episode4

『ずっと絵を描いていたって、何の役にも立たないでしょう?大して上手くもないんだし。』

 高校二年の夏、美術大学進学への意思を初めて伝えたときの、母からの言葉はこれだった。

 母はそれなりに高学歴で、キャリアにも自信がある。失敗したことは人生で殆どなく、いつだって自信に満ち溢れていたという。

 そんな母だからこそ、自分の決めた事項は例え周りから何度「それはおかしい」と言われても、すべて正しいのだと信じて疑わない。自分ぼくで決めたことを、そのまま肯定してもらえたことは一度だってなかった。

 高校に進学する際は、人生で初めて親に反発して、わざと県立校に落ち、県内で随一の高学費の私立高校へ入った。散々罵られたけれど、一つ上の姉はいじめの発覚で高校退学になり見限ったらしく、母にとっての頼みの綱がぼくだけになっていたので、ぼくがそれで勘当されることはなかった。体を動かすことが大事だからと、美術部に入ることは許されず、何かしら運動部への所属を強要された。兼部することも否定されたため、美術部に入ることはできなかった。

 周りから言わせれば、親は過保護だという。幼い頃はなんとも思っていなかったが、段々、自分の家の異質感に気付き始めてからは、もう全てが馬鹿馬鹿しく見えていた。そして、暫く経った後、これは過保護などではなく、ただの『親の見栄』そして『人格否定』だと漸く理解した。

『大学はちゃんと考えて決めなさい。貴方は何をやっても、必ず失敗するんだから。まともに大学も決められないようなら、貴方の就職先も私が決めます。』

 何をやっても、ぼくは必ず失敗する。__明らかに余計なその一言を聞いたとき、何があっても絶対に、親を頼ってなるものかと、心に決めた。


○○○○○○○○○○○○○○○


『……ビビった。今、天の遣いでも描いてんのかと思った。』

『……は?』

 大学の寮に入っても、嫌がらせのように毎日電話をしてくる両親の罵倒を受ける毎日で、着信拒否をすれば夥しい量のメール履歴が残される。そんなことを二月ふたつきも繰り返しているうちに、自分の決定打が正しいものか分からなくなっていった。

 そんなとき、絵を描いている最中に、ざきは至極楽しそうにぼくの絵を覗き込んできた。

『お前、名前は?』

『……飯縄いいづな、です。』

『ふーん。びっくりした。お前、絵、上手いな。』

 亜崎は、誰のテリトリーにも遠慮なく踏み込んでいく。そのせいで、他の学生からは本気で怒られていたこともあった。

 でも、本当に触れてはいけないところには立ち入らない。近づいて離れて、ひらひらと遠近おちこち舞うように浮いている距離感。それが、ぼくには不快ではなくて、寧ろ安心できるとすら思えた。

 始めは半信半疑だったが、彼は本気でぼくの実力を買ってくれているようだった。ちらりと見えてしまった彼の携帯電話のぼくの名前が、『天の遣い』にされていることには驚いたけれど。

 ぼくの絵に対して向けてくれる、肯定するような頷き。それが、ぼくの選択は間違いだけではないのだと教えてくれた唯一のものだった。

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