CHAPTER4 FALLING DOWN

ある男の追憶

 家族連れやカップル、散歩をする者や犬を連れ歩く者など、多くの人で賑わう都内の大きな公園にて、天然パーマの青年がベンチに腰掛けていた。

 青年はバッグを脇に置き、堂々と週刊誌の巻頭グラビアページを見ている。表紙と巻頭を飾っているのは今や日本で知らぬ者はいない大人気アイドル、glass shoes'sの進藤レイラだった。

 レイラのグラビアの傾向としては珍しく、このグラビアではクールな表情を浮かべているものが多い。セクシーなショットもそれなりにあり、世の男性は歓喜するのではないかと青年は思った。

 人々の賑やかで楽しげな声にも耳を傾けながらも、ページを捲る手を止めない。レイラのグラビアは合計で三十ページ以上という謳い文句が表紙に載っていただけあって、まだまだ終わる気配が見えない。グラビアの専門誌というわけではないゴシップネタ中心の週刊誌が一人のアイドルのグラビアにそれだけのページ数を割くあたり、やはり進藤レイラは金になると判断されているのだろう。実際、青年はこの週刊誌を購入するのに書店・コンビニ合わせて八件も巡ることになった。

 青年がベッドの上で仰向けに寝転がる白いシャツ姿のレイラが載ったページを捲ろうとしたところ、

「あのさあ、恥ずかしいから毎回グラビア見ながら待つのやめてよ」

 背後から呆れたような声がした。青年の座るベンチと背中合わせに設置されたベンチに、黒いTシャツにジーンズ、つばの長い帽子を被りサングラスとマスクを装着した女性が座った。

 青年は後ろを振り向くことなく口を開く。

「恥ずかしいって、一緒に風呂入ったことあるのに何を言ってんだよ」

「いつの話なのそれは……。そのグラビアは普段しない顔をしてるから、特に知り合いに見られると恥ずかしいの」

 女も青年の方を向くことなく不満げな声を漏らした。

 二人は背中合わせのまま会話を続ける。女は肩をすくめながら、パン屋で買ったサンドイッチを取り出す。

「というか、いい加減普通に会おうよ。何なのこの状況……」

 青年は週刊誌をバッグにしまうと交換するようにおにぎりを取り出した。まだ昼食には少し早い時間ではあるが、そこは彼女に合わせる。

 おにぎりを頬張りながら、

「今をときめく国民的アイドルが男と食事はどう考えてもまずいだろ」

 女はサンドイッチの梱包袋を剥きながら心底面倒くさそうな声音で、

「別に家族なんだからいいでしょ……」

「それで納得する奴はいねえよ。ごまかすための方弁と思われるのがオチだ」

「でも、こんな風に会ってるのをスキャンダルされた方が、よっぽどごまかせないと思うんだけど?」

 背中合わせながらもジトっとした目を向けられている気分に、青年は陥った。

「それについては言い返せねえ」

「普通に堂々としてればみんな信じてくれると思うけどなあ」

 女──進藤レイラはマスクを顎まで下げ、サンドイッチをかじりながら独り言のように小さく呟いた。

 青年としては、そんなレイラのアイドル生命を終わらせかねないリスキーな真似はしたくなかったので何も返答しなかった。本来ならこうして会うことすら憚られるのだ。これが彼女からの誘いであり、ライフワークの一つであると主張されたのでこのような密会まがいのランチをしている。

 こんな形とはいえ進藤レイラと一緒に食事をしていることを知られたら、世の男どもから殺されるだろうなと青年は思った。優越感などはまるでない。あるのはただただ漠然とした不安だけだ。

その不安の正体を探ろうと思考を巡らせていると、

『0時になっちゃうよ♪ 君はきてくれるかな♪ この時間は心臓に悪いけど♪』

 すぐ背後から『午前0時の魔法』が鳴り響き、青年の心臓を激しく揺さぶった。反射的に振り向くと、レイラの座るベンチの前を通った若い男がスマートフォンを取り出して耳に当てていた。着信音にしていたらしい。

 何となく胸を撫でおろすと、同じく驚いた様子のレイラもこちらを振り向いてきた。

「ちょっとびっくりしたね」

青年はくすくすと笑う彼女から慌てて目を逸らす。そして辺りを見回した。自分たちに注目している者は見える範囲には確認できない。それで安心できるわけではないが。

レイラが大きなため息を吐いた。

「そんな心配しなくても、マスコミに尾行されて気づかない私じゃないからね? 誰もいないってば」

 その油断が命取りになるとしか思えない死亡フラグのようにも聞こえる台詞ではあるが、レイラのスペックの高さをよく知る青年からしたら「まあそうなのだろう」と安心できる材料になった。

(アイドル当人よりびくびくして……何やってんだかな)

 青年は自嘲するような笑みを浮かべる。

「あ、ねえ、あれ見てよ」

 何かに気づいたレイラに促され、青年は身体を捻って彼女が指差す先を見た。芝の上にそびえる大きめの木の木陰にて、女子中学生くらいの少女三人がダンスの練習に励んでいた。少し踊る度にスマートフォンで振付の確認をしているようだ。

「あの振付って『白馬の王子様はいらない』か」

「うん。絶対そう」

 レイラが嬉しそうに頷いた。『白馬の王子様はいらない』はglass shoes'sの最新楽曲である。つい先日、MVと振付が公開されたばかりだ。

「新しい曲、頑張って憶えようとしてくれてるみたい。……私も混ざってこようかな」

「絶対やめろよ。騒ぎになるから」

 冗談としか思えない言葉ながら、彼女の場合、それが冗談でない可能性を考慮しなければならないのを青年はよく知っていた。プライベートの場でも、自分に気づいたファンに求められたら街中でもアカペラで歌って踊る女なのだ。

 とはいえ、流石に今のはジョークだったようで、レイラが女子中学生たちのもとへ駆け出すことはなかった。代わりに、じっと彼女たちを懐かしむように見つめ、

「私もよくああやって練習してたよね」

「そうだったな」

 幼いころからレイラと一緒にいる青年は踊る少女たちから目を逸らしつつ頷いた。二人は再び背中合わせになる。

「園にお金なんてなかったからダンススクールには通えなかったし、学校にダンス部なんて部活もなかったから……」

「それでも独学でそこまでいったんだから、大したもんだけどな」

「事務所入ったとき、レッスンの先生から『基礎がボロボロ』って言われたけどね」

 レイラは恥ずかしそうに苦笑する。基本的に彼女は昔から色んなアイドルソングの振付を完コピするだけだったので、そう言われるのもさもありなんといったところだろう。

 青年は食べかけのおにぎりにかじりついた。咀嚼して飲み込むと、彼の座るベンチの前を兄妹と思われる二人の子供が駆けていった。何となく目で追う。

 妹が渋る兄の手を強引に引っ張って噴水へと向かっていく。少し遅れて、二人の両親と思しき男女が笑顔で通り過ぎていく。

 青年は、自分が何となく抱いていた不安の正体が何なのか気づいた気がした。レイラの方を振り返り、口を開こうとしたところ、

「あ、大丈夫⁉」

 突然レイラがベンチから立ち上がった。見れば、彼女の目の前で小さな女の子が点灯していた。

 レイラは涙目になっている少女に駆け寄る。

「大丈夫? 怪我ない」

 少女を抱き起して身体を看ると、ワンピースから伸びる膝が傷ついていた。僅かに出血しているが、それほど大きな怪我ではなく、レイラは安心したように息をついた。

「ちょっと待ってて」

 レイラはベンチに置いていた、まだ口をつけていない小さなペットボトルに入ったミネラルウォーターのキャップを外すと、

「痛いかもだけど、我慢してね」

 それを傷口に注いだ。少女は目を瞑ってその痛みを堪えていた。

 続けてレイラはジーンズのポケットから桃色のハンカチを取り出す。濡れた箇所をぬぐった後、ハンカチを患部に緩く巻きつけた。

「これでよし、と……」

 頷くレイラだったが、少女からぽけっとした顔で見つめられていることに気づく。少女はあどけない声で、

「グラシュの、レイラちゃん……?」

 動向を見守っていた青年はぎくりと身を震わせた。この至近距離では、サングラス程度ではレイラのスター性を隠すことはできないらしい。今、あの子が騒ぎ立てればとんでもないことに……。

 しかし、進藤レイラは一切動じることなく、目線を少女に合わせたまま微笑みをたたえて人差し指を自身の口元にあてがった。


 シーッ


 それだけで、少女は魔法にかけられたのではないかと思えるほどすんなりと、そしてゆっくりと頷いた。

 レイラは優しげな笑みを浮かべたまま、

「お母さんやお父さん、どこにいるのかな?」

 少女は芝の方を指差した。指の先にはピクニックシートを広げて談笑する男女がいた。距離はさほど離れていないが、娘の状況には気づいていないようだ。

「あそこまで一人でいけるかな?」

 少女は立ち上がると、足の状態を確認してこくりと頷いた。

「帰ったらちゃんと消毒して、絆創膏貼ってね」

「うん。このハンカチは……?」

「それはあげる。プレゼントね。……だから──」

 レイラは再び人差し指を口元に添えるとウインクをした。

 少女もレイラと同じように人差し指を口にあてて笑って見せた。

 両者は小さく手を振るい別れると、少女はやや足を引きずりながら家族のもとへ向かい、レイラはそれを微笑みながら見守っていた。

 レイラは一息つきながらベンチに戻ってくる。青年は振り向くことなくバッグから取り出したお茶を差し出した。

「ほらよ。飲み物なくなったろ? 口はつけてねえやつだ」

「別に口ついててもいいけどね。今さらだし。……でも、そっちの飲み物がなくなっちゃわない?」

 青年は脇に置いていた水筒を掲げて振った。中から液体の音が響く。

「昨日会社でもらってバッグに入れっぱになってたんだ。だからぬるい」

「いいよ。ありがと」

 二人とも黙々と食べ物を口に放り込む。やがて青年はおにぎりを全て食べ終え、水筒のお茶を飲むと、息を吐いて青空を見上げた。

「随分と遠くまで……高いとこまでいっちまったな、レイラは……」

 突然意味ありげな台詞を吐かれ、行儀悪いと思いながらもレイラは口にサンドイッチを含んだまま反応する。

「どうしたの、急に?」

 目を細め訝しげな表情を浮かべる彼女に、青年はどこか寂しそうな声で告げる。

「いやさ、最近のお前の人気ぶりや活躍ぶりを見てると、俺たちと一緒に育ってきた奴と本当に同一人物なのか、信じられなくなってきてよ」

 夜にテレビのチャンネルを回していれば必ず見かけ、街中やどこかの店を歩いていれば確実に彼女の歌声が聞こえてくる。それだけではない。この数分間だけで三度も進藤レイラという存在の大きさを強く実感した。

 彼女の姿を毎日見て、彼女の声を何度も耳にすることなど、彼からしたらもともと日常と言って差支えないことだった。しかし、自分の知る彼女とアイドル進藤レイラは果たして同一の存在なのか……。彼はレイラが一人でどこか遠くにいってしまうのではないかを不安に感じていたのだ。

 そんな青年の不安に対してレイラは、

「何それ」

 呆れたように笑った。

「私はずっと私だし、みんなはずっと私の家族だよ。私がいつか帰るのも、みんなのいるところだから」

 青年が振り返ると、レイラはサングラスを外して昔から何も変わらない笑顔を見せていた。

 レイラは右手を拳銃のようにして青年を指差した。

「それでも、もし私がどこか遠くへ……自分でも戻ってこれないくらい高いところまでいっちゃったら、仁牙じんがが引きずり下ろしてね?」

 青年──仁牙は苦笑する。

「引きずり下ろすって何だよ。そこはせめて、連れ戻してね、だろ」

 二人はいつものように笑い合った。

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