episode26

「『秋風に 靉靆たなびく雲の 絶え間より 漏れ出づる月の 影のさやけさ』……だっけ?」

「なーにがー?」

 長ネギが飛び出たエコバッグを子供のように振り回しながら、とりがぼくの独り言に反応した。呑気に間延びした喋り方に、なんだか気が抜けてしまう。

「こう……、雲に隠れた月。百人一首でなかったっけ?」

 ぼくが灰色のヴェールを纏った十三夜月を指さすと、そういった文化への関心が非常に薄い葉鳥は、ふるふると首を左右に振った。

「分からん。国語科のあお先生に聞けば分かるかもな。でも少なくともオレは、知らん。」

 左様ですか。


 絵を描けるようになった日から、一年弱が経過した。細々と絵を描いていく中で、授業中に手本として筆を持てるようになったのはかなり大きかった。今まで抱いていた微かな胸の歪みも、着々と修復されつつある。

 ……でも、少しだけ余裕が見えてきて、周囲の変化に一つ気づいた。

 昨年もそうだったが、望さんは秋になると、途端に表情を曇らせるようになったのだ。

 もとから、冬以外は絵に描かなかったので、冬がとても好きな人なんだろうな、くらいに思っていたのだが、そうではなく……冬以外が嫌い、なのかもしれないと勘付いた。そして、ピンポイントに『秋』。秋に、彼女が異様に反応するのも疑問だった。普段は笑顔を絶やさない彼女の、影を落とした表情には、何度も胸が締め付けられていた。

 けれど、ぼくに出来ることは少ない気がした。彼女の横には頼りになる友人がいるから、大丈夫、何とかなるだろう、とまで思っていた。


「……なあ、花束はなたば。あれ。」

 呑気に鼻歌を歌っていた葉鳥が、肘でぼくの腕を小突いて、小さな公園を指さした。見ると、公園のベンチに、二人の男が腰かけていたのが窺えた。

 二十代・三十代くらいの、二人の男。そんな影が見えるだけで、ぼくには細かな様子は窺えない。

はる先生が、泣いてる。」

「は?」

 葉鳥がぼくに声を掛けた理由が分からず、そのまま素通りしようとしていたぼくに、信じられない物を見たような声を出した葉鳥の言葉が落ちてきた。

 葉鳥がいた立ち位置に、二、三歩近づいてみると、確かにそれが見えた。

 構図としては、顔を覆って項垂れている男の背に、もう一人が手を回している、という状況。でも、その二人の男がどんな人間なのかを知っているため、立ち止まった葉鳥と同様、素通りすることが出来なくなってしまった。

 そこにいたのは、二人の同僚の教師。薄い暮れに、その様子がぼんやりと浮かんでいた。

「……気づかなかったふりをした方が良いんじゃない?」

「でも、あのまま放っておいて、明日、オレもお前も素知らぬ態度を取れるのか?」

 ぼくの気遣いは、ぼくの性格に打ち破られた。困ったように眉を顰めて見せると、葉鳥はバッグを持ち直すと「不用意に踏み込むことは絶対に避けよう」と真剣な面差しを公園に向け、そのまま公園の敷地に入っていった。

 ぼくも、それに続く。葉鳥が、小さく息を吸った。


「春来先生、青木先生。どうなさいましたか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る