二人の刺客

 時柴によるレッスンは遅くまで続いた。陽はとっくに落ち、夜空にて月が真っ白に光り輝いている。

 バスで駅まで戻ってきたアリスと時柴はその場で別れた。

 学校の制服であるブレザーに着替え直したアリスはとぼとぼと家路についていた。田舎ゆえに夜も八時になれば町から人も車も見なくなる。流石に駅前にはどちらの存在も確認できたが、アリスの家の方角に進むにつれてどんどん少なくなっていった。

 アリスとて高校生である。夜に人通りの少ない道を歩くことにそこまで恐怖心があるわけではない。……しかし、

(間違いない……やっぱり誰かにつけられてる)

 先ほど時柴に話したときには確証がなかった。何せ不審な人物を確認したわけではなかったのだから。ストーキングされるくらいには人気になったのかもしれないという、自意識過剰な考えが多分に含まれていたのだ。

 だが、今アリスは確信した。駅からずっと視線を感じていたが、ひとけのない道に出てよくわかった。後ろから僅かに足音が聞こえるのだ。

 アリスの歩く足が速くなる。この時間はなかなか車の通らない車道と隣接した歩道を進み、途中で枝分かれした長い坂道に曲がった。この坂は長いにも関わらず街灯が少なく、左右に木々が立ち並んでいるため月明かりも届きにくい真っ暗闇だ。

(ここを抜けたら住宅地。ここさえ抜けたら……)

 急いで暗闇を突き進むアリスは、ふと怖いもの見たさで後ろを振り向いた。

 遠くにだが、確かに人影が見える。キャップを被っているのは辛うじてわかったが、それ以外の情報は得られなかった。

 アリスの心臓の鼓動が跳ね上がる。いくら不死身とはいえ、暗い夜に何者かから後をつけられるというのは恐ろしい。向こうに危害を加えるつもりはなくとも、単純に気味が悪いのだ。

 改めて前を向くと、突然道の先からぬっと人影が出てきた。この坂の東側は丘になっており、その上には小さな公園と神社がある。人影はそこへ繋がる階段から現れたのだろう。

「君乃アリスさんだね……?」

 声をかけられ、アリスは思わず立ち止まった。その人影がゆっくりと近づき、木々の隙間から差し込む月光によりシルエットに淡い色がつく。

 人影の正体は爽やかな雰囲気ながらもやや目つきの鋭い黒髪の青年だった。黒いパーカーを着ており、胸元に地球と天秤が描かれたワッペンがあしらわれている。

(あ、イケメンだ……)

 一瞬、アリスはのんき過ぎることを思ってしまった。その直後、背後から首をホールドされる。

「あう──っ」

 首を圧迫されてまともに声が出なくなった。首に腕を回されながらもアリスは目を彷徨わせると、自身の肩口に背後で絞め上げてきている人間のネックレスが乗っかっているのが見えた。青年のワッペンと同じ絵柄のものである。

(凄く良い匂いが……)

 後ろから漂ってきた香水かシャンプーの香りにアリスののんきは継続してしまう。

「悪いけど、死んでもらうわね」

 真後ろから女の声が聞こえ、首にかかる負荷が一気に強くなった。そして……、

 ゴキッ!

 鈍い音が響き、アリスの首があり得ない方向に曲がった。全身から力が抜けてだらりと身体が脱力する。

 青年と女──レツとクイナは互いに緊張の面持ちで顔を見合わせた。

「やったか……?」

 目を見開いてクイナの腕で倒れているアリスを見ながら、レツが祈るような口調で呟いた。

 クイナも腕の中のアリスをドキドキしながら見下ろす。……すると、

「ぐっ」

 首の頸椎が折れ、ほぼ即死したはずのアリスの口から息づかいが漏れた。二人の顔が絶望に染まる。

「ほ、本当に不死身なの……⁉」

「最悪の事態だ……」

 クイナとレツが口々に言った。

 捻れていたアリスの首が一瞬にしてもとに戻る。

「い、いきなり何するんですか……! 何なんですか、あなたたちは!」

 クイナに緩く首を押さえられながらも、アリスが涙目で怯えながら問いただした。

 二人はその問いには答えなかった。というのも、その言葉はそもそも二人の耳に届いていなかったのだ。

 クイナが腕をアリスから離した。アリスはふらつきながらアスファルトの上に倒れる。

「が、外国の人……?」(す、すっごい美人……)

 見上げて初めてクイナの姿を見たアリスは驚いて呟き、心の中で自分を殺してきたブロンドの美女につい感嘆してしまった。

「やってしまったわ……。私は今、自分の手で世界を乱してしまった……!」

 クイナは両手で金色の髪をぐしゃぐしゃに掻き回しながら嘆いた。その表情は今にも泣き出さんばかりである。

「私のせいで世界が滅びに近づいた!」

 ヒステリックな叫びを上げるクイナにレツが声をかける。

「お、落ち着くんだクイナ。これは最悪の事態ではあるが、こうなることは予想の範囲内だったはずだ。本部からの承認も得ているじゃないか。誰も君を責めたりしないさ」

「責められるとか、そういう話じゃないのよ。私が私を、許せない……」

 レツは首を横に振った。

「君のせいじゃない。絶対に誰かが確かめなければならないことだった。いやむしろ! 今クイナが確認を取れたことで、これ以上彼女が原因で理が乱れることはなくなったと考えようじゃないか。そうだ。そうに違いない」

 クイナの顔がはっとなる。小さく頷き、

「そう……そうね。ありがとう、レツ。落ち着いたわ。この乱れは、未来への礎なのね」

「ああ。……そんなわけで、君乃アリスさん」

「うえっ⁉ はい……?」

 英語で行われていた謎のやり取りに困惑していたところ、いきなりの日本語かつ話の主題が自分に戻ってきてアリスは驚いた。

「僕たちと一緒にきてもらう」

「え、い、嫌です!」

 いくらイケメンであっても、いきなり人の首の骨をへし折ってくる輩の誘いには乗れない。

「まあ拒否権はないけれどね」

 懐からガムテープを取り出したクイナが迫り、アリスは即座に口をガムテープで塞がれてしまう。

「むがっ」

「安心して。手荒なことはしないから」

「むごむん!」(嘘じゃん!)

 外そうとするも、背後からレツに両腕を押さえつけられて紐で手を縛られた。クイナによってガムテープで両足の自由も奪われる。

 アリスは涙を流しながら「むーむー」と騒ぐが周りに人は誰もいなかった。

 レツとクイナはアリスを抱えると階段を駆け上がり、住宅地のすぐ近くにある小さな公園へと出る。公園の前に停めてあった車の後部座席にアリスを突っ込んだ。

 クイナが後部座席に入ってアリスの見張りにつき、レツが運転席へと乗り込んだ。すぐに車が発進する。

 アリスはオーディションをFDが襲撃してきて以来の、何ならそれ以上の恐怖を抱いていた。

(な、何なのこの人たち。FDではないみたいだけど……。私が不死身なのも知っていたみたいだし、もしかしてどこかの国の研究機関? 私、実験体にされちゃうのかな……)

 せっかくアイドルになれたというのに、まだ炎上しかしていない。アイドルらしいことを何もできずに終わってしまうのだろうか。

 アリスは涙を流しながら力なくシートに横たえることしかできなかった。

 そんなアリスをよそに、車は無情にもどんどん山の中へ向かっていく。ぽつぽつとあった民家やスーパー、ドラッグストアなども徐々にその数を減らしていき、道路の両脇が木々に囲まれた。

 田舎町ゆえに夜になれば車の交通量は大きく減少する。尤も、この車が走っているのは山道なのでそもそもの交通量が少ないのだが。いずれにせよ、すれ違った車両がこの恐ろしい事態に気づくという、映画のようなミラクルな出来事が起こる可能性すらないに等しいだろう。

 後部座席で窓の外をちらりと見たクイナが口を開く。

「レツ、これってどこに向かっているの?」

「長野にある隠れ家だ。とりあえず当分の間彼女をそこに監禁して態勢を整える」

「まあ準備もなしに人一人を秘密裏に本部……イギリスへ送るなんて無茶だものね」

 アリスは目を見開いた。会話は英語でなされたのでアリスには殆ど聞き取れなかったのだが、NaganoとEnglandだけはわかったのだ。

(わ、私、長野に連れていかれるの? イギリスに連れていかれるの? どっち?)

 ここは岐阜と長野の県境にある市なので、長野ならば数十分から数時間のドライブとなるだろう。逆にイギリスの場合どうなってしまうのか……。海外にいったことのないアリスにはわからなかった。

(パ、パスポートなんて、持ってないよ……)

 正規の手順で入国などするわけがないが、今のアリスにはそこまで考えている余裕はなかった。

 長野にせよイギリスにせよ、アリスにできることは何もないのだ。

 窓の外を見ながらクイナがやや不機嫌そうに、

「かなり道をふらふらしてない?」

「すまん。暗くて道に迷っていた」

 レツは謝りつつも悪びれることなく言った。

「カーナビ使いなさいよ」

 クイナは呆れてため息を吐いた。日本の道に慣れていなくてレツに運転させているのは彼女なのだが。

「いや、もう大丈夫だ。現在位置を把握したからな。この二週間で地図は頭に入っている」

 二人は二週間のうちにアリスの身辺調査はもちろん、どんな不測の事態が起こっても逃走できるように町の隅から隅までを調べ上げていた。

 車が交差点に差しかかる。信号が赤に変わり、周りに車はなかったもののレツは交通ルールを守って停止した。周りには近くに工事現場があるだけで、田んぼと畑、山が広がっている。

 交差点の向かい側から大型トラックがやってきた。辺りも暗いというのにそれなりのスピードが出ている。赤信号が見えていないのか、それとも見えていて無視しているのか、横断歩道が近づいてもトラックのスピードが落ちない。

 レツは眉をひそめた。

(なんだ……何か、嫌な予感が……)

 大型トラックはスピードを落として停まるどころか僅かに加速し、センターラインを乗り越えた。

 レツは慌てて振り返り、

「クイナ! 外に出るぞ!」

「え、彼女は……⁉」

 クイナはアリスを見下ろす。

「このままだと僕たちが死ぬ! それはまずい!」

 大型トラックが横断歩道を突っ切ると交差点へと躍り出た。

 二人は苦々しい顔でアリスを残して車から飛び出す。

「むー! むー⁉」

 アリスが上体を起こしてフロントガラスを見ると、ちょうど大型トラックが勢いよく突っ込んできたところだった。

 静かだった道路に凄まじい衝撃音と金属音が轟く。トラックの顔が凹み、車のボンネットと前座席が押しつぶされ、双方の窓ガラスが一瞬にして飛散した。

 トラックはそのまま車を数メートル押し出し、アスファルトにタイヤ痕を残しながら停止する。

「な、なんてことだ……」

 危機一髪、事故に巻き込まれなかったレツが呆然と呟いた。隣でクイナも奥歯を噛みしめている。彼女は車から出た際に足を挫いたようで、片膝を着いていた。

 トラックの運転席側のドアに内側から衝撃が加わる。ドアが歪み、まともに開かないのだろう。何度も内側から蹴りが加えられ、勢いよく開いた。

 エアバッグに包まれた運転席から一人の男がアスファルトへと着地する。オールバックで長身痩躯の男だった。

「時柴十三……!」

 クイナが目を見開きながら呟いた。一方、時柴は二人を一瞥すると、スクラップと化した車の後部座席へと歩いていく。

「待て!」

 レツが駆け出そうとしたところ、時柴は懐から拳銃を取り出して突きつける。

「……っ!」

 止まらざるを得ない。どちらかというと、銃口よりも時柴の昆虫のような感情の読めない目にレツは警戒感を抱いた。

 時柴は彼らに銃を突きつけたまま割れた窓ガラスから後部座席を確認する。口を塞がれ、両手足を縛られたアリスが涙目でこちらを見上げていた。

「不死身の奴を助けるのは簡単でいいな」

「むぅぅぅぅ!」

 時柴は無表情のまま腕を車に突っ込むと、アリスの口のガムテープを引っ剥がす。

「じゅうじょうじゃぁぁぁん!」

「誰だそれは」 

 アリスの涙声にいつも通りの声音でつっこみつつ、歪んだドアを思い切り引っ張って開け放つ。取り出したナイフで彼女の手を縛る紐を切り裂いた。両手が自由になったアリスはナイフを受け取り、足のガムテープを切っていく。

「十三さん、どうしてここに……?」

「お前があまりにも不安そうにしていたからな。偶然持ち合わせていた発信機兼盗聴器を制服の胸ポケットに隠しておいた」

 アリスはぎょっとした表情でブレザーの下にあるシャツの胸ポケットをまさぐる。黒い小型の機械が出てきた。

「な、何でこんなもの偶然持ち合わせていたんですか……? というか、いつの間に仕掛けたんですか?」

「お前がトイレにいっている隙にだ」

 レッスン中はジャージに着替えていたので、制服は女子更衣室に置いてあった。更衣室には鍵をかけていたので、時柴は勝手に鍵を拝借して女子更衣室に忍び込んだのだろう。

「さ、最低っ! ……そういえば、このトラックは?」

「盗んできた」

「最低っ!」

 どう考えても白馬の王子様にはなれない男だと思っていたが、案の定であった。

「助かったんだからいいだろう。とりあえず早くこっちにこい。臭いが怪しい」

 時柴は拳銃をレツに向けたまま黒煙を噴いている車両から離れる。

 アリスはクイナが律儀に持ってきてくれていた荷物を抱えて時柴の後ろに隠れた。

 レツとクイナは苦々しい表情を浮かべる。ターゲットを確保され、おまけに移動手段も破壊された。大した武器も所持していない。任務の遂行が困難となったのは明白だ。

 しかし二人は諦めない。クイナは挫いた足の調子を確認する。

(痛むけど、動かせるわね)

 レツとクイナは互いに目配せし、同時に飛びかかるという意思を確かめ合う。どちらかは撃たれるかもしれないが、残った一方が時柴を無力化するのだ。彼さえどうにかすれば、アリスの確保は容易である。

(三……二……一──)

 呼吸を合わせ、二人同時に飛び込もうとした。

 その瞬間、時柴が動く。彼は自身の後ろに隠れていたアリスを手前に引っ張り出すと、彼女の側頭部に銃を突きつけた。

「動くなお前ら。こいつの頭をぶち抜くぞ」

「へ?」

 アリスから間の抜けた声が漏れ、レツとクイナは目を見開いて動きを止める。

「ま、待て! 早まるな!」

「そ、そうよ! そんなことはやめなさい!」

「なら言う通りにしろ。後ろを向いて両手を後頭部に回せ」

 時柴は銃口をアリスの頭部に押しつけながら冷酷に告げた。

 二人は歯噛みしながら時柴の指示に従う。

「ぐっ。女子高生を盾に取るとは……卑怯な!」

「リサーチ通り、そうとうなろくでなしね、こいつ!」

(あれ、どっちが味方だっけ……?)

 銃を間近に構えられたアリスは状況が飲み込めない。小声で尋ねる。

「あの、これはどういうことですか?」

「発信機兼盗聴器と言っただろう? 会話を聞いていたが、どうやらこいつらはお前が死ぬのを……正確には致命傷レベルの怪我を負うのを恐れている」

 アリスは、自身の首をへし折ったクイナが酷く狼狽していたのを思い出す。英語だったのでアリスには何も聞き取れなかったが。

(十三さん、英語わかるんだ……)

 作詞作曲歌唱振付を全て一人でこなしている男のためわかっていたことだが、彼のスペックの高さにアリスは一周回って少しイラっとしてしまった。

「さて……」

 時柴は黒煙の上がっているレツたちの車に拳銃を向ける。引き金を引きかけたそのとき、途端に爆発が巻き起こった。接していたトラックも巻き込まれて部品の一部が吹っ飛び炎上する。

「お、無駄に銃弾を使わずに済んだか。……これでお互いの車内の証拠は消えただろう。ひとけはないがいつ人がくるとも限らん。場所を変えるぞ。……お前らにいくつか、訊きたいことがあるからな」

 そんな言葉を背に受けたレツとクイナは悔しげに歯噛みするしかなかった。

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