世界の理

 四人は事故現場から離れた。レツとクイナが前を歩き、アリスと彼女に銃を突きつけたままの時柴が後ろに続く。

 やがて、周囲に建物が見えないバス停の前に辿り着いた。終バスの時刻はとっくに過ぎている。

「この辺りでいいだろう」

 二人とそれなりの距離を保ったまま、時柴が呟いた。レツとクイナは苦虫を噛み潰したような表情で振り向く。

 時柴は僅かに首を傾げた。

「お前たちは何者だ? アリスが不死身であることも知っていた……というより、予想していたようだったが」

 レツとクイナは顔を見合わせると諦めたように肩をすくめた。ここまできて黙秘することは不可能だ。銃をアリスに向けられている以上、イニシアチブは完全に時柴にある。

「僕たちは乱れを正し、世界の理を守る世界理尊機構せかいりそんきこうTomorrowsトゥモロウズのレツと──」

「クイナよ。私たちはその中でも、外れ者アウターを始末する調律者ターナーの役職に就いているわ」

 堂々と告げる二人に、アリスと時柴は黙り込んだ。

「十三さん……今のでわかりましたか?」

「全然わからん。真面目に話すつもりあるのかお前ら?」

 レツは呆れたようにため息を吐く。

「これ以上の説明はないんだがな……」

「そんなわけがないだろう。まずは……乱れとやらについて教えろ。世界や国々の情勢のようなものか?」

 時柴の問いにクイナが失笑する。

「私たちは国のゴタゴタになんて興味はないわ。もっとマクロに物事を見ているの。私たちの言う世界とは地球を意味していない。文字通りの『世界』よ」

 力説が飛ぶが、アリスと時柴の表情は優れない。時柴は顔をしかめながら自身のオールバックを撫でる。

「それで、広い視野で世界を見据えているお前らの言う乱れやら理やらとはなんだ?」

 その問いにはレツが答えた。

「かなり概念的な話……いや、ある意味ではこれ以上ないほどに物理的な話か。……この世界は、無数の当たり前によって構築されている」

「無数の、当たり前……?」

 アリスがきょとんと首を傾げた。

「惑星が重力を持つのは当たり前だし、炎が熱いのも当たり前だ。海水に塩が含まれるのも当たり前で、全ての色が赤青黄の三つから構成されているのも当たり前のこと。そして、人が超能力なぞ使えるわけがないのも、当たり前のことなんだ。それこそが世界の理」

 言いたいことを察したのか時柴の眉がぴくりと動き、クイナがレツの言葉を引き継ぐ。

「もちろん、のも……当たり前よ」

「……!」

 碧い眼を向けられたアリスは何となく顔を逸らした。その言葉が間違いなく自分に向けられたものなのが明白だったからだ。

 時柴が僅かにため息を吐く。

「なるほどな。アリスのように、この世の物理法則から外れた存在……外れ者アウターと言ったか? そういう連中はそれなりにいるわけか」

 レツは頷き、

「ああ。人口から考えるとそれなりと呼べるほど多いわけではないが。……今のところは」

 最後の部分をやけに意味深に呟いた。

 普通ならばわけのわからない連中の与太話だが、実際にアリスというサンプルがこの場にいるので、時柴もアリス自身もすんなり受け入れられた。

「その外れ者アウターとやらが乱れなんだな?」

「ほぼ合っているが正確ではないな。外れ者アウターでも何もしなかったら別に乱れは発生しない。乱れとは、外れ者アウターが世界の理に背く行いをした結果のことだ」

「さっきの自己紹介を加味すると、お前たちは外れ者アウターが理を乱さないようにそいつらを始末する仕事を請け負っている……ということか」

 二人はこくりと頷いた。時柴は人の悪い笑みを浮かべ、銃口で軽くアリスを頭を叩く。

「だとしたら、不死身のアリスはさぞ嫌な存在だろうな。殺しても死なない上に理が乱れるわけだから」

 痛いところを突かれたのか二人は渋面を作った。

「組織でも、不死身の外れ者アウターが出る可能性をずっと危惧していたんだ」

「それでイギリスにある本部で彼女を監禁することになっていたの」

(England……!)

 アリスの顔が青くなる。そして、あることに気づく。おずおずと手を挙げ、

「あ、あのぉ……。その理? とやらが乱れると、一体どうなるんでしょうか?」

「言われてみれば、そこの説明がなかったな」

 時柴も顎に手を添えて頷いた。レツが腕を組む。

「良い質問だな。理というのは、当たり前の流れでできている」

「流れ……?」

 アリスは困惑する。しかしレツはそこを補足することはなかった。

「流れは全て、川のように同じ方向へ進んでいる。それは何事もなく、平穏な状態だ」

 クイナが言葉を継ぎ、

「しかし極稀に流れに逆らう事象、乱れが発生することがあるの。乱れは新たな乱れを生み、その乱れがさらに大きな乱れとなる。まるで荒れる海のようにね……。その先に待ち受けるのは、物理法則の死んだ混沌……世界の滅びよ」

「現に外れ者アウターの出現率は毎年増加傾向にある。混沌に近づいている証拠だ。外れ者アウターは脈絡なく後天的に誰でもなり得るからね。君乃さんも不死身になった理由に身に覚えがないだろう?」

「あ、はい」(どうしよう……全然わかんない)

 これまで何とか話についていっていたアリスに限界が訪れた。

「そんな当たり前の流れを維持し、変わらない日常ノーマルトゥモロウズを世界に、そして人々に送らせるのが我らTomorrowsの使命というわけさ」

 誇り高く宣言するレツと、彼の隣で誇らしげなクイナ。

 アリスだけでなく、時柴も完全には話についていけていなかった。彼は咳払いをすると、

「まあお前たちのことは大体わかった。もう一つ訊きたいことがある。空間の歪みとともに現れる上半身だけの首のない巨人については何か知っているか?」

「もちろんだ。僕たちはそいつ──虚人ヴォイダーによって君乃さんが外れ者アウターだということに気づけたんだから」

虚人ヴォイダー?」

 レツの口からまたしても知らない単語が放たれ、時柴は眉をひそめた。

 クイナが腰に手を当てて口を開く。

「一切の質量を持たない無の存在……。同じ地点で連続して乱れが生じると現れる世界の抑止力よ。現れた虚人ヴォイダーはその場にいる外れ者アウターと、乱れの目撃者を皆殺しにするの」

「それで抑止力か。だが、目撃者まで殺す必要があるのか? そもそも俺は狙われなかったが」

虚人ヴォイダー外れ者アウターを優先的に狙うから、貴方に攻撃の矛先が向かなかっただけよ。……乱れという現象は観測者がいるから発生するの。例えば、誰一人として観測できない宇宙の彼方で超常現象が発生したとしても、その事実を世界の誰も知らないから理は乱れない」

「理とは人の認識の集合体とも言えるからね。逆に言えば、乱れた理は、それが定着してしまう前に観測者がいなくなればもとに戻るんだ」

「だからその場の全員皆殺しか。……しかし、そいつの存在は些か矛盾しているだろう。乱れの原因を消すのが、乱れそのもののような存在なんてな」

 時柴の指摘にレツは満足げに頷く。

「鋭いな、時柴。乱れが定着する前に虚人ヴォイダー外れ者アウターもろとも目撃者を皆殺しにできれば、さっき話したように虚人ヴォイダーの出現による乱れは無に収束する。しかしあんな怪物が現れたら普通の人間は逃げるから、そんなことには滅多にならない。虚人ヴォイダーは乱れの発生源を消去する役目を担っているが、自分自身もそれに該当してしまう自己矛盾を孕んでいるんだ」

「だから虚人ヴォイダーは長時間この世界に存在できないの。大体五分くらいしかね」

「俺たちの前では五分も保たなかったぞ?」

 時柴が疑問を呈する。

「それはたぶん、君乃さんを何度も殺したからでしょうね。君乃さんを殺すのが使命のはずなのに、それを実行すると乱れが生まれる。自己矛盾が高まり、存在できる時間も減ったのよ」

 クイナの考察にはそれなりに納得できた。気がかりなのは、MV撮影の際に現れた虚人ヴォイダーが明らかにオーディションのときよりも長く滞在していたことだ。あのとき現れた虚人ヴォイダーは曲が終わってもなお存在し続け、アリスをさらに五回も殺してやっと消えたのだ。

(サイズが小さかったのが関係しているのか……)

 時柴は虚人ヴォイダーについての更なる疑問を呈する。

虚人ヴォイダーは無の存在だとか言っていたが、そんなものをお前たちはどうやって観測したんだ? あれからアリスが外れ者アウターだと察しがついたと言っていたが、まさかオーディションの現場に居合わせたのか?」

「違う。虚人ヴォイダーが現れたところは、無地点ゼロポイントとして本部が観測するんだ」

 レツの言葉に時柴はうんざりする。

「その専門用語を最初に言うのをやめろ。なんだ、それは?」

「さっきも言ったが、虚人ヴォイダーは質量を持たない。つまりはあらゆるエネルギーを保有していない。そして、干渉できるのは虚人ヴォイダーが触れたい物体だけだ。普通なら観測なんて不可能だが、奴には少しだけ世界に影響を与える特徴があってな」

「特徴……?」

 時柴が眉をひそめて呟いた。

虚人ヴォイダーと空間が重なっている場所にある重力や電波、電磁波がゼロになるんだ。すり抜けるのではなく、無に帰す」

「Tomorrowsはアンテナを世界各地に設置して、地球に電波を張り巡らせているのよ。虚人ヴォイダーが現れると、そのポイントだけ電波が消失するから、それを観測しているというわけ。有の中に無を見出しているのよ」

「……よく考えたもんだな」

 時柴は少しだけ感心したが、アリスにはちんぷんかんぷんだった。

「え、どういうことですか、十三さん? 私にはさっぱりなんですけど……」

「例えば、白紙を鉛筆で塗りたくったとするだろ。するとどうなる?」

「真っ黒になります」

「それが電波だ。その紙を消しゴムでちょいと擦ると、どうなる?」

「鉛筆が消えて、紙の白い部分が見える……あ、それが虚人ヴォイダーとやらなんですね」

「その通りだ」

 何故かレツが謎に嬉しそうに頷いた。

 時柴は大きく息を吐く。事前知識を何一つ持たないぶっ飛んだ情報が大量に入り込んできたので、流石の彼も疲れたのだ。

「じゃあ、最後の質問だ。世界の理と乱れ……乱れが乱れを呼んで世界が滅びるとか何とか、それらの話の根拠はなんだ? 誰にも知りようのない話だと思うんだが」

「根拠? そんなもの、決まっているじゃないか」

 レツが愚問とばかりに肩をすくめた。彼と顔を合わせたクイナが頷き、

「百年以上も前にTomorrowsを創設した賢者、ハルガノ=フィリオス様が書き記した教典よ」

「教典……」

 大真面目な表情の彼女たちに時柴とアリスは呆然としてしまう。

「そいつは……何者なんだ?」

「聡明でいて、凄まじいまでの知恵者だ。教典にはこの世の全ての理が記されている。我々は教典に載っている理から外れた事象を引き起こす外れ者アウターを始末しているんだ」

 レツは心持ち食い気味に言った。創設者に対する尊敬の念と自らの使命に懸ける熱い思いが伝わってくる。

 時柴はやや顔をしかめながら、

「ハルガノ某は、何を基準に理を決めたんだ?」

 今度はクイナが即座に答える。

「遥かなる旅路の果て、自分の目と足で世界を見て回った彼が千差万別、森羅万象の光景から悟った自然の摂理……それこそが理の原点よ」

「……ようは、独断と偏見ということか」

「違う。確かな知識による裏付けと物事の本質を見極める観察眼だ」

 時柴のつっこみをレツが即刻否定した。アリスの顔色がみるみるうちに悪くなっていく。

「あの、十三さん。さっきまで話がよくわかっていなかったんですけど、この人たちって……もしかして、めちゃくちゃヤバい人たちだったりします?」

「かなりヤバいぞ。たいそうなこと言っているが、つまりは自分たちの定めた条件に合わない奴はぶっ殺すってことだからな。客観的に見れば、こいつらはおかしな思想に染まった過激カルト団体のメンバーだ。まあ俺が道徳を語るのも変な話だが」

 アリスは今さっきぶりに泣きたくなった。

(どうして私の周りにはこんなのばっかり……)

 時柴がガリガリと後頭部を掻いた。

「まあ、知りたかったことは大体わかった。……で、だ。それを踏まえた上で俺から一つ提案がある」

「提案?」

 怪しげな言葉にレツは眉をひそめる。

「お前たちはこれ以上アリスから乱れを生むのは避けたい。しかし俺たちとしては、アリスが監禁されるのなんざゴメンだ」

「私たちには貴方たちの意を汲む理由がないわ。強引にでも……」

 クイナが碧い目を鋭くさせて睨みつける。アリスは怯えたが、しかし時柴は動じない。

「強引にアリスを監禁しても無駄だ。そんなことをしたらこいつは、無限に自分の舌を噛み切り続けるぞ」

「なっ……⁉」

「え?」

 二人が目を見開き、ついでにアリスも驚いた。時柴は淡々と語る。

「舌を噛めないよう工夫をしても、アリスは傷なら何でもすぐ治る。どんな小さな怪我でも、たちまち治ればそれも乱れだろう? こいつが自傷しまくればそのうち虚人ヴォイダーが現れるはずだ。そうなったら、大きな乱れになるんじゃないか?」

 死なない人間は当然この世には存在しないが、どんな怪我も瞬く間に感知してしまう人間もまた存在しない。死を封じたところでアリスの異端は収まらない。

 レツとクイナはその光景を想像したのか、悶々も唸り始めた。

(あ、十三さん……この交渉をするために、この人たちのたわごとを聞いていたんだ)

 アリスは得心いった。時柴が彼らの正体やアリスの不死身の理由について、ましてや混沌とした世界に興味があるわけがないので、この時間をずっと疑問に思っていたのだ。

 相手の事情を知らなければ交渉も何もない。考えてみれば当然のことだった。

 散々唸り声を上げていた二人の声が止まる。彼らはぜぇぜぇと息を切らしていた。凄まじいまでの葛藤と屈辱が見て取れる。それもそうだろう。こんなわけのわからないアイドルプロデューサーに作戦をめちゃくちゃにされた挙句、ろくでもないことが目に見えている取引を持ちかけられるほどに丸め込まれているのだ。

 レツが渋面を作りながら時柴を睨みつける。

「提案とは性格の悪い言い方だな。脅迫の間違いだろう」

 時柴はそんな恨み言を聞き流し、

「それで、どうするんだ?」

「聞くだけ、聞くわ」

 クイナがそっぽを向きながら不快げに言った。時柴は小さく頷くと、

「よし。俺からの提案なんだが……。お前ら、俺の事務所のスタッフ兼ボディガードになれ」

「……は?」

 時柴以外の三人の声音が重なった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る