episode10
あの日以来、絵を描くことはすっぱりやめてしまった。
……いや、描こうとはした。けれど、描けなかった。
どうしても、筆を持つと、画板を前にすると、あのおぞましい絵が脳裏に浮かんでしまうから。
仕事で絵を描くことは、なんとか耐えられる。けれど、仕事ではない、義務がない美術はどうしても無理だった。
自分がいかに、何も考えずに絵を描いていたかが分かった。自分が遠慮なくキャンバスを汚した分だけ、自分は絵を描くことが出来なくなっていると、分かった。学生時代の技量は、今の生気の前借りだったのかもしれない、と、馬鹿なことすら考え始めていた。
日が変わり、昨日にとっての明日が今日になっていく度に、悔しさが募った。筆を持って震えている手を見て、怒りに任せて叫んだことも有った。
それでも、変わらなかった。絵は描けなかった。
『
その温かさは、痛いくらいに伝わってきて、ぼくはそれを痛いほど感じ取った。けれどもぼくは、そのメールに、一通も返事を送らなかった。
今まで、彼女からの連絡にはまめに返事をしていたから、彼女はきっと不審に思っているだろう。けれど、頭が混乱しているときに彼女に言葉を渡したら、何か彼女を傷つける言葉を吐いてしまいそうだった。
彼女はぼくに好印象を抱いてくれているのだと思う。プロジェクト終了から、頻繁に二人で外出していたのは、殆どが彼女からの誘いだった。それも、プロジェクトで使ったログハウスの近所に住んでいると言っていた彼女が、わざわざ県境を越えて出かけようというものだったのだから、自意識が過剰でもそうでは無かろうとも、多少は勘付いてしまう。ぼくが住む場所から彼女が住む場所まで、ひょいと行って帰れるような距離ではないのだから。
でも、だからこそ、出会ってあまり関係のないうちに切り離してしまえば、他の人を見つけてくれるはずだ。今までの、一度は抱擁すら交わしたこの時間が、短いと捉えられるか長いと捉えられるのかは、個々人の感覚によるものだろうけれど、時折会っていた程度の四年間なら、様々な人との関わりを大切にする彼女にとって、いつかはあっさりしたものになっていってくれるだろう。……いや、例えそうならなくても、そうしてくれないとぼくが耐えられない。
どうか、ぼくのことをすべて忘れて、彼女が他の人を愛することが出来るように。
……自意識過剰で、最低な、それでいて悲痛な願いだった。
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