CHAPTER2 INTO FLAMES
初仕事
深夜二時。月明かりもない暗闇の中、警察によってテープで規制線が張られたショッピングモールの野外ステージにて、人影が二つ蠢いていた。体型や背格好から男女の二人組であることがわかる。
男の人影がステージの前で立ち止まるとルーフを見上げて呟く。
「ここが
東洋人と思われる黒髪の美青年だった。一見すると爽やかな顔立ちながら、切れ長の目がやや威圧感を放っている。黒いパーカーを着ており、胸元に黄色い天秤と地球が描かれたワッペンが付いているのが特徴的だった。
彼の隣に立っていた女性の人影がステージへ向かって歩いていく。
「ニュースで見た限り、
暗闇でもわかる肩まで伸びたブロンドの髪と碧眼を持った白人の美女だ。白いTシャツに黒い革のジャケットを羽織り、長い脚をジーンズに通している。黄色い天秤と地球がデザインされたネックレスを首から下げていた。
美女がステージに上がった。
「日本という国は謎な連中が多いのね」
「
青年も彼女に続いてステージの上に立つ。事件発生からそれなりに経過しているようだが、まだプラスチックが焦げた臭いと血生臭さが残っていた。
美女が片膝を着くと、左手に握っていた懐中電灯を点けた。血で赤黒く染まった簡易ステージが白い明かりに照らされる。右手で軽く血痕を撫でたが、既に乾いているようだった。
「ニュースでは死者は一人という話だったけど、この血の量は流石におかしいんじゃないかしら。人が、二、三人くらい派手に死ななきゃここまではならないでしょう」
「警察にいる仲間の話では、その唯一の被害者はステージから離れた場所で死んでいたってさ」
その言葉に美女は顔をしかめる。
「それじゃあ、この血は何なの?」
「現場にはオーディションの参加者である少女と、アイドルプロデューサーの二人しか残っていなかった。そしてDNA鑑定の結果、これらの血は全てその少女のものであることがわかったらしい」
「どんな怪我したらこうなるのよ」
青年は神妙な面持ちになり、
「いや……少女は無傷だったんだ」
「何ですって?」
美女が目を見開いた。
「その少女とプロデューサーは、テロリストに少しの間だけ意識を失わされて、目が覚めたら血だまりができていたと証言している」
「警察はそんな証言を信じているの?」
「さあね。そこまでは聞いていない。けど、少女は現に無傷なわけだから、本当は何かあったとしても知らないと強弁されればどうすることもできない。これが第三者の血なら他にも被害者がいるかもしれないと、警察も調べざるを得ないんだろうけど──」
「血は五体満足の少女のもので確定している……か」
美女はステージの縁に血がないことを確認するとそこに腰かけた。
「死んだ人間の死因は?」
「首に銃撃を受けたことによる失血死。複数の目撃証言があるから間違いない。……だからおそらく、
青年は爆弾により簡易ステージに空いた穴を見つめながら言った。
夜風が美女の金色の髪を揺らす。
「テロリストの誰か、プロデューサー……そして、これらの血の持ち主である少女か」
「一番可能性が高いのは、言うまでもなく少女だが……。その場合、厄介極まりないことになるかもしれないな」
青年の意見に美女はこくりと頷いた。
「かつてないほどの世界の危機、か……。最悪の想定もしておかなきゃね」
美女はネックレスを握り、青年はパーカーのワッペンに手を添える。二人は同時に口を開いた。
「全ては世界の
風が止まり、再び静かな夜が訪れた。
◇◆◇
「あの……十三さん。本当にやるんですか?」
ピンクと白のアイドルらしい衣装に身を包んだアリスが恥ずかしそうに訊いた。
「当然だろ」
時柴はカメラをセッティングしながら冷淡に答える。地面の石や岩をどけつつ三脚を立てていく。
アリスは周囲を見回す。
「でも、こんなところでMV撮影って……正気ですか?」
足もとには大小様々な石が散乱し、辺りには川の流れる音が響いている。さらにその周りは果てのない木々に囲まれており、民家はもちろんビルや店などの建物はどこにも見当たらない。ここがまごうことなき山の中であることは明白だった。
「どう考えてもここがベストだ」
「ベスト……ですかね……」
ここはアリスの地元にある山中の川辺。それも小川と呼べるような可愛らしい川ではなく、流れる水流が岩にぶつかってダイナミックな白い飛沫を巻き上げる程度には大きな川だ。バーベキューがしたくなってくる。
とりあえず、アイドルとはミスマッチな空間と言わざるを得ない。アイドルソングのMV撮影の場としては尚更に。
アリスは不安げに顔を曇らせる。
「あの……本当にやるんですか?」
「しつこい。今日のMVはこういう場所でしか撮影できそうもないんだから仕方ないだろう」
「いえ……場所に対してじゃなくて、MVそのものに対する意見です……」
時柴が考案したMVの内容はあまりにもトチ狂っている。アリスはあらゆる意味で否定的なのだ。
「これが一番てっとり早く話題になると判断したと、これもさっきから何度も言っているはずだ。……ぐだぐだ言ってないで、足もとの石をどけて踊れるスペースでも確保しておけ」
「はい……」
アリスは一抹どころではない不安を抱きながら、プロデューサーの指示に従って石を拾っては遠くて投げていく。その途中、緩やかな風が脚の間を通り抜けて気づいた。
「あ……。すみません十三さん。見せパン持ってくるの、忘れました」
アリスは両手で頭を掻きむしりたくなるほどの羞恥心を抱きながら言ったのだが、時柴は三脚にカメラを固定しながら彼女を一瞥もしない。心底どうでもよさそうに答える。
「見えていたら編集で俺の顔面でも差し込んで隠しておこう」
「絶対やめてください」
それなら見えた方がまだましである。
(まあ、スカートは別にそこまで短くないから大丈夫か)
そう自分に言い聞かせ、アリスは足もとの石をどかす作業に勤しむ。
カメラのセッティングが完了した時柴は近くに停めておいた車のトランクから大型の録音マイクとスピーカーを取り出した。それぞれから伸びるケーブルはポータブルバッテリーに繋がっている。
「基本的に音は後付だが、とりあえず実際に歌ってくれ。どこかで使うかもしれないから一応録音をしておく。風が止んだら始めるぞ」
「わかりました」
アリスは緊張したような面持ちで頷いた。
「お前の負担ややることのヤバさを加味するとリハーサルなしの一発勝負だ。覚悟はいいな?」
「はい」
アリスは曲の振付を頭の中で反芻する。この二日間、ほぼずっと練習していたので動きは頭に染み付いているはずだ。
「よし」
時柴はトランクの上でダイヤルロック式のアタッシュケースを開けた。中から取り出したものを見て、アリスは顔をしかめる。
「本当に……大丈夫なんでしょうか」
「平日の昼間にこんな山の中に人はこない。いたとしても、猟師が狩りでもしているだけだと思うはずだ」
「思うかなあ」
時柴が右手で弄ぶ拳銃から目を逸しながらアリスはため息を吐いた。
「もし誰かにこの場面を見られたらどうするつもりなんですか?」
「そいつの口を封じるしかないだろうな」
この男が言うと、とても冗談には聞こえない。アリスは、誰もきませんように、と心の底から神にお願いをした。
「どうやら風も止まったようだ。尤も、どのみち川の音があるんだが」
時柴はスピーカーと接続しているスマートフォンを取り出す。
アリスは握っていた白いウサギの髪飾りを見つめた。
(やっぱり、流石につけられないよね)
カメラの画面外に置いてあったバッグにしまうと、急いで戻った。
「始めるぞ」
アリスは深呼吸の後、腹を括って頷いた。
(つっこみどころしかないけど、何にせよこれがアイドルとしての初仕事……。力を貸して、ユリちゃん!)
友を想い、覚悟を決める。時柴が左手の親指でスマートフォンをタップすると、音楽が流れ始めた。そして彼は、右手に持った拳銃の照準をアリスへと合わせる。
オーディションから三日後の午後一時のことだった。
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