episode11
秋がすぼみ始めたとある日。ぼくはいつものように、デザインの仕事を終え、家に帰ってきた。
「……
珍しく早く上がれたらしい葉鳥が、ネクタイは緩めているがスーツ姿のまま、ソファで眠っていた。ベッド代わりに贅沢にソファを占領されているので、食卓の椅子に腰掛け、ぼくの帰宅に気付かない葉鳥を観察してみる。
「随分と変わったなぁ……。」
幼い頃の葉鳥を思い浮かべてみるけれど、今の葉鳥とリンクする部分はかなり少ない。閉所・暗所恐怖症で、なぜかは知らないが演歌を聞くと小指をピンと立てる癖は直っていないようだけど。
しばらくして、葉鳥の観察に飽きたぼくは、葉鳥に毛布を掛けて、緩んでいたネクタイを外してやってから自分の部屋に戻った。
当然だけれど、葉鳥は大人になった。あの頃の、幼くあどけなく脆くあった少年は、何処か見知らぬ光を背負った男になっていた。ぼくの経験上、歳を重ねるごとに闇を纏う人間の方が多くいると思っているけれど、葉鳥はそれから外れている。
……そう考えると、ぼくは見事に、マニュアル通りに進んでいるのだと思う。あまりに地面に縋りつくせいで、乱れて混沌とした軌跡が残されている。自分の記憶を振り返ると、そこには傷跡しか見えなかった。
考えるだけ、無駄だろうか。
「考えるだけ、無駄だな……。」
画材を全て片付けたせいで、いやにがらんとしてしまった部屋で、ぼくはベッドに腰かけて、薄暗いままの天井を仰いだ。
無機質に携帯電話が震えた。ベッドに腰かけ、そのまま微睡んでいたぼくは、少々痛めてしまった首を押さえながら、携帯電話に目を落とした。
「非通知……?」
本来は取らない方が良いのかもしれないが、怪しい電話だったら警察に言ってやればいいだろう。そんな思いで、特に深いことを何も考えず、ぼくはそれに応じた。
「はい。」
電話の奥、身の毛がよだつ様な吐息が耳に触れた。
〈
「あ……⁉」
母親だった。
体が、一気に冷える。冬に近くなってきたからだとか、上着を脱いだからだとか、今の身体の冷え方からして、それはきっとそんなものじゃない。
……怖いんだな。心の底から、恐怖を抱いているんだ。
〈貴方、絵を描くのを辞めたんですって?〉
ずっと変わらない、母の声。本来こうしなければならないんだという義務的な表面で慕っているふりをしているだけであって、恩義を感じたことがまるでない音。
空しい。
「……なんで。どこから聞いたの。」
〈大学の先生。
余計なことを。彼と出会って、これほどまでに亜崎を恨んだのは初めてかもしれない。
「で、それが何?」
〈物わかりの悪い馬鹿な息子に一言教えてあげようと思って。〉
電話を切れ。携帯を投げて、耳を塞げ。
するべきこと、したいことは分かっているのに、身体が動かない。耳に当てた携帯電話を、手から離すことが出来ない。
完全に硬直した手首に、無意味に力が入る。母が、続けた。
〈やっぱり、私の言うとおりにしていればよかったのよ。今まで貴方、何一つとて正しいことをしたことないじゃない。やるべきことが出来たって、口にしたことないじゃない。無駄な足掻きよ、本当に。〉
〈親に連絡もしないで、ふらふらと歩き回って。
〈貴方、一体、何がしたいの?〉
絶え間なく涙が頬を伝った。
アンタの言うとおりにしてたら、ぼくは死んだも同然だ。正しいことをしていないことくらい、自分で分かってる。無駄な足掻きだということも、他人に迷惑をかけて生きていることも、全部知ってる。理解してる。
〈ねぇ、聞いているの?〉
「うるさい……。」
うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさい……‼
「黙って‼もう黙って‼
__これ以上壊さないで。
抑えようのない涙が溢れ、もう何の制御もできなくなった。片手で顔を覆って、それでも電話を手放すことが出来ないまま、ぼくはそのまま泣き続けた。
「……い、おい、花束。」
突然、携帯電話を取られた。涙が落ちたままの顔を上げると、顔を青く染め上げ、肩で息をして、唇を震わせた葉鳥が目の前にいた。
葉鳥はぼくの携帯をひったくったあと、部屋から出ていけというような、手を払うジェスチャーをした。ぼくが動かずに困惑していると、葉鳥は適当なメモ帳にペンを走らせ、『おばさんと話すから、一旦部屋から出て』という文字を見せた。
ぼくは、わけが分からないまま部屋を出る。葉鳥は僕の部屋に残り、しっかりとドアを閉めた。
部屋からうっすらと、葉鳥の怒りの声が聞こえた。抱えた膝に顔を埋めて、未だ落ちようとする涙の跡を感じつつ、その葉鳥の声を聞いた。
「……おまたせ。」
泣き疲れ、頭が真面に働かない状態のぼくは、普段より微かに低い声で部屋から出てきた葉鳥に声を掛けられた。
「ごめん……。母さん、何て……?」
「オレが出たら驚いてた。途中で
また、助けられてしまった。
「……ごめん。」
「ん?」
葉鳥と目を合わせられない。うつむいたまま、ぼくは葉鳥に言った。
「自分のことなのに……。頼ってばっかりで、迷惑かけて……。」
「なんだ、んなことかよ。」
葉鳥が、ぼくの頭に手を置いた。それから、得たりや応とばかりにゆっくりと微笑む。
「ヒーローへの恩返しだって。迷惑だなんて思ってないから。」
葉鳥の手が、温かかった。その葉鳥の心のぬくもりに、ぼくはまた涙を流してしまった。
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