アイドルの卵たち
君乃アリスはこれまでの人生を全力で振り返っていた。現在十六歳、今年で十七歳。思い出せることは決して多くはないし、長い人生でもなかったかもしれない。しかし、悪くはない人生だったのではないか? 裕福とまでは言えないが決して貧しくない家庭。多くはないけれど少なくはない友人たち。周りの人たちに多大なる感謝を……。
アリスは今にも破裂しそうなほど高鳴る心臓を押さえつける。ふと、これが走馬灯なのかと思った。おそらくこのまま心臓の動悸が激しくなって、身体が内側から爆ぜて死ぬのだ。人間は限界まで緊張すると爆発する生き物なのだと、今際の際にまた賢くなった気がした。
(まあそれはともかくとして……)
心臓の鼓動音を煩わしく思いながらアリスは周囲を見回す。ここはオーディション会場である野外ステージの脇に作られていた更衣室兼控室にあたる大型テントなのだが、既にアリスを含めた全ての参加者が集まっていた。
他の三人の少女たちはそわそわしているアリスとは違い、エントリーナンバー一の名札をつけている女子はワイヤレスイヤホンを耳にダンスの練習をしており、二の名札の女子は椅子に座ってすまし顔でスマートフォンのゲームをしており、三の名札の女子はコンパクトミラーを手に金に染められた髪をいじっている。
アリスは──ちなみにエントリーナンバー四番──誰にも悟られないよう順番に彼女たちの顔を見ていった。
(やっぱり都会の子は可愛いな……。ジャージを着ていても様になっているというか、なんかオシャレに感じちゃう。この子たちと比べると、私なんて全然可愛く──)
アリスはふるふると首を横に振る。
(い、いや! 私だって中学のとき男子に告白されたことあるし! 客観的に見て可愛くないなんてことはないはず……!)
自信を滾らせるも、誰にも聞こえないよう小さくため息を吐いた。
(この子たちがライバルって考えると荷が重い。でも、合格者が一人とは定められてないから、場合によっては仲間にもなり得るのか。そう考えたらなんか頼もしく感じてきたし、ちょっとワクワクしてきたかも。……いや、やっぱり全然自信持てないや)
アリスは肩をすくめると、
(そういえば、公開オーディションって話だけど、何人くらい見にきてるのかな)
おずおずとテントの出入り口をめくって外の様子を覗いた。広い野外ステージにざっと四十人ほどの観客がぽつぽつとまばらに立っている。女性アイドルのオーディションのため殆どが男性客のようだ。
(……結構、いるなあ)
外だけあって空間が広いため一瞬だけ少なく感じてしまったが、仮にこれが無名ローカルアイドルグループのファーストライブだとしたら十分すぎるほどの客入りだろう。
当然、アリスはこれほどの人数の前で歌って踊った経験などない。
テントを閉じて出入り口から離れると、ダンスの練習をしていた一人と目が合った。彼女はにやりと笑ってみせる。
「客入りは上々……。花村要一と時柴十三のネームバリューは流石と言ったところかな? ボクの実力のお披露目場所としては、ギリギリ及第点だね」
「は、はあ……」
あまりにも余裕たっぷりで強気な言葉にアリスは動揺してそんな反応しか返せない。僕っ娘と呼ばれる類の存在を初めて目撃した衝撃も大きかった。
すると、スマートフォンでゲームをしていた少女が口を開く。
「全盛期の二人ならこの百倍は入っただろーネー。マ、私としては客の人数より時柴十三の方が気になるカナ。七年前に表舞台を去ってそれっきりだったのに、今なおネット上にネツレツなアンチがいる人間なんて、ソソルよネ♪」
「は、はあ……」
やや引き気味な声が漏れてしまった。アリスとしては時柴十三よりも彼女の喋り方の方がよっぽど興味をそそられる。
そして、待ってましたとばかりに最後の一人がコンパクトミラーをパチンと閉じた。彼女は金髪をさっと払い、
「観客が何人だろうとあーしには関係ないね。人の前でも犬の前でも猫の前でも虫の前でも……例え神の前でだって、全力のパフォーマンスをするだけっしょ?」
「は、はあ……」
アリスは彼女のあまりの意識の高さに感心してしまった。見た目はギャルのようだったのでオタク受けは悪そうだと睨んでいたのだが、これはむしろギャップで人気が出るパターンだと確信してしまう。
(まずい……。みんな強キャラ感が凄い。これで歌やダンスまで上手かったら、もう太刀打ちできないよ)
肩を落として危機感を募らせていると、いきなりテントの出入り口がめくられ女性スタッフが顔を覗かせる。
「すみませーん。準備できてますか?」
アリスが置き時計を見るともう十時を示していた。
他の三人が女性スタッフに頷く。アリスは身の準備はできていたが、心の準備は全くできていなかった。とはいえ、そんなこと言えるわけもない。
(……あ、そうだった)
一つだけ身の準備ができていないことがあったのだ。アリスはバッグからハンカチで包んでおいた白いウサギの髪飾りを取り出すと、鏡の前で装着した。
◇◆◇
アリスはてっきり、番号順に呼ばれて一人ずつパフォーマンスを披露するものだと思っていた。しかし現実は異なり、いきなり四人いっぺんにステージに上げられた。
四十人ほどの視線が集まってくる。学校の合唱コンクールよりか人は少ないが、注目が分散しないため緊迫感が違う。
アリスはとりあえず笑顔を浮かべておくが、
(や、やばい。また心臓が爆発しそうに……)
キャラの濃い三人組と話したことで発生した困惑から忘れていた緊張がぶり返してきた。
心音がヘッドマイクを通じて周りに聞こえていないか心配していると、
「あー……あー……ただいまマイクのテスト中……」
『審査員』と書かれたプレートが置かれただけの雑な審査員席から、覇気の抜けた陰気な声が聞こえてきた。
時柴十三がマイクを手に立ち上がる。
「今からローカルアイドルの公開オーディションを開始する。集まってくれた方々には申し訳ないが、参加者のパフォーマンスに集中したいのでオーディション中の声出しは禁止だ。オタ芸も当然NG。手拍子はなしだが、パフォーマンス後の拍手は認めよう。合格者が出たら最後にライブの場を儲けるから、そこでは解禁する」
花村の方は司会進行を全て時柴に任せるつもりのようで、彼の隣で腕を組んで目を瞑っている。
時柴は抑揚のない声で続ける。
「そして、オーディションに参加してくれた君たち。アドバイス……ではないか。俺が言いたいのは一つだけだ。時代に求められているのは、このアイドル暗黒時代を終わらせられるアイドルだ。そして、そのアイドル性を持つ者こそ、俺個人が求めていたアイドルでもあるだろう」
アリスは浮かべていた笑顔を引きつらせる。
(要求の難易度高すぎるでしょ……!)
おそらくこの場にいる大半の人間が同じことを思っただろう。時柴もそれを感じ取ったらしい。
「まあ選考は花村さんと行うから、俺の好みで全て決まるわけじゃない。今の言葉に重きは置かなくていいから、各々できる限りのパフォーマンスをしてくれ。では、エントリーナンバー一番から順に自己紹介を頼む」
時柴はどうでもよさそうに告げると、椅子に座るとマイクをテーブルに置いた。
オーディションがぬるっと始まった。普通ならば、この状況下におけるエントリーナンバー一番の参加者は地獄であるが、彼女は違った。
ダンスの練習をしていた少女が一歩前に出る。
「はじめまして皆さん。ボクは
纏は小さく肩をすくめ、
「当時のボクはそれを当たり前のことだと受けて止めていました。ですが、テレビで偶然目にした進藤レイラさんの……何というか、キラキラに衝撃を受けたんです。ああなりたいと、本能で思ってしまいました。それからは古流武術もやりつつ、アイドルになるためのレッスンに努めてきました。皆さんには今日、ボクのファンになって帰ってもらいます。八百万纏。よろしくお願いします」
素早く流麗な動作で打点の高い回し蹴りを放つと、ぺこりと礼儀正しくお辞儀をした。パチパチと拍手が起こる。
「次、エントリーナンバー二番」
時柴がマイク片手に言った。ゲームをしていた少女が前に出る。
「ハイハーイ♪ こんにちハ、皆々サマ。私は
ロミは一拍間を置いた。
「唯一ムニ、ナンバーワンよりオンリーワンを信条とする私としては、進藤レイラへの憧れがアイドルを目指したきっかけだなんて、凡百もいいところだからサ……。本当は嘘吐きたいんだけど、あの人への憧れだけは……どうしても正直になっちゃう」
最後の言葉だけふざけた口調から一転して、真摯な口調になった。その変化に観客たちは呆気に取られる。ロミはにやりと笑った。
「なーんてネ! マ、そういうことなんでヨロシクー」
観客からの拍手が飛び、アリスの頬に冷や汗が流れる。ふざけた口調からのギャップに図らずもときめいてしまったのだ。
時柴がマイクに顔を近付ける。
「えー……次、エント――」
「エントリーナンバー三番!
日向は前に出ながら星のエフェクトが出んばかりのウインクをした。
「前の二人と同じように、あーしもレイラちゃん大好きでさー! ちっちゃい頃、ツアーで名古屋にきてたレイラちゃんが岐阜タンメン食べてるところに居合わせて、ママのケータイでツーショット撮ってくれたときから激推ししてたの! もうほんとマジでビジュアル神だしオーラヤバかったし女神すぎてさー! 将来絶対レイラちゃんみたいになりたいって思ったよね」
日向は太陽のようなお気楽笑顔から表情を一変させ、真剣なものに変えた。
「……だから、絶対なります。アイドル」
そのままレイラの隣に戻ってくる。驚いた観客たちがやや遅れて拍手をした。
彼女が気まぐれやたんなる肩書のためにオーディションへ参加したわけではないことは、この場の全員に伝わったことだろう。
そして……。
「次、エントリーナンバー四番」
時柴に呼ばれ、アリスの番が回ってくる。
アリスは手と足を同時に出さないよう気をつけながら前へ出た。ガチガチに緊張しながら震える口を開く。
「えっと……君乃アリス、十六歳、独身です。あ、一応今年で十七歳です。…………」
直前まで話そうと思っていたことが飛んでしまった。
(ど、どうしよう! みんな、どんなこと話してたっけ⁉)
死にたくなるほどの沈黙が訪れる。すると、
「アイドルを目指したのはどうしてかな?」
審査員席から、これまでずっと静観していた花村が助け舟を出してくれた。
「あ、それは──」
アリスの脳裏に浮かんだのは、病院のベッドの上で優しく微笑む少女の姿だった。
『アリスちゃんならきっと、良いアイドルになれるよ。……ううん。私の中では、アリスちゃんはもう──』
心臓は依然としてうるさい。緊張による震えも健在。しかし、アリスのその瞳にだけは確かな闘志が宿った。
白いウサギの髪飾りを右手で触れ、
(ユリちゃん……力を貸して!)
アリスは口を開く。
「小さい頃……大病で入院していた友達を励ますために、アイドルの真似をしたことがあったんです。子供なりに一生懸命真面目にやりましたけど、微笑ましくもないほど酷いクオリティだったと、今は思っています。でも、それを見た友達は……私のことを最高のアイドルだと言ってくれたんです。そのとき……っ」
一瞬だけアリスは言葉に詰まるも、
「そのとき、アイドルという職業が人に希望を与える仕事なんだと知りました。だから、アイドルになりたいんです。その子の言葉を無駄にしないために……。私はもっと、多くの人に希望を届けたくて……」
自分がとてつもなく恥ずかしいことを言っていることに気づき、アリスの顔が赤くなる。これまで誰にも話したことがなかったことを、見ず知らずの者たち四十人名以上の前で暴露したのだから当然だろう。
「なので……よろしく、お願いします……!」
アリスは勢いよくお辞儀をすると、観客たちの拍手を浴びながら他の参加者の並びに戻った。
一通りの挨拶が終わり、時柴がマイクを手に立ち上がる。
「これから本格的な審査に入る。具体的には歌って踊ってもらう。知っての通り、アイドル黄金時代を経験したアイドルオタクたちの前で、口パクダンスなんて真似をしたらぶっ叩かれる。歌ったままそれなりに踊れなきゃ話にならない」
進藤レイラが作り出した風潮の一つである。
「どんな曲で審査するのかは家に送った書類に書いてあったな。それを一人ずつやってもらおうと思っていたが……人数も少ない。どうせなら見栄えをよくするために四人同時に歌って踊ってもらおう」
突然の審査方法変更にアリスは目を向いてしまう。他の参加者の反応を横目で見るが、彼女たちは一切動揺していない様子だ。
「振付は全員が練習してきたであろうセンターポジションのものでいい。歌もパートは考えず、全員で全部歌ってくれ。準備ができ次第、スタートする」
緊張で硬直するアリスをよそに、オーディションが始まろうとしていた。
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