episode27

 どうしてこうなったんだろう。微かな疑問を抱いたまま、ぼくは目の前に座る二人の男を見つめた。

 同じ職場で働く二人の同僚……国語科担当のあお結芽ゆめ先生と、二年一組担任・数学科担当のはるしん先生。ぼく達は、二人を夕食に誘い、今はぼく達の家で四人、食卓についている。

 声をかけたら、すぐに立ち去るつもりだった。身内が亡くなったとか、失恋したとか、そういった話ではぼくに出来ることはないし、声を掛けたのだって、ただの自己満足だと自覚していたからだ。

 でも、軽く話を聞いたところ、一番突っ込みにくい『恋愛関係』ではないと分かり、なんだかこのまま退散するのが逆に気が引けたので、青木先生と一緒に家に招いたのだ。

 葉鳥は、楽しそうに鍋の準備をしている。目を腫らしたまま手伝おうとする春来先生は、ぼくが慌てて止めた。

 あの公園で涙を流していた春来先生は、此処に来るときには落ち着いてきたようで、今も天井の一点をぼうっと見つめている。……いや、放心状態なところを見ると、落ち着いている訳では無いのかもしれないけれど。

 それにしても……と、ぼくは春来先生と青木先生の仲が親密なことに驚いていた。不仲だと聞いたことは無かったけれど、それぞれが担当する学年も違って会話をしている様子はあまり見受けられなかった。更に、春来先生は二十四歳で、青木先生は葉鳥と同じ三十一歳。この年齢幅で、学生時代の知り合いというにしては、思い切りタメ口だった。親密なのならそういうこともあるのかもしれないけれど、真面目な春来先生がそうするのは意外だと思った。

 以前、湯田ゆだなか先生から、春来先生はとある生徒の親戚なのだと聞いたことがある。それが誰かは知らない。春来先生もその生徒も、隠してはいないが大っぴらに公表してもいない……といった感じだ。

 買いすぎた材料で作った鍋は、4人でやっと丁度良かったかもしれない。

「お二人共、飲み物は何にします?」

「私も春来も、水でお願いします。」

 しっかりと座らせられた春来先生はオロオロとしているが、青木先生が春来先生を立ち上がらせようとしなかった。

 準備を終えて、食事を始める。鍋の熱気が、長く経たないうちに部屋にこもった。

 僕たち四人の会話は、当たり障りのない、生徒の話ばかりだった。成績の話、生活態度の話。担当学年も異なる四人で、色々な話を聞くことができた。


「……すみません、夕飯、ご一緒させて頂いて。ありがとうございました。」

 食事を終え、簡単なデザートでも作るか、とヨーグルトを開けたとき、後片付けを手伝ってくれていた春来先生が小さく呟いた。

 不謹慎だとは思うけれど、春来先生はとても綺麗な人だ。まだ幼い子どものように輝るアメジストの虹彩、微かに揺れる柔らかな黒髪、筋の通った鼻に、桜色の薄い唇。きっとこの人、学生時代はモテたんだろうな、と密かに思う。

「いえいえ、むしろ急に声を掛けてしまって……申し訳ないです。」

 ぼくの声に、春来先生は力なく笑った。微かに首を傾げた瞬間、彼の頬が一筋、光ったのが見えた。

「見つかったのが生徒だったら、それなりに惨事でした。教壇に立っても、生徒たちを戸惑わせるだけでしょうから。」

 春来先生は、更にぽつりと続ける。机上を拭いた布巾を流して絞った手が、冷たさで赤く染まっていた。

「これは元来、自分の精神が弱いからこうなったんですよね。昔から、変わっていない。……夜の公園で一人、絶叫したことだってあるくらいですから。」

「絶叫……⁉」

 この人、今までに一体何があったんだろう……。気の毒なことだけれど、あまりにモテてモテすぎて、ストーカー被害にでも遭遇したのだろうか。

 そんなことを考えながら戸棚から蜂蜜の瓶を取り出したとき、何やら背後より無言の圧力を感じた。振り返ってみると、不満か怒りかを携えた表情で、とりが春来先生を睨んでいた。

「何してんの、葉鳥。」

 ぼくのツッコミを華麗にスルーして、葉鳥は春来先生から目線を逸らさずに言う。

「……春来先生、夜の公園で絶叫って、それ、何年前の話ですか?」

 低い声。数年前に、母親からの電話を引っ手繰ったときと同じくらいの声の圧だった。春来先生はそれに、戸惑いつつも指を折る。

「え……っと、二十一歳の頃の話なので、三年前、ですかね。」

 更に、葉鳥の顔が暗くなった。それから、沸々とした怒りを少しずつ見せるように顔を赤くしながら、くぐもった声をあげた。

「やっぱりアンタか……!花束を壊したヤツは……!」

 ……え?花束って、ぼくのことだよね。壊す?え、ぼくって、春来先生に壊されたの?

 春来先生が、怯えたようにぼくを見る。見るのだけれども、いかんせん本人がわかっていないので、フォローも賛同もできない。

 ぼくの表情に気づいたのか、葉鳥は声を少し抑えて、怒りに歪めたままの顔をこちらに向けた。

「……花束、思い出せ。お前が絵を描けなくなった理由を。夜の公園から聞こえた叫び声で、お前は目を覚ましたんだろ?」

 あ……、そういうことか。

 ぼくが絵を描けなくなったあの日、絵を描いていた最中に聞こえてきたあの叫び声は、春来先生のものだったのか。たしかにあの声は、若い男の声だった。理解したくない絶望を思わせるような、あの悲痛な叫びは。

「春来先生、あれは一体どういうことなんですか?自分の行動が、他人にどれほど影響を及ぼすものなのか、想像は至らなかったのでしょうか?」

 春来先生に詰問する葉鳥が怖い。春来先生も、顔を真っ青にして震えている。

 ……気持ちを落ち着けて欲しかったのに、春来先生をビビらせてどうする。美人が怒ると怖いのだから、少し抑えめにしてほしい。

「す、すみません。えっと……。」

「葉鳥、ちょっとストップ……。」

「ちょっと待ってください、麻績おみ先生?」

 春来先生が涙目のまま頭を下げようとし、ぼくがそれを止めようとしたとき、また別のところから声が聞こえた。

 春来先生を守るように、彼の背後に青木先生が立った。青木先生も、葉鳥と同じように険しい顔をしている。

「頭ごなしに否定し過ぎではありませんか?そもそも、飯縄先生となんの関係があるんです?偶然が重なっただけでしょう?」

 あっという間に、葉鳥と青木先生がバトルモードに入ってしまった。

 がっしりとした体つきで逞しい背中の青木先生と、細身に黒縁眼鏡のインテリイケメン・麻績葉鳥が睨み合っているさまは、どちらの眼力も強く、それだけで人を殺せそうだ。

「青木先生……。」

 葉鳥が、ゆらりと顔を上げた。

「少し、お時間よろしいでしょうか?」

「ええ、いくらでも。」

 ……当人がついていけてないんだから、やめようよ。葉鳥がぼくのために怒ってくれているのはわかるけど、ぼくがああなったのは、絶対に春来先生のせいじゃないのに。

 しかし、そんなぼくの思いも知らず、葉鳥と青木先生は部屋を移動しようとしている。リビングのドアに手をかけたところで、葉鳥と青木先生が揃って振り返った。

「花束、お前は何も気にしなくていいから!」

「心、お前のことは、絶対に傷つけさせん。」

 ……どうしろっていうんだ。っていうか、ここにぼくと春来先生を二人にして残す気か。

 ぼくの懸念をそのまま、二人は本当に、ぼくと春来先生を二人残して移動してしまった。

 ……どうすればいいの、これ。

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