怪物

 ジンガとリリは会場の近くに停まっていた黒いワンボックスカーに乗り込んだ。

「出してくれゴエモン」

 助手席に座ったジンガが指示を出すと、運転席にいたオーディションの運営スタッフの制服を着ている無骨で長身角刈りの男が無言で頷いた。

 車が発進し、ジンガは律儀にシートベルトを装着する。そして、脇に置かれていた黒いバッグの中から、ガラスカバーが被せられた赤いボタンのついた装置を取り出した。

「ほらよ、リリ。運営スタッフとして潜り込んだゴエモンが簡易ステージの下に仕掛けたやつだ。お前が終わらせろ」

 後部座席に座るリリにその装置を差し出す。ジンガは顔をしかめた。

「いつまでヘルメット被ってんだ」

「ごめん。忘れていたわ」

 リリはフルフェイスヘルメットを外した。茶色い髪が揺れ、二十代後半くらいの女性の素顔がさらされる。彼女はヘルメットを隣のシートに置くと右手で両目を擦った。

「ちょっと待って」

「どうした?」

「目にゴミが……」

 リリは空いた左手でボタンを受け取ると、ガラスのカバーを外す。そして、赤いボタンに親指をかけた。


 時柴十三は依然として審査員席に座っていた。視線はもちろんステージへ向けられている。しかし、歌って踊るアイドルの姿は、もうどこにもない。

 依然として『午前0時の魔法』の間奏が続いている。この曲は間奏が長く、ライブではセンターの進藤レイラが抜群のダンスセンスで観客を魅了するのだ。

(ここだ……。レイラはここで、襲われたんだったな)

 当時の記憶が思い起こされる。刃物を持った男が警備員を押しのけてステージへ上がると、踊っていた進藤レイラへと襲いかかったのだ。そしてレイラは……。そのときだった。

「くっ……う……」

 ステージ上からマイクによって拡大された声が響く。

「……⁉」

 十年前を追想していた時柴は思わずステージを見た。信じられない光景がそこにはあった。

 ゆっくりと……だが確かに、。オーディションが始まってからずっと無表情だった時柴が目を見開く。

(なんで……生きている……?)

 彼の目から見てもアリスは確実に頭部を撃ち抜かれていた。即死は免れないはずだった。しかし、今、アリスは立ち上がっている。

(あいつ一体……)

 ふらつきながらもその二本の足で立ち上がったアリスに度肝を抜かれる。それと同時に得も言われぬほどの興奮も感じた。彼が審査員席から立ち上がりかけたそのとき、

 ボンッ!

 ちょうどアリスの真下から轟音とともに火柱と黒煙が勢いよく噴出した。簡易ステージの破片が無数に飛び散る。

 時柴は思い出した。

(そうだった。FDは最後にライブステージを爆破するんだったな。偶像アイドルがアイドルであるための場所を消し去るためだとか何とか……ん?)

 彼の視界に、目の前に何かが落ちたのが映った。見下ろすと、人間の左腕がテーブルにある。ジャージの袖も一緒のためアリスのものだろう。汚い断面から流れた血がテーブルを赤く染めていく。爆発によって千切れ飛んできたようだ。

 時柴は再びステージを見た。炎は消えたが黒煙は噴いたままだ。

 爆発の影響で音響機器が故障したのか、流れている『午前0時の魔法』はノイズが混じって途切れ途切れになったり、一瞬だけ音が大きくなったり、逆に音が小さくなったりしている。

 立ち込める黒煙の脇からアリスが這い出てきた。

「ゲホッゴホッ」

 焼け焦げたジャージをまとったまま咳き込みながらも立ち上がる。時柴は彼女が五体満足であることに気づき、反射的にテーブルを見下ろした。

 腕が消失している。しかし、流れ出た血は残っていたため、あれが幻ではなかったことは間違いない。

(何が起こっているんだ?)

 混乱する時柴だったが、さらなる異常事態が発生する。

 ステージ正面の空間が大きく捻じ曲がると》》、その歪んだ部分が宇宙を彷彿とさせる漆黒に染まった。姿。ただし、人における首から上は持ち合わせていなかった。

 形容するならば、首のない上半身だけの黒い巨人といったところだろうか。ようするに怪物である。

(プロジェクションマッピングか……? いや、誰が何に光を投影しているんだ。まあいいか。もう知らん)

 傍から見ているだけの時柴が思考を放棄する状況である。果たしてアリスはどうなのかというと、

(もう……何これ。どういうこと? なんで私生きてるの? なんで死んでないの、私? というかあれなに……?)

 謎の怪物と向き合っているアリスはもう泣き出したかった。友達に抱きついてわんわん叫びたい。しかし、状況があまりにも理解できないので困惑の感情が勝ってしまう。

『午前0時の魔法』がCメロに入ったのが、壊れかけの音響機器から聞こえてきた。アリスははっとなって時柴の方を見る。

 彼はスマートフォンを向けながらしっかりとステージを、アリスを見ていたのだ。

(まだ見てくれてる。それなら……!)

 ヘッドマイクが爆発で壊れたので、精一杯大きな声を出そうと息を吸った。

「すうっ……ゴバッ!」

 謎の怪物が右手に出現させた巨剣によって横一文字。アリスは上半身と下半身を真っ二つに切断される。

 上半身がステージ上に血と臓物を撒き散らしながら袖まで吹っ飛んだ。しかし一瞬の間の後、アリスは無傷のままステージ上に寝転がる。そこは下半身が倒れた場所だった。ジャージに斬られた痕跡があるのでこれも幻などではない。

 わけもわからぬまま立ち上がるアリスだったが、

「うあっ──」

 怪物が巨剣で正確にアリスの細い首を跳ね飛ばす。生首がコロンと転がり、残された胴体の切断面から血が噴水のように吹き出してステージを赤く染めていく。

 だがこれも、時が数秒前にスキップされたかのようにアリスの首が元通りになる。真っ赤に染まったステージだけが確かな現実であった。

 怪物が左手を握りしめると、ふらつくアリスへと振るう。

「ちょっ、待っ──」

 ぐしゃりと、アリスの全身がひしゃげて血と肉片が水風船のように周囲へと飛び散る。凄まじい勢いであったがしかし、破壊されたのはアリスの身体だけで簡易ステージには衝撃すら伝わっていないようだ。

 怪物が左手をどけると、そこには潰れたカエルのようになったアリス……ではなく、健康優良児そのもののアリスが転がっていた。

(な、何なの……これ……。痛いし、怖いし、痛いし、痛いよぉ……)

 もはや正常な思考が不可能なほど、アリスの精神は摩耗していた。理解不能な状況に加えて、自身が何度も何度も残酷に殺されているのだ。常軌を逸した精神ダメージを受けるのも当然である。

 アリスは口の中が自分の血で満たされていることに気づいた。口内いっぱいに広がる鉄の味に嘔吐しそうになる。

 立ち上がる気力すらもなくなっており、このまま本当に殺してほしいとまで思いかけていた。しかし……、

(あ、ラスサビ……もうすぐ始まる)

 ぶつ切りながらも僅かに聞こえているメロディが彼女の心を奮い立たせる。

 片膝を着き、時柴の方を向く。彼は怪物なぞには目もくれず、アリスが立ち上がるのをじっと待っていた。

 アリスは頬に付いた自分の血をジャージの袖で拭うと、勢い込んで立ち上がる。ヘッドマイクが機能していたときにも負けない声量で、

「0時になっちゃうよ! 君はきてくれるかな⁉ この時間は心臓に悪いけど!」

 ダンスはもう無理だった。大声を出すのが限界で音程も合っていない。歌というより叫びに近い。しかし彼女は必死に続ける。

「0時に消える魔法! ほんとに必要かな⁉ この恋も消えそうだよ!」

 口に留まっていた血が叫びとともに飛び散っていく。

 右手に持つ巨剣を振り上げた怪物に異変が起きる。身体全身が現れたときのように歪み始めたのだ。

「君を待っていた! 0時に待っていた! その笑顔に胸が撃ち抜かれる!」

 怪物の身体がアナログテレビの砂嵐のように震え、心なしか苦しそうにもがき始める。

「二度といらない魔法! 君の隣だから! もう0時は過ぎていた!」

 怪物の身体が縮小と膨張を繰り返していく。

 アリスは高らかに最後のフレーズを叫んだ。

「この恋は0時の魔法……!」

 瞬間、怪物の姿が一瞬にして消失する。曲が終了し、消えかかっていたメロディが鳴り止んだ。遠くから微かに聞こえてくるパトカーのサイレンだけが今この場にある音だった。

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