二人のプロデューサー

 名古屋にある大型ショッピングセンターが擁している野外ステージ。それが本日行われるローカルアイドルオーディションの会場だった。

 芝の大広場に多角形の白い大型ルーフが中から見上げるほど高く、そして見渡せるほど広く展開されている。ステージは音響設備も照明設備も整っているものの、サイズが小さめであり高さも足りていないため、運営スタッフが必死に簡易ステージを置いて高さを稼ごうと慌ただしく動いていた。

 普段様々なイベントに使われているこの野外ステージであるが、ローカルアイドルのオーディション会場として利用されるのは流石に今回が初めてであった。

「よくあれだけのスタッフをかき集められましたね」

 ルーフ内にある『審査員』と書かれたプレートが置かれたテーブルにいた男が、スタッフたちを見ながらえらく覇気のない声で呟いた。

 すぐ隣の席で新聞を読んでいたグレーのスーツを着た小太りの中年男性――花村要一が苦笑いを浮かべる。

「忙しかった頃の伝手を必死に辿ったのさ。時柴君は多いという意味であれだけと言ったのだろうが、僕は少ないという意味であれだけと言うね」

 スタッフの数は全部で男三人、女一人の計四人。アイドルの公開オーディションという、ある種のライブとも呼べるものの運営スタッフの人数としては最低クラスだろう。

「十分大した数だと思いますけれどね、私は……」

 時柴十三はそうは言うが、口調からは全く感心している感情が伝わってこない。言葉に覇気がなく、抑揚もない。何重にも付いた隈と痩けた頬を持つ顔面の表情は無から変わりもしない。血色は悪く肌は死体のように蒼白で、長身痩躯な身体と黒いスーツも相まって悪魔か死神のような雰囲気を漂わせている。とてもではないが生者のようには思えなかった。唯一、彼が生きた人間であると確かに実感できるポイントは、オールバックという髪型くらいだろうか。ワックスでテカっており、しっかりとセットしているのが伝わってくる。

 時柴は死んだ魚のような目でルーフを仰いだ。

「それにしても、どうしてオーディションを一般に公開しようと思ったんですか?」

 花村は新聞を読みながら答える。

「君がよく言っていたじゃないか。アイドルはファンの前でこそ最も輝く、と」

「まあ、言っていましたな。正確には、アイドルはファンの前でこそ最も輝かなくてはならない、ですが」

 花村が苦笑いを浮かべた。

「時柴君のアイドル審美眼を疑うわけじゃないがね、それでも実際に観客がいた方がわかりやすいと考えた。僕としても、アイドル志望者たちが観客を前にしてどういう反応になるのか興味があるしね」

「私に気を遣ってくださったのだとすれば、そもそもどうして花村さんは私に声をかけたのかという話になりますよ」

「話題作りのためさ」

 花村は正直だった。

「アイドルプロデューサーの中で時柴君ほど世間から興味を持たれる者はいない。七年ぶりの業界復帰となれば尚更だ」

「私に興味があるのは大半がアンチですけれどね」

「今なお熱烈なアンチがいるプロデューサーは君くらいだよ。しかも、そのアンチからも実力は認められているときた。たった一組のアイドルグループをプロデュースしただけで、普通はそうはならないよ」

「それは自虐ですかな? それとも自慢?」

「どっちもさ」

 花村も肩をすくめて苦笑する。花村は大手アイドルプロダクションの社長兼プロデューサーだった男だ。進藤レイラの出現までは、彼がプロデュースする系列のアイドルグループが女性アイドル業界を席巻していた。

 アイドル黄金時代においても、彼はアイドルグループを何組も立ち上げてきた。しかし、一部のグループを優遇しすぎ、グループは無駄に多い癖にどれも同じようなコンセプトでアイドルとしての多様性が皆無、メンバー全員同じ顔、花村の女の好みが透けて見えるなど、多くの批判や誹謗中傷も受けてきた。そんな花村からすれば、時柴は異端のアイドルプロデューサーである。

 時柴はショッピングモールを見渡し、

「いい場所だとは思いますが、わざわざこのショッピングセンターの野外ステージを選んだのには何か理由があるんですか?」

「今どきローカルアイドルのオーディションに箱を貸してくれるライブハウスがなかったんだ。予算もないしね」

 うんざりしたような花村の言葉。

「この野外ステージは、ショッピングセンターが先日の火事で大規模改装中ということもあって、それなりに安く借りられたよ」

「とすると、ショッピングセンターは閉まっているんですか?」

「そのようだ。今日ここに集まるのは、このオーディション目当ての者たちだけだ。先のアイドル黄金時代のおかげで見にくる者はそれなりにいるだろうが……」

「問題はオーディションの志望者数ですね。……これまで敢えて訊いていませんでしたが、何人ほど参加するんですか?」

「四人だ」

「なるほど。そいつは少ないですな」

 あくまでも時柴の口調は他人事のようだった。花村はうなだれる。

「こんな人数では、もはやオーディションの意味があるのか微妙だ。もういっそ、全員合格にしてあげても……」

 花村がちらりと時柴を見やった。彼は無表情のまま視点を芝の地面へと向けている。その沈黙に花村は何となくぞくりと寒気を感じ取った。慌てて口を開く。

「というのは、もちろん冗談だ。時柴君がアイドルに対して強い拘りを持っているのは知っているからね」

「……私はまだ何も言っていませんがね」

 時柴は自身のオールバックを撫でた。

「四人とも合格させるのは、割りかしアリだと考えていました」

「……そいつは意外だ。その心は?」

「この時代にアイドルをやりたいと名乗りを上げた少女たちには、十分な素質があると感じたからです。まあ、本当にその覚悟があるのかによりますがね」

 この時代、という言葉に花村は嘆息する。

「……数年前なら、僕と時柴君の共同アイドルプロジェクトなんてオーディションの参加者は、四桁はくだらなかったろうな」

「そうでしょうね」

 時柴はこれといった感慨も込めずに頷いた。花村は手にしていた新聞をテーブルに置くと、その一画の記事に拳を振り下ろした。

「どれもこれも、こいつらのせいだ」

 その言葉には筆舌に尽くしがたいほどの恨みつらみがこもっている。時柴は殴りつけられた新聞にちらりと視線をやった。

「またFD……偶像堕としフォーリンダウンが何かしたんですか?」

「ネットアイドルが開催していたオンラインライブの配信場所を突き止めたらしい」

 花村は心底うんざりしたようなため息を吐いた。

「あのアホテロリストども……。あいつらが活動を初めて三年くらいか。最近はおとなしい方ではあるとはいえ、警察は何をやっているんだ」

 腹立たしげに悪態をつく花村。時柴はやや冷めた口調で、

「奴らの組織力は少人数とは思えないほど常軌を逸していますからな。監視カメラなどの電子記録を改ざんはお手のもの。どこからか警察の捜査情報を入手しているという話まである。偽の捜査情報を掴ませて捜査を撹乱させるのは常套手段。ただのテロリストではありませんよ」

「ううむ……。殲滅に駆けつけた警察の特殊部隊を簡単に無力化したという話もあるからな。一体全体、どんな秘密があるのやら……」

 花村が青い顔で呻いた。よほどのブレーンか、国のスパイなぞ目じゃないほどの工作員、一騎当千レベルの武力を持つ戦闘員がメンバーにいるのか……。いずれにせよ、現実離れした組織である。

 花村は肩を落し、

「奴らのせいで、アイドル業界は死んだも同然だよ」

「確か、花村さんのプロデュースしていたグループは、全て奴らの影響で解散か無期限の活動休止になっていましたね」

「その通り。商売上がったり……どころじゃない。今の僕はほぼ無職さ。作った楽曲のサブスク代とカラオケの印税が僅かに入ってくる程度だ。貯蓄はそれなりにあるが」

 時柴はふと呟く。

「このオーディションは大丈夫なんですか?」

「彼らの目的はあくまでもアイドルであって、アイドルの卵じゃない。行動理念は、偶像アイドルを人に戻す……だったか。全くもって意味不明な思想だ」

「そうですね」

 貧乏ゆすりをして苛立たしげな花村とは対象的に、時柴は興味なさげに頷く。その態度には流石の花村も呆れるも思い出した。

「そうか……。そうだったな。随分と他人事だと思ったが、君はFDが出現するよりずっと前に──」

「ええ。プロデューサーをクビになりました」

 時柴十三はかつてAnother↔Colorsアナザーカラーズというアイドルグループをプロデュースしていた。中小プロダクションのグループであったが、華やかなメンバーと時柴が作詞作曲振付を手掛けた作品群がマッチしたことで、瞬く間にアイドル黄金時代を代表するアイドルグループへと昇華した。

 しかし、メンバーからの内部告発によって時柴の立場は怪しくなる。酷いときは一日十六時間にも及ぶレッスンの強要。自身の意に反した者を即脱退させる独裁っぷり。メンバーのキャラ付けや関係性などを事細かに設定し、プライベートにも介入して徹底させてくる狂気……。彼に付いてこれなくなったメンバーが出るのは当然で、それらを暴露された彼が世間から叩かれるのも既定路線であり、プロデューサーをクビになるのは自然の摂理だった。

 その後、Another↔Colorsは時柴を抜きに再出発を果たすも、ライブや楽曲のクオリティの著しい低下、メンバー間の不和、一部のメンバーの男遊びなどがスキャンダルされ、一年も経たずして解散した。これが、時柴がアンチからすら敏腕だと認められている理由である。

 花村は徒労感を滲ませつつ肩をすくめた。

「業界から離れていたのは正解だったと思うよ。アイドルに対する熱意がそれほどでもない僕が、これほど精神的ダメージを受けているんだ。アイドルへの熱意が、僕の知りうる限り一番強い君が輝きを失っていくアイドル業界を内部から見ていたら、そのショックは計り知れなかっただろう」

「輝き、ですか」

 時柴はどこか意味深に呟いた。花村はその意味を深く捉えることなく頷き、

「そう。あの黄金に輝いていたアイドル業界さ。今や光は見当たらない、真っ暗闇の中……。メディアからはアイドル暗黒時代と揶揄されているが、全くもってその通りだよ」

 投げやりながらも悔しげな声音であった。時柴はルーフを見上げ、空虚な笑みを浮かべる。

「私の視界には……あの業界に輝きなんてこれっぽっちも見出せませんでしたがね。とっくに、失われていました」

 その言葉の意味は、アイドルプロデューサーならばすぐにピンとくる。

「進藤レイラか……。確かに、彼女の輝きの前にはあの黄金色さえも霞むな。今の状況なんて、比べるべくもない。彼女が現在のアイドル業界を見たら、なんと言うだろう……?」

 尋ねられ、時柴は素直に首を傾げた。

「さあ。私は握手会でしか彼女と話していませんのでね。花村さんは、進藤レイラならなんて言うと思いますか?」

「僕は無責任に亡くなった者の言葉を代弁する気はないよ。だから無責任そうな君に訊いたんだ」

「そいつは失礼しました」

 花村は苦笑するも、すぐに神妙な面持ちになった。

「アイドル黄金時代がこんな形で終わることになって、レイラちゃんには申し訳ないと思うよ。本来なら、業界を引っ張っていた私が率先してこの事態をどうにかするべきだったのだがね」

 自嘲するように呟く花村。時柴はちらりと彼を横目で見た。

「花村さんは進藤レイラが死んだとき、いの一番に動いたじゃありませんか。空いた彼女のポストを狙って、多くのアイドルを売り出した。……世間ではその行為について色々言われていましたが、誰かが矢面に立ってそれをしなければ、レイラを失ったアイドル業界はズルズル衰退していったと思いますよ」

「そう言ってくれるのは、嬉しいね……」

 花村は僅かに微笑んだ。

「君は知っているだろうが、僕は別にアイドル好きじゃない。熱意ではなく、あくまでもビジネスとしてアイドルをプロデュースしていた。僕からしたら、レイラちゃんやグラシュは邪魔極まりない商売敵だった……。そんな僕すらも、彼女はあっという間にファンにしてしまったがね」

 花村は当時のことを思い出してか苦笑いを浮かべる。しかし表情を翳らせ、

「レイラちゃんが死んだと聞いたとき、アイドル業界は終わったと思ったよ。それと同時に、終わらせてたまるかとも思った。彼女が最高に盛り上げた熱は、あんな悲劇で帳消しになるものじゃない、とね……」

「アイドル黄金時代は、間違いなくレイラが創ったものだと思います」

 突然放たれた時柴の言葉に、花村は耳を傾ける。

「しかし、その道を切り開いたのは花村さんです。そして、新しい時代を望んだのも、貴方に付いていったのも、アイドルオタクたちです」

 時柴は花村に顔を向けた。そして、相変わらずの淡々とした口調で告げる。

「今も、新しい時代を待っている者たちは必ずいます。そいつらは絶対に付いてくる。貴方は一度、時代を切り開いた。だから今回もきっとやれますよ。次は私もいますからね」

 花村はしばらく呆気に取られたようだったが、すぐにふっと解けたように笑った。

「やはり君は、見かけによらず熱い男だ。……今度は君の視界にも黄金の輝きが見えることを祈るよ」

「輝き……」

 時柴は呆然と呟いた。目の焦点がどこにも合わなくなっている。

 花村はそんな彼の異変に気づかないまま再び新聞を手にした。

「君は確か、レイラちゃんの事件を経てすぐにアイドルプロデューサーになったんだろう? 彼女のファンだったようだし、やはり彼女のようなアイドルを探して業界に飛び込んだのかい? あの時期、そういう人はよく見たな」

「…………」

 時柴の脳裏に、目に焼き付いて離れない映像がフラッシュバックする。

 自分の首をナイフで突き刺し、血を撒き散らしながら命を断った殺人犯……。

 輝きが失われ、脇腹から多量の血を流して倒れ伏す進藤レイラ……。

 そしてそんな彼女と目が合い、呆然とすることしかできなかった自分自身……。

 辺りは騒然としつつも、音響機器からは爽やかな楽曲が絶えず流れていた。そんな中、彼は誰にも聞こえないような声で小さく言葉を発したのだ……。

 現実に戻ってくる。

「ええ。そんなところですよ」

 時柴の月並みな返答に花村は「そうか」としか言わなかった。

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