episode31

「……お久しぶりです、興水こしみず先生。」

 新居への移動を終え、仕事にも慣れてきた頃、ぼくはある休日に、ずっと来られていなかった興水老人の墓参りに来た。

 あの人が亡くなって、もう四年が経とうとしていた。四年間、ずっと来られていなかったことに罪悪感を覚える。

 そっと、墓前で手を合わせる。穏やかな陽光と風が自分に降り注いだ。

 静かな、時間だった。


「……飯縄いいづな君。」

 女性の声が、静かな世界で響いた。

 閉じていた目を、ぱっと見開く。差し込む鮮やかさが、容赦なく目に刺さった。

 華やかさが混じり、よく通るハイトーン。そのはずなのに、今の声は酷く弱い声だった。

 けれど、その音は変わらない。懐かしい、あの人。

石口せきぐち、さん……?」

 最後に会ってから、もう五年ほど経つというのに、見た目が若々しいまま変わっていない。服装は年相応に趣向が変化していたが、記憶と違わない、水咲さんがそこにいた。

「っなんで、メール、返してくれないの?」

 彼女は、何も受け入れられないという顔から、一気に頬を膨らませた。涙を目に溜め、顔を赤くしている。

 ……心臓が、痛い。狂ったように脈を打ち、落ち着く様子が見えない。

「すみま、せん……。」

 石口さんは、ぼくに一歩近づく。硝子片かダイヤモンドのような涙を絶え間なく落としながら。

ざきさんから、全部聞いてた。絵をかけなくなったことから、全部。メールを返してくれない間も、貴方の様子はある程度知ってたの。」

 石口さんは、涙を拭わずにぼくの近くへ歩いてくる。触れられる所まで近付き、彼女はぼくの服に縋った。

「……でも!何でもいいから!あたしは貴方の言葉が欲しかったの……っ!」

 ぼくも、知らぬ間に泣いていた。彼女は、すべてを切り裂くような鋭い声で、泣き続けた。

「どんなに言葉選びが下手でも……っ、無駄に長くても短くても……!あたしは貴方の言葉がいいの……!」

 最後に「バカ……!」と叫んだあと、石口さんはぼくの首に手を回してきた。

 未だ、何かから許されていない気がしたけれど、彼女を拒むことはもっと出来ないと思い、石口さんを抱き締め返した。

「……石口さん。ぼくは馬鹿ですよ。貴女は、ご存じなかったかもしれませんが。」

「うん……。」

「……本当に、馬鹿なんですよ。失言を恐れて、貴女に言葉を渡すことを避けたんですから。」 

「謝ってくれたら、どんなにひどい言葉も許すのに……?」

「それ、一番やっちゃいけないことですよ。」

 やっと、双方が体を離す。暫く、見つめ合う時間が合った。

「ねぇ、今まであたしを待たせた罰だよ。」

 ……石口さんが、ぼくの顔に手を触れた。手のひらで頰を触り、親指でぼくの唇をなぞった。

 何を求められているのかを瞬時に理解する。それと同時に、恐れていた懸念を口にした。

「待ってください……石口さん。お付き合いしている方や結婚とか……はっ!?」

 すべてを言う前に、彼女がぼくの唇をうばった。傷付けそうで僅かとも動けず、硬直した体のまま、ぼくは彼女に触れていた。

「……居るわけ、ないでしょ。貴方がいたんだもの。」

 いたずらっ子のように、彼女が笑う。その顔に、ぼくはこっそり涙を浮かべた。

「それに、わざわざそう聞くってことは、貴方にもいないんでしょ?」

「……好きだと、言ってもいいんですか?」

 ぼくは、彼女にそう返す。石口さんは、ゆっくりと顔を赤くした後、素敵な笑顔ではにかんだ。

「……言って、なかったっけ。うん。あたしも。」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る