episode23

「……なぜ?」

 どこから、ぼくがのぞみさんを恨んでいる、だなんて発想が出てくるのだろう。

 あまりに意味が分からなくて止まっていると、彼女は何かに勘づいたようにハッと息を呑んだ。

「すみません、失礼ですよね。」

「いや……。よければ、どうしてそう思ったのか、教えてもらえますか?」

 彼女は、自分の目の横にかかった髪を耳に掛ける。それから、目の前の絵を見上げながら、ぽつりと言った。

「先生が絵を描けなくなった、という話は伺っています。だからこそ、先生は、絵を描ける私が恨めしいのかなって。隣の芝生は青く見えてしまいますから。」

 そんなことを思われていたとは。実際、望さんを恨めしく思ったことなんて一度もない。ただ、素敵な絵を描く人だと思っていただけなのに。

 否定しようと口を開くと、その一瞬前に、彼女の声がそれを遮った。

「先生は、絵を描きたいと思ってるんですよね?」

「……!」

 頭から冷水を被ったような衝撃を覚えた。

 確かに、そうだ。絵を描くことはできないけれど、描きたい。

 最近は、そう考えることすら放棄していたからすっかり忘れていたけれど、そうだ。

 ぼくは……絵を描きたい。


 何も言わなくなったぼくに、望さんは「先程の質問の答えですが」と続けた。

「……私は、自分の、昔も今もその先も、『成功』だなんて思いません。万人が憧れる人間なんて居ませんから。金持ちに興味のない人だっている。勉強ができようができまいが、どうでもいいと考える人もいる。私は、寧ろ、今を『失敗』だとすら思っています。たった一つのこと絵を描くことしかできないのだと、言われたようにすら思う。……覚悟は、そもそもしていません。ですが、もし、私の“今”が、『成功』と呼べるまでの価値がある“今”なら、私は何を捨ててでも、進む意思があります。それを覚悟と呼べるなら、私は、覚悟を持っています。」

 成功を掴む覚悟があるか、という問いへのアンサー。彼女は、はっきりと言い切った。

 自分が生きる“今”を『成功』と呼べるなら、私は進む意思がある。それを覚悟と呼べるなら、私は覚悟を持っている。そう言った。

 ……そうだ。人の覚悟は、他人が覗くものではない。子どもであれど大人であれど、どれほど近い距離であろうと、それは変わらないのだから。

「そうですか。……安心、しました。」

 それならぼくは、彼女が壁にぶつかったときに、全力でサポートをするだけだ。大人の出る幕は、此処ではないのだから。


「その台詞、やなぎ君の前では絶対に言わないであげてくださいね。」

「へ?言うことなんてありませんが……。でも、どうしてですか?」

 望さんは目を丸くしているが、当然だろう。

 望さんに羨望と焦燥を抱く彼の目の前で『自分を成功だと思わない』『寧ろ失敗だと思っている』なんて言ったら、木柳君のショックは如何なものになるか……。

 ぼくは望さんの覚悟を知り、ちゃんと彼女に向かって笑った。

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