴はいた?」
『いや、いない。ただ、警察っぽい連中は何人かいるな』
「まあ、いてもおかしくないでしょうね」
FDを追う警察が一度襲撃を受けたアイドルのイベントを張り込むのは当然だろう。
警戒を続けるクイナの耳に、アリスの挨拶が聞こえてきた。
アリスはこれまで見たことのない大観衆を前に、やはり少しだけ物怖じするも、ヘッドマイクを通して公園に声を届ける。
「えっと、みなさん。本日はお集まりいただき、本当にありがとうございます! 正直言うと、こんなに大勢の人が集まったことに驚いています。みんな私じゃなくて十三さんに興味があると思っていたので」
その自虐ネタに観客の何人かが笑った。初のMCにアリスは手応えを覚える。
「だから本当は、髪型をオールバックにして出ようかとも思ったんですよ。ワックスでテッカテカにして! あはは」
静まり返る観客。アリスは二度と調子に乗らないことを誓った。
「あ、ええっと……今日はみなさんご存知かと思いますが進藤レイラさんがデビューした、アイドルの日ですよね。毎年盛り上がっていたのに、最近はそれも下火になって、SNSで話題になるだけです。あの盛り上がりを忘れられずにここへきたという方も、中にはいるんじゃないでしょうか?」
アリスはすうっと息を吸う。
「私はまだアイドルを名乗れるほどのことを何も成せていません! まだ炎上で話題になっているだけの小娘です! でも、今日、その炎上小娘から卒業して、アイドルの日を彩るような存在になってみせます!」
アリスは袖にいる時柴に目配せした。彼は頷くと、スマートフォンを操作する。
「一曲目は色んな意味で話題になった『私の恋は賽の河原』!」
アリスが構えると、イントロが流れ始めた。それに合わせてアリスはMVのときよりも洗練された動作で踊っていく。
クイナはそれには目もくれず、いつFDが現れてもいいよう周囲を警戒していた。すると、
「なあ、あれなんだろうな」
近くにいた観客の男の声が聞こえた。連れの男が反応する。
「あれって?」
「ほら、あれだよ」
クイナが声の方向を見ると、男がルーフを指差していた。ちょうど、アリスの真上にあたる位置だ。
クイナは何の気なしに男の指先に視線を向ける。黒い物体がアリスの頭上を飛んでいた。
(あれは……ドローン? まずいわ……!)
そして、目を見開く。そのドローンは明らかに何かを吊り下げて飛行しているのだ。
クイナはヘッドマイクをオンにして叫ぶ。
「君乃さん上よ! 逃げて!」
「……?」
いきなり放たれた鬼気迫るクイナの声にアリスはパフォーマンスを中断して上を見た。
ドローンが吊り下げていたものを切り離した。それはちょうどアリスの目の前に落下する。そして……。
君乃アリス初めてのリアルイベントは開始二分で爆炎に包まれた。
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