CHAPTER1 DEATH AUDITION
君乃アリス
四月八日の朝七時。とある田舎町の民家の一室にて、目覚まし時計のけたたましい電子音が鳴り響いた。ベッドの上で膨らんでいた掛け布団の中から手が伸びて、即座にそれを止める。まるで鳴るのを待ち構えていたかのような素早さだった。
掛け布団がもぞもぞと動き、目を充血させた明らかに寝不足な少女が顔を出す。彼女は自身がアラームを止めた目覚まし時計に表示されている時刻と日付を見て軽い絶望感に襲われた。
(結局……一睡もできなかった……)
ベッドから降りて水色のパジャマをまとったままドレッサーの前に座る。鏡を見て、肩まで伸びた髪に所々寝癖ができていることに気づいた。一睡もできていないのに寝癖ができるという、ベッドに寝転がったことによる不利益だけを被る形となったのだ。
少女は歯噛みしながらヘアブラシを雑にあてていく。その途中、目が充血していることにも気づいてしまった。
(やばっ……。いや、このくらいきっと気づかれないよね。指摘されたらカラコンしてて充血したって言い訳しよう)
幸いなことに隈はできていないので、少女からしたら許容範囲であった。
彼女の名前は
彼女が何者かになれるのかは、三時間後に決まることだろう。
髪を整えたアリスはヘアブラシを引き出しにしまうと、ドレッサーの上に置いてあったチラシを見下ろした。
『
大きく、特に人名の部分がデカデカと載っている。
開催日時の欄には今日の日付と午前十時という文字が記載されていた。アリスはすっと息を飲む。彼女はこれからこのオーディションに参加するのだ。
(花村Pと時柴十三……。まさかこの二人がローカルアイドルのプロデューサーになるなんて……前までは考えられなかったな)
二人ともアイドル黄金時代を彩ったアイドルグループのプロデューサーだった男たちだ。いずれもライトなアイドルファンからも名前を知られていた。下手なアイドルよりも遥かに有名だろう。
アリスは不安げな表情になる。
(花村Pの方はともかくとして……時柴十三はネットで調べる限りかなり癖が強いんだよね。拘りも強そうだし、私なんかが選ばれるのかな……)
時柴十三はネットでの悪評が絶えないのだ。当時の雑誌のインタビューを読んでも、まともな人間とは到底思えなかった。例え自分がオーディションで完璧なパフォーマンスを行えたとしても、彼から合格と言ってもらえる気がしない。
アリスは勢いよく首を横に振った。
「駄目。オーディション受ける前からそんなこと考えてちゃ。アイドルは胸を張って常に自信満々であるべき、って花村Pも言ってたし!」
そう言い聞かせ、アリスはパジャマを着替え始める。狙いすぎず、ほどほどにオシャレだと思われるようなコーディネートを考えていたが、着る直前に自身のセンスに日和って素材の良さを活かすという名目で黄色と白のワンピースにした。普段から着ているお気に入りの服だが、おかしなところがないか姿見の前で何度も確認する。
(大丈夫……変じゃない、はず……。どうせオーディションのときにはジャージに着替えるしね)
体内で心臓が大きく鼓動する度にアリスの中の自信がすり減っていく。
(今からこんなに緊張してどうするのよ……)
まだオーディション開始まで三時間も猶予があり、その間に電車で一時間以上かけて名古屋へ向かうのだ。今から緊張していては身が保たないだろう。
アリスは深呼吸をすると学習机の上にあるスマートフォトから充電器を引き抜き、自身のSNSをチェックする。友人にはアカウントの存在を知らせておらず、バズることも目的としていないのでフォロワーは一桁しかいない。尤も、アカウント名が『アリス』で呟きも趣味全開であるため、見る者が見ればわかるだろうが。
『明日はついにローカルアイドルのオーディション! 明日の私頑張れ!』
昨晩の自分の呟きに顔をしかめる。一睡もしていないので、昨日の自分から何も変わった気がしていない。遡ると、今日のオーディションについての思いがいくつも投稿されていた。
SNS含め、連絡用のアプリには友人たちからの応援のメッセージは着ていなかった。それはアリスに友達がいないからでも、彼女の友達が薄情だからでもない。
(アイドルになる……って、誰にも言ってないんだから当たり前か。みんな、私がアイドルになるって言ったら、どうするかな……。いや、そんなの決まってるか)
応援はしてくれないだろう。嘲笑いもしないだろう。間違いなく、心配してくれるはずだ。
アリスは自分がどれだけ無茶な夢を追いかけているのかをどうしようもなく自覚していた。
姿見から離れ、ベッドに乗って窓のカーテンを開けた。朝から気持ちのいい快晴が広がっている。太陽が顔に直撃し、アリスは目を細めた。
「頑張るからね……ユリちゃん」
アリスは青空に向かって宣言した。
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