偶像へ至る

「俺は、レイラと同じ孤児院で育った……家族だ」

 これにはアリスはもちろん、時柴すらも目を見開いた。

 ジンガは何の気力も持たない、時柴のような目を二人に向ける。

「俺は……あいつを、アイドルから卒業させてやりたいんだ。普通の女の子に戻してやりたい。だからアイドルを殺すんだ」

「ど、どうしてそうなるんですか?」

 あまりにも飛躍を感じたアリスが尋ねた。

 ジンガは天井にだらりと右手を広げて伸ばす。

「レイラは、あの悲劇的な死で、ある意味アイドルとして完成しちまった。俺にはどうしようもないほど、誰の手も届かないところにいってよ……。あいつは俺たちのところに、帰ってこられなくなった」

 ジンガは伸ばした右手を握りしめる。

「だったら、手の届くとこまで引きずり下ろすしかねえ」

 気怠げな彼の瞳に狂気の光が宿った。

「アイドルという職業を徹底的に貶めて、アイドルという概念を叩き潰して、誰もアイドルに興味ない世界を作る。そうすれば、誰もレイラに期待しなくなる。誰もレイラについて話さなくなる。みんな進藤レイラを忘れてくれる。そうなりゃ、レイラはアイドルを卒業できるんだ……」

 階段も何もない天にも届くほどの塔の頂上へと至るためにはどうすればいいか。足場をせっせと拵えて上る、空を飛ぶための手段を作るなどの選択肢がまず浮かぶだろう。しかし彼が選択したのは、塔を根本から崩して塔を頂上ごと地面に突き落とすことだった。おそらく最も簡単な方法だ。それでいて、大事なことを度外視した最低な方法でもある。

 彼の呆然とした言葉に、アリスは膝の上に置いていた手を固く握りしめた。緊張からではなく、純粋な怒りから。

「なんですかそれ……。そんなの貴方のエゴじゃないですか! お二人の間にどんなやり取りがあったかなんて、そんなのはわかりません。でも、レイラさんがいたから今のアイドル業界がある。日本のアイドルという概念は、もはやレイラさんと密接に繋がっています」

 あのオーディションに参加していた三人は全員進藤レイラをルーツとしていた。アリス自身も直接ではないにせよ、アイドルを夢見た理由に進藤レイラは関係している。アリスやあの三人以外にだって、彼女に影響を受けたアイドルはいくらでもいるはずだ。

 アイドルの日である今日だって、SNSでは進藤レイラは話題になっていた。亡くなってから十年間も彼女が話題になり続けているのは、彼女こそがアイドルだったからだ。アイドルが話題になれば自然と進藤レイラへと行き着くのだ。

「アイドルを貶めることは、レイラさんを貶めることにもなるのに……親しい人からそんなことされて、レイラさんが喜ぶわけないじゃないですか! ずっと応援していてほしいに決まっています!」

 アリスは殆ど涙目で訴えた。自分とレイラの立場はそれこそ天と地と言っていいほど異なっている。しかし身近な者からは応援されたいということくらいはわかるつもりだ。

 彼女の言葉を聞いていたジンガは震える右手で顔を覆った。

「んなことはわかってんだよ……でも──」

 心底悔しげに吐き捨てる。

「……こうでもしないと、俺の記憶なかのあいつの笑顔すらも、いつか偶像になっちまいそうなんだ……」

 大切なものが枯れ果てたような笑みを浮かべていた。……アリスは以前時柴が言っていたことを思い出した。アイドルというものは、偶像にせもの偶像ほんものに見せかけるのが仕事なのだと。

 しかし世の中には当然、彼ら彼女らの本当の姿を知る者たちがいる。それでも、アイドルとして肥大化しすぎた進藤レイラは親しい者たちの手からも離れてしまった。それは言わば、誰も真実の姿を知らないアイドルとして理想的な偶像アイドルだろう。

 その一言にアリスは何も言えなくなる。これが本当の理由なのだ。死んで大きすぎる存在になった進藤レイラは、もはやアイドル以外にはなり得ない。アイドルではないレイラを知っていたジンガさえも、彼女のことを偶像アイドルとしか見られなくなっているのだ。

 偶像アイドルを……。それこそが偶像堕としフォーリンダウンなのだ。

 やり方は絶対に間違っているとアリスは思っている。倫理的にも物理的にも狂気しか感じない手段だ。しかし、その目的……死んだ家族の笑顔を守りたいという想いまで間違いだと断じることは、彼女にはできなかった。

 アリスはどうするべきかを考えた。言葉で言っても彼には響かないことは目に見えている。何も答えが出ないまま、彼女は本能で口を開いた。

「ライブをします。貴方たちなりのやり方でいいので、見にきてください」

「は?」

 それは時柴から漏れた声だ。ジンガは憮然とした表情でアリスを見やる。

「俺たちなりのやり方ってのは、そりゃ殺しにこいってことか?」

「はい。殺れるものなら殺ってみてください」

 アリスは真っ直ぐジンガを見据えながら即答した。その瞳には一切の恐怖が宿っていない。

「言うじゃねえか。そのライブでお前は何をするってんだ?」

「証明します。……何かを」

 断言するように答えるアリスにジンガは眉をひそめた。

「なんだそりゃ」

「自分でもわかりません。でも、必ず貴方たちに何かを伝えます」

 これまでにないほどの力強い表情にジンガは僅かに呆気にとられた。それから、彼はボリボリと頭を掻いた。ダルそうに立ち上がり、

「わけがわかんねえな。……ライブをやるなら好きにしな。俺らも、好きに殺らせてもらうからな」

 二人を鋭く睨みつけると、そのまま扉の方へ向かっていく。まだ逃がすまいと時柴が口を開いた。

「待て。もう一つ訊きたいことがある。……お前らは二度アリスを狙ったな。今日とオーディション。アイドルとして活動していた今日の方はともかく、何故オーディションを襲った?」

 ジンガは振り返ることなく、そのまま扉のノブに手をかけた。

「さてな。ただ、君乃アリス……お前が胸に手を当てて考えりゃ、わかるだろうぜ」

「え?」

 首を傾げるアリスにジンガは更に続ける。

「お前の敵は俺じゃねえんだからな」

 意味深な言葉とともにジンガは事務所を出ていった。薄暗い部屋にぽかんとした表情を浮かべるアリスと時柴だけが残される。

 時柴は思い出したようにアリスを見下ろし、

「お前、何勝手にライブをするとか言っているんだ?」

「す、すみません……つい……」

 アリスは苦々しい表情を浮かべると、申しわけなさそうに身を縮めた。時柴はため息を吐くと、

「急いで曲作りに取りかかるか」

 オールバックを撫でながら立ち上がるプロデューサーを、アリスは驚いたように見上げた。

「え、いいんですか⁉」

 時柴はいつも通り抑揚のない声で答える。

「どの道、近いうちにはやりたいと思っていたところだ。それにそろそろ、FDも鬱陶しいからな。これ以上は活動の邪魔になりそうだから、もう宣伝の役目を終えてもらう」

 彼はそう言って僅かに目を細め、声のトーンを下げた。

「ファーストライブは決戦だ。奴らを捕まえるか、あるいは──」

「改心させるか」

 アリスが神妙な面持ちで言葉を奪った。

 二人は目的を確かめ合う。もう偶像堕としフォーリンダウンに好き勝手させない。必ず何かを彼らに証明するのだ。

 そのとき、がちゃりと扉が開いた。疲れ切った表情のレツとクイナが現れる。

「くそっ……。ドローンを見失うとは」

「おまけに道にも迷うなんてね。スマホも忘れていたから、数時間彷徨ってしまったわ」

「何やってんだお前らは」

 使えないボディガードに時柴は心底呆れるのだった。 

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