episode17

「どんな……。どんな雪景色でしょう。」

 のぞみさんの返答は、とても曖昧だった。冷静なブルーの瞳の灯を、目蓋の奥で揺らしているのが分かった。

 ぼくは、いきなり答えさせるには酷だったかと、質問を変える。

「……絵を描くことは、好きですか?」

「はい。でも、習ったことはありません。私がやりたいように描いているだけなので。」

 望さんは白に白を描いたまま、ぼくの質問に答えた。凛として、何処か冷たい眼差しは、先程こちらを一瞥しただけで、後はもうキャンバスに吸い付けられていた。

 ある程度の能力を持つアーティストは、身勝手な人間が多い。一般的にそう言われているかは関係なく、ぼく自身がそう思う。

 常識はあれど人の領分に踏み込む人。

 掴み所がなく、柔軟ながら歪な感性を強制する人。

 配慮と図々しさを半々で抱く人。

 周囲の評価に怯えながらも、己を貫き通す人。

 話している本人の顔を見ずに話をするのは、それなりに不敬に当たるだろう。それを気にする人もいるかもしれない。けれど、彼女の自由さは、才能を持った者特有の、許すべきであるという不思議な力がある。

 どうしようもなく、彼女の絵には惹かれた。描いた本人すら曖昧にしか答えられない雪景色が、とても尊いものに思えていた。

「素敵な、絵です。」

 これ以上ごちゃごちゃと、なにか言うのは無粋な気がした。アドバイスなど以ての外、持ち上げるように褒めることすらそぐわないと。

 ぼくは、彼女からそっと離れた。そして、それから三分後、生徒に片付けの指示を出したのだった。

 もう少し、もう少しだけ、彼女の絵を見ていたかったと思いながら。

 

◯○○○○○○○○○○○○○○○


「先日仰っていた、『美術界の寵児』についてですが……。」

「おっ、見つけました?誰だと思います?」

 例の美術教師が、悪戯好きの子供のように笑う。この教師について行ったら、暇潰しの玩具にされそうだ。

「……初等部六年二組ののぞみあいさん、ですか?」

 まだ、授業を見ていないクラスもある。だから、間違っている可能性だって十分にある。

 けれど、ざきの絵を間近で見続けて肥えた目を持っているはずのぼくが驚いたのは、彼女だったのだ。望逢夢だと、思わないはずがない。

「……やはり、飯縄いいづな先生のお眼鏡にもかないますかな?そう、彼女ですよ。」

 美術教師は、そういったあとにスマホを起動させ、何枚かの写真をぼくに見せてきた。

 西日を浴びる一つの林檎、水を受ける芝、真新しい駅の雑踏。全て水彩画らしく、水彩画らしい淡さや鮮やかさがありつつも、どこかリアリティがある。

「すべて……彼女の作品ですか?」

「ええ。望さんの、作品です。」

 息を呑む。何か一言すら、口にすることが出来ない。

 林檎は、瑞々しく鮮やかな色を纏って、影すらも華やかに見えた。芝は、水滴の煌めきが本物のように見えた。駅は、人がごった返す雑踏の中のそれぞれの思いが、背中の絵から窺えた。

 ぼくが彼女の歳の頃、こんな絵を一度でも描いたことがあっただろうか。どうしても、自分が力任せに筆を動かしていた記憶しか、思い出せない。

「これが小学生の……子供の描く絵、なのでしょうか?」

 微かに不安定さが見えるのは、歳に合わないラインの大人らしさかもしれない。子供特有の、子供にあるべきの純粋さが、激しく欠落していた。

 けれど、これがもし彼女が単純に描きたいと思う絵で、彼女本人が生み出す絵だとしたら。

 これから、彼女はどうなっていくのだろう。きっと、ぼくが手を伸ばしても届かないほど、大きな絵描きになるのではないだろうか。

 自分が絵を描いていた頃と同じ温度の熱が、また噴き上がってきた。アーティスト・望逢夢の絵が、理解する前に、ぼくをそうさせた。

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