最後の希望
アリスは鉄臭く赤黒いステージの上で呼吸を荒らげて立ち尽くしていた。
(終わった……の、かな……?)
ふと思い立ち、自身の頭を触った。髪飾りはちゃんとついている。髪から外して確認すると、白かったウサギは血で真っ赤に染まっていたが傷はない。
(よかった……あの爆発でも無事だった……)
安心すると糸が切れ、腰を抜かしかけたアリスだったが背中を支えられる。見上げれば、傍らに時柴十三が相変わらずの無表情のまま立っていた。
「あ、ありがとう、ございます……」
アリスはお礼を言いつつ、足に力を込めて自分の力で立つ。改めてステージを見回すと、夥しいほどの血溜まりができていて表情がひきつった。これら全てが自分の身体から出たものだとはにわかには信じられない。
それでも危機は去ったという安堵感に甘えて一息つくと、時柴が口を開いた。こんな状況でも声には覇気も抑揚もなかった。
「一応訊いておこう。今の状況、どこまで理解できている?」
頭の中でこの数分間で起こったことを振り返る。
「えっと……FDがやってきて、なんか私が殺された……ところまでです。どうして私は死んでいないのかとか、あの謎の怪物のこととかはさっぱり……。時柴さんは、どうですか?」
「俺もFDまでしか理解できん」
時柴はオールバックを撫でながらアリスをじっと観察する。
「な、何でしょう……?」
アリスは不安そうに尋ねた。年頃の少女に対してあまりにも不躾すぎるとは言えなかったし、言う気力もなかった。
「お前、自分が不死身なのは知らなかったのか?」
「不死身……なんでしょうか、私……。はい。今さっき初めて知りました」
「本当の本当に?」
あまりにも表情も声色も無すぎて、疑われているのかどうかもわからない。
「本当の本当ですけど……」
「そうか」
時柴は右手を顎に添えて何事か思案した。そして、目を細めてどこか試すような口調で尋ねてくる。
「ならばお前……どうして他の参加者と同じように逃げなかった? それどころか、何故テロリストの前で歌って踊ったりしたんだ?」
「それは……」
アリスは答えに窮した。それは、自分でも答えがわからないわけでも、嘘の答えを用意するためでもなかった。ただ、その答えを受け入れてくれるのかが不安だったのだ。
「時柴さんが……見ていてくれたからです」
「……」
「オーディションの途中まで自信を喪失していたんですけど、でも……ちゃんと見てくれている人がいるって気づいたら、ステージから逃げるわけにはいかないって思って、それで……」
時柴は右手で自身の顔を覆った。凄まじいまでの衝撃を受けているのだ。
アリスは嘆息した。自分でも驚きの行動だったのだ。どういうわけか不死身だったからよかったものの、普通ならばあれで死んでいた。あまりにも愚かと言わざるを得ない。
肩を落としていると、右手を顔から離した時柴が真っ直ぐとアリスを見据えた。
「エントリーナンバー四番、君乃アリス。合格だ」
「はあ。ありがとうござい……はい⁉ ど、どういうことですか?」
尋ねずにはいられない。
「どうもこうもない。オーディションは合格だと言ったんだ」
「オーディションって……この状況でそんなこと……。そもそも私なんかより、他の三人の方が歌もダンスもずっと上手でしたよ。それに、最後なんて殆ど殺されていただけですし……」
こんな状況と自分で言いながらも、オーディション内容のことを思い出して悔しさが込み上げてくる。
時柴は小さく頷いた。
「そうだな。歌と踊りに関してはあの三人の方がずっと優れていた。確かにその二つはアイドルとして重要なことだが、アイドルの卵に必要なものではない。そんなものは努力である程度は埋められる。俺が興味あったのはもっと別のことだ」
「それは……一体……?」
首を傾げるアリスに時柴は告げる。
「俺が見ていたのは覚悟だ。あの三人の覚悟が弱いとは言わんが、この時代においては無意味なものだった。……俺はずっと、お前のような者が現れるのを待っていたんだ」
そんなことを言われても、アリスとしては嬉しいより先に困惑がきてしまう。
「俺がどうしてアイドルのプロデューサーになったのかは知っているか?」
時柴は唐突にそんなことを訊いてきた。アリスは疑問符を浮かべながらも、繋がりのある話だと考えて答える。
「自分の理想のアイドルを作りたい、育てたいから……ですよね? ネットで見ました」
「そうだ。……十年前のあの瞬間まで、俺の理想のアイドルは進藤レイラだった」
アリスは顔を伏せる。
「それなら、やっぱり私なんて全然じゃないですか。歌や踊りも進藤レイラと比べたらダメダメだし、それを置いておくとしてもカリスマ性やスター性、トーク力も、容姿だって……」
自分で言っていて虚しくなってきた。進藤レイラと自分が本当に同じ種族か疑いたくなる。
時柴もあっさりと頷いた。
「当然だろう。お前なんて、まだレイラとの比較対象にもなり得ない」
「じゃあ、どういう──」
「俺は進藤レイラの最期のライブに参加していた」
「え?」
突然の意味不明なカミングアウトにアリスはぽかんとしてしまう。
「そしてレイラは、最前列にいた俺の、すぐ目の前で殺された」
時柴が何を語りたいのか、アリスにはまだわかっていないものの、それが後の人生に影響が出るほどショッキングな光景だったのは想像に難しくなかった。
アリスは時柴の顔を見た。……そして、息を飲んでしまう。彼の生気の欠片もない瞳に、巨大な闇が渦巻いているのが見えたからだ。
「俺はあのとき、進藤レイラに……心底失望したんだ」
「……え?」
予想外の言葉にアリスは呆然とした声を漏らしてしまう。
時柴は苛立ちを抑えるように深呼吸をした。彼らしくないほど言葉に感情を込めながら、
「今はもう放送が終了したバラエティ番組、『
『そのときアイドル活動を辞めていたとしても、死ぬときはステージの上がいいです』
彼のボルテージは上がっていく。
「これだ。彼女は、自分の全てをアイドルに懸ける覚悟なのだと、感銘を受けたよ。当時人に裏切られ、人を裏切ってばかりだった俺にはあいつがとても眩しい存在に見えたんだ。彼女ならば、こちらが全てを懸けて応援すれば、全てを懸けてそれに応えてくれるだろう……彼女のファンは幸せ者だと思った。そのときは他人事だったが、その次の日からはもう彼女のファンになっていた」
時柴の瞳に宿っていた闇が狂気に変わる。
「だが……あいつはファンを裏切った」
言葉の真意はわからないが、アリスにはレイラをフォローせずにはいられなかった。
「悪いのは犯人ですよ。進藤レイラは最期まで最高のアイドルだったと思います」
「レイラはステージから降りたんだぞ?」
「はい……?」
アリスは愕然と首を傾げた。時柴はうんざりしたように吐き捨てる。
「あいつは乱入してきた犯人から逃げて、ステージから降りた。ステージの上で死にたいって言っていたくせにな。俺はその覚悟を信じて推していたんだ。最後の最期に、レイラは俺の前で輝きを失くしやがった。つい、嘘吐きが……と小声で罵ってしまったくらいだ」
アリスは恐る恐る口を開く。
「じ、じゃあ、時柴さんは……進藤レイラは逃げようとせずにそのまま刺されていればよかったと言うんですか?」
「当然だろう。アイドルに全てを懸けているなら、ライブの途中で観客席に逃げるなど以ての外だ」
開いた口が塞がらなかった。進藤レイラは人気アイドルだけあってアンチも相当数はいた。中にはレイラが死んだことを喜ぶ、人の心が欠落しているような者たちもいただろう。
しかし、ファンであったにも関わらず、彼女が死んで反転アンチとなった者など、インターネット上においても見たことなかった。
(やっぱり、インタビュー通りの人だった……。この人は狂っているんだ)
戦慄していると、
「話を戻そう。だからこそ俺はお前に目をつけたんだ」
「え?」
時柴は血溜まりを踏みながらステージの縁まで歩いていく。
「俺の評価はともかくとして、進藤レイラが日本史上最高のアイドルだったのは揺るぎのない事実だ。これには誰にも反論できまい。……さっきも言ったが、今のお前はレイラと比較できる段階にも立てていない」
「それが、どうしたって言うんですか」
正直言ってアリスはもう時柴と会話するのも怖かったが、自分に関わることならば訊かないわけにもいかない。
「それでも、お前はレイラが持っていないものを持っている。それだけは唯一確実に勝っている点だ。……そのイカれた精神性はな」
「イカれ……」
アリスは何となく自分の胸に手を当てた。
「レイラほどのアイドルでも死への恐怖からアイドルであることを投げ捨てた。だが、お前はまだアイドルになってさえいないにも関わらず、命の危機すら跳ね除けるほどアイドルとしての覚悟があった」
FDに襲撃され、人々は逃げ惑った。取り残されてしまったアリスは、時柴の視線に応えて、テロリストの前で歌って踊ったのだ。自分が死なないことを知らなかったにも関わらず。それをイカれていると呼ばずして、果たして何がイカれていると呼べるのだろうか。
「オーディション前に言ったな。俺が求めているアイドル像と、今のアイドル暗黒時代が求めているアイドル像は一致すると。俺は自分の命すら懸けられるアイドルを求めている。そして今の時代、アイドルは命懸けだ」
アリスの脳裏に、かつて連日のように報道されていたアイドルたちの訃報と活動休止の発表が過ぎった。
「俺がアイドル暗黒時代に業界復帰して、そこに命を懸けられるアイドルの卵が現れた。おまけにそいつは何故か不死身ときている。これは運命と言う他ないだろう」
時柴はそこで言葉を区切ると、アリスへ向けてにやりと笑う。
「俺がお前を最高のアイドルにしてやる。この暗黒時代を終わらせ、進藤レイラをも超えるアイドルにな。……どうする?」
ぬっと血色の悪い右手が差し出される。
「私が……進藤レイラを……?」
そんなことは天地がひっくり返ってもあり得ないとアリスは思っていた。否、レイラを超えようとすら思ったことなどない。
時柴十三はそんな絵空事のような話を大真面目な表情で言っている。……正直な話、アリスは少しだけそれが嬉しかった。自分をここまで信じてくれる人が今までにいたか、そして今後現れるのか。しかし、
(でも……これはきっと、悪魔の契約だ)
アリスの頬に冷や汗が伝った。彼が敏腕プロデューサーなのは知っている。だが、たった今会話したことで、評判以上の狂人であることも判明した。
(この人は私の精神をイカれていると言った……。けど、それはこの人だって同じだ)
FDが現れてもまるで動じず、それなりに悪くない付き合いだった花村の死にも無反応で、周りが全員逃げているのにアイドルの卵のパフォーマンスを待ち続けていたのだ。さらに、ライブ中のアイドルは襲われてもそのまま死ぬべきと発言する男である。まともなはずがない。
(この手を取ったら……私は、この人から逃げられなくなる気がする。でも……)
アリスの右手が僅かに伸びる。
(私なんかをアイドルにしてくれるのは、この人しかいない気もする)
彼の手を取る寸前で、アリスは手を止めた。
「一つだけ条件があります」
不安を隠せていないものの、真剣な表情で時柴を見上げる。
「言ってみろ」
「活動は全力でやります。……ですけど、時柴さんに付いていけずに辞めたくなったときは、辞めさせてください。仮契約……のようなものでお願いします」
どうしても退路は確保しておきたかった。時柴は表情を全く変えず。
「そんなことか。構わないぞ。……尤も、お前がそれで辞められる奴なら、あのとき逃げていただろうがな」
最後に嫌なことを言われる。血の海と化したステージの上、アリスは血まみれの手で時柴の手を握った。
かくして、不死身の女子高生と悪魔のごときアイドルプロデューサーが手を組んだ。
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