episode22
「望さん。」
ぼくがそっと声を掛けると、深い青を映し出す瞳に笑みを咲かせ、彼女が振り向いた。
「
「それは、勿論。先程、望さんの絵を見せてもらいました。」
きっと校内で、ぼくに名を呼ばれてこんなに笑顔を見せてくれる生徒は、望さん以外にいないだろう。少し寂しい気持ちを抱えつつ、ぼくは彼女に近付いた。
「望さんの絵は、かなり好評だそうですよ。この大会の主催者であるぼくの恩師も、貴女に会いたがっていました。」
望さんは、少し驚いたように目を見開いた後、幼さの残る笑顔で「分かりました!」と返事をした。
……望さんの絵の中には、子供らしさが欠片もない。幾分か大人ぶっている子供はよく見るけれど、彼女の絵はそれとは違う。
大人を“形作っている”のではなく、大人に“ならざるを得なかった”というように。溶かしたチョコレートを、型に流し込んで固めたら、その形しか作れなくなるように。
彼女は、どこか不安定なのかもしれない。そしてその不安定さは、子供一人では本来抱えきれるものではないのだと思う。彼女の作品から感じ取れる、異常なまでの孤立感がそう感じさせている。
だったら、その擦れた大人らしさは、この子自身が理解していない段階で、周りの大人に固めさせては、いけない。
この子に、絵を描き続ける覚悟はあるのか?それがないのなら、これ以上、彼女を天才だなんだと、持ち上げて良いのか……?
「……望さん。」
「はい、先生。」
柔らかい彼女の笑顔に、ぼくは真剣な眼差しを向ける。ぼくはそっと、言った。
「貴女の“今”は、成功間際です。この作品展は、貴女にとっての成功と言っていいでしょう。そこで今、問います。……貴女は、自分を“成功させる”覚悟がありますか?貴女は、自分の成功のため、どんなに大切なものでも、失う覚悟がありますか?」
望さんから、笑みが消えた。代わりに、キャンバスに一心不乱に向き合っているときのような、冷静さが瞳に浮かぶ。
今のぼくのように、絵を描くことを失うこと。そうではなくても、周りの才能への妬みから、大切な人を失うこと。擦れた大人らしさを持ち合わせる彼女には、その恐怖を背負う覚悟の重さが、きっと分かっているだろう。
「成功は、少なくとも一人を、絶対に傷つけ、負かし、踏み倒すことが必要です。半端な覚悟で、成功を収めることはできません。そして、その代償も、必ずついてくる。人からの恨みや過大評価で自信を失ったり、人からの攻撃的な言葉で人の心を失ったり。それでも、貴女は“成功”を、貴女自身の手で掴む気が、覚悟がありますか?」
何を失うかなんて、先のことは誰にも分からない。だからこそ、それにこの子は打ち勝てるのか。仮に勝てなかったとして、再度立ち上がる力があるのか。
不安定な大人らしさは、自分を崩す隙になる。そこを抉られていくうちに、再起不能にだってなる。
望さんには、ぼくのような思いをしてほしくない。“絵をかくこと”を失うことを覚悟せずに、“大切だと思った人”すら失ったぼくのようにはならないでほしい。
学校の教師陣は、望さんを『美術界の寵児』と称えているけれど、これ以上、周りの大人に持ち上げられて、戻れないところまで行かせてしまわないように。
子供がプレッシャーに押しつぶされて、元に戻れなくなってしまうことを防ぐことは、大人の一番の役割だ。
彼女が口を開く瞬間をじっと待つ。望さんは一度深呼吸をして、それからぼくの方を見た。
「飯縄先生。先生は……。」
その直後に発せられた言葉は、予想もしていない言葉だった。
「先生は、私のこと、恨んでいるんですか?」
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