episode13

「……とりはいつも、ネクタイ締めたワイシャツの上に、灰色の作業着重ねてるの?」

「え?うん。」

 結局、ぼくは今までの仕事を辞めて教職に就いた。非常勤ではなく、正規雇用で。

 無論採用試験を受けて仕事に就いたので、今は四月だ。

 隣の“麻績おみ先生”を見る。他の教師陣と何食わぬ顔で会話をしているところを見ると、自分のことは棚に上げ、改めて葉鳥が教師なのだと感じた。

 始業式にて、教員紹介の時間に壇に立つ。一応スーツは着ているが、服と顔が不釣り合いで、やはりぼくがこんなものを着るべきではないなと実感する。

「美術科を担当します、飯縄いいづな……花束はなたばと言います。これから一年、よろしくお願いします。」

 あー……、やっぱり苦手だ、この名前。スーツ以上に、顔と名前が不釣り合いだ。

 笑われているのだろうと思って、壇を下りながら生徒列を一瞥してみると、笑いを堪える生徒は意外にもおらず、逆に顔面蒼白な子供たちが目に映った。

 どうしてそんな顔をされているのだろう……と疑問を覚えたけれど、思い出した。

 ぼくの昔の渾名は『死神』だった。顔の輪郭が細く、目つきが鋭く、生気がないから。つまり、顔で怖がられているのだろう。

 ぼくは、教師にならない方がよかったのかもしれない。まだ、一コマも授業をしていないけれど、そう思った。


 葉鳥は担任を持っているので、そっちのホームルームに移動した。ぼくは手持無沙汰になったので、他の教師陣と共に職員室へと移動した。

 暇な時間が出来たので、改めて、ぼくが担当することになった初等部・中等部の教師陣の名前を確認する。当たり前だけど知らない名前ばかりで、葉鳥の名前にひどく安心した。

「飯縄先生。これからよろしくね!」

 教員一覧を眺めていると、艶のある髪をショートカットにした、凛とした雰囲気の女性がぼくの肩に手を置いた。

 彼女は、初等部・中等部の音楽科教員、なか先生。現在は三十七歳だそうだが(無論、女性に年齢は聞かない。この情報は葉鳥から聞いた)、二十代だと言われてもすんなり信じてしまえるほどに若々しい。自分の十年後は、こんなふうに年を取れているのだろうか。

「よろしくお願いします、湯田中先生。これからお世話になります。」

「あっはは、いいのよ、もっと気楽に!せっかくうちに来てくれたんだから!ここら辺は田舎で、集まる教師も集まらないのよ。中等部の数学だって、分割授業が廃止になったし。」

 彼女は「駅の近くだと、謎にバーとかモールとかあるんだけどねぇ」と、快活に笑った。

「麻績先生の紹介だって聞いたの。彼の推薦なら間違いないわね!因みに、教職はそれなりに忙しいから、覚悟はしてね?」

 どことなく、ざきの面影を浮上させる人だ。ぼくは、ふっと笑って、湯田中先生に頭を下げた。

「はい。頑張ります。」

 

○○○○○○○○○○○○○


 始業式からいきなり授業があるわけではないので、子供たちとの時間は殆どないまま帰宅となった。忙しそうな葉鳥より先に帰るのは気が引けたが、葉鳥が「先帰っててくれ」と言ったので、言われたとおりにした。

 一人きりの道中、無意味に携帯電話を開く。そして、連絡先から、石口さんの名前を見つけて、彼女からのメールを開いた。

『興水先生から聞きました。色々悩んでいると思います。気分転換に、今度、お茶でもどうかな?』

 このメッセージが来たのは、去年の夏。もう、九か月近い時間が経っている。このメッセージに、ぼくは返答を送っていない。

 普通なら、何か一言、返すべきだと思う。でも、絵を描けなくなって、全てが分からなくなって逃げてきたこのぼくを、覚えていてもらう資格はもう剥奪されている。

 彼女も、ぼくのことは忘れているだろう。いや、忘れていてほしい。流石に、片思いをしかけた男であっても音信不通になれば、他の人へと情は移っているだろう。

『勝手に消えてしまわないで。』

「……!」

 ふと、彼女に言われた言葉が記憶を横断する。あの時の彼女の顔も、今はっきりと思い出された。

「……。」

 一筋の冷や汗が落ちる。けれども、ぼくはふるふると首を左右に振った。すれ違った小学生が、ぼくを見てから首を傾げて歩いて行った。

 いや、もう遅い。今更、このメールに返信なんてしても意味がない。仮に意味があっても、流石に無礼すぎる。九か月も見て見ぬふりを続けてきたんだ。今更。何が変わるって言うんだ。

 言い訳をする。……そして、その言い訳を思い返しているうちに、メールの返信にわざわざ『意味』を探そうとしていることに気付いた。

 別に、相手に悪い気がするからというだけで、九か月ぶりにメールを送ったっていいだろう。見るか見ないかは、相手の判断だ。ぼくに委ねられることじゃない。

 それでも、ぼくは、彼女からの何かしらのアクションを期待して、その可能性が見込めないから自己完結して、もう遅いと思い込んだ。

 返事はしないくせに、彼女のメールを何度も見返しては、傍に味方がいてくれるような甘ったるさに浸っている。何度も、何度も。数える気すら失せるほど。

「あー……、そう……。そういうこと……。」

 誰もいなくなった一人きりの歩道で、誰にも聞かれない声で呟く。諦めと悟りを、口にする。

「ぼくは貴女のことが……好きなんですね……。水咲さん……。」


 尚更、貴女にメールを返すことが出来なくなりましたよ。

 ぼくが手を伸ばしていい相手じゃない。このメールをくれたときの貴女の心だけは頂いていきますが、貴女に手を伸ばすことはしません。

 自ら手を離した貴女を追いかけるなんて、そんな不純なことはしません。

 だから。貴方にとって、数回会っただけのぼくがどれほどの大きさなのかは知りませんが、ぼくのことはすべて忘れて、幸せになってほしい。


 改めて、もう一度、そう思うことにした。

 空しいほどに、虚しいほどに、今夜の月は綺麗だった。

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