第11話 既成事実
それからしばらくして、天城……じゃなくて、来栖は寝息を立て始めた。
新学期が始まって、二ヵ月弱。そろそろ疲れの出る時期。
しかも彼女の場合、そこに芸能活動も加わる。
そりゃあ体調だって崩すだろう。
「こいつの寝顔見るの、久々だな……」
いつでもどこでも誰の前でも、基本的に来栖はすまし顔。
ただその寝顔は年相応に弱々しく、儚く幼い。
「熱は……うん、大丈夫そうか」
額に手を置いて、ふっと呟く。
薬のおかげか、熱が上がった様子はない。
「……ふふっ」
ニヨリと唇を緩めた来栖。
軽く身動ぎして、額を俺の手に擦りつける。
起きてる……?
いや、無意識に撫でて欲しがってるだけか。
「仕方ないなぁ」
苦笑気味にこぼして、優しく頭を撫でた。
……昔を思い出す。
といっても、当時撫でてもらっていたのは俺の方だけど。
母さんがいなくなって、父さんが荒れて、来栖の家に避難して。
それで一応の難は逃れたが、問題は何一つ解決していないし、夜になると嫌なことを想像して上手く寝られなかった。
そんな時、俺を安心させようと来栖は一緒に寝てくれた。
俺の気をまぎらわすため色々な話をしてくれて、手を握ってくれて、頭を撫でてくれた。
本当に、本当に……。
彼女には、何から何まで世話になりっぱなしだ。
「むぅ~……新ぁ~……」
甘ったるい寝言をこぼしながら、来栖は俺の手を掴んだ。
ぬらりとした手汗。
湿った体温。
淡い力。
なぜだか異様に、心臓が鼓動を吐き出す。
造作もなく振り解けてしまうのに、離すのが惜しいと思ってしまう。
「……来栖って、こんなに可愛かったっけ……?」
誰よりもカッコいい親友。
綺麗、美しい――そう思ったことは数あれど、可愛いという想いが胸をよぎったのは初めてだった。
間違いなく俺は今、彼女を異性として認識してしまっている。
邪な目を向けている。
「ダメだダメだ……!! 何とかしないと……何とか……!!」
また頭を打てば大丈夫だろう。
そう思って立ち上がろうとするも、キュッと来栖の手が締まって俺を引き留める。
「……」
ゴクリと唾を飲み、息を止め。
俺は静かに、来栖と手を繋いだままその場に横になった。
……ま、まぁ、今日くらいはいいか。
体調不良のこいつを放って、どっか行くわけにもいかないし。
◆
「すぅー……すぅー……」
「……」
翌朝。
目を覚ますと、新が私の隣で眠っていた。
なぜか、私の手を握ったまま。
…………ふぁ?
えーっと、何これ。
この手はなに……?
ま、まさか、私に手を出そうとして、でも体調不良の私の寝込みを襲うのは気が引けて、できなかったって感じ!?
「い、いやいや……」
冷静に考えろ。
あの新が、そんなことするわけがないでしょ。
「すぅー……すぅー……」
「……お、おっひょ……」
はだけた浴衣から逞しい肉体が覗き、我ながら気持ち悪さの極致みたいな声が漏れた。
昨日水着姿を見たばかりなのに、はだけた浴衣でどうしてそんな反応を?
――などと疑問に思うやつは、唾棄すべきド素人だ。
旅館でしか着ない浴衣と肌のコントラスト!!
これが超絶ウルトラえっちなのだ!!
エロいなぁ。カッコいいなぁ。ずっと見てられるなぁ。
……写真、撮っちゃお。
パシャパシャッ……っと。うひひ、これは色々捗るぞー。
「あっ……!!」
悪魔の如き漆黒のひらめきが、頭の中を疾走した。
旅館の一室で二人きり。同じ布団、お互いにはだけた浴衣。
これを写真におさめたら、既成事実になるのではないか。他の女が攻めて来ても、その写真を盾に打ち払えるのではないか。最強の鉾にして盾になるのではないか。
「よーし……っ!」
内カメラで私と新を画角におさめた。
……うーん。寝起きノーメイクなのもあって、酷い顔だな。
昨日は頭洗ってないから、髪もべちゃってしてるし。
既成事実として残すにしても、モデルの端くれとしてこの仕上がりの自分を撮るのは気が引ける。
「熱は……うん、無しっ」
薬のおかげか、新がずっとそばにいてくれたおかげか、体調は万全だった。
ふふふ……わーはっはっはっ!!
ちょっと待ってろよ、新ぁ!!
すぐ身体綺麗にして、既成事実用の顔面作ってくるから!!
◆
『――新はぜったい、わたしが守ってあげるからね』
古い夢を見ていた。
俺が来栖の家にいられなくなり、それならと彼女が芸能界入りを決意した日の記憶。
誰に何を言われても、父親に怒鳴られても、あいつは俺の手を離さないでいてくれたっけ。
……だから俺も、あいつを守らなくちゃって思った。
来栖のためなら何でもする。
今度は俺が、絶対にあいつの手を離さない。
「ぅ……ん? あれ……?」
にぎにぎ。
来栖の手の感触がないことに気づき、俺は目を覚ました。
眠気眼を擦って状況を把握。あいつがいない……布団は、まだ温かい。
露天風呂の方に、ひとの気配があった。
何だ、ただの朝風呂か。昨日はちゃんと身体を洗っていないから、気持ち悪くなって流しに行ったのだろう。
「俺もあとで入るかー……」
うーんっと身体を伸ばして、軽く深呼吸。
まだ眠たい頭の中を、不意に昨日の記憶が駆けてゆく。
『ストーカーのことがあってから、一人でお風呂入るのが怖くて……』
昨日、彼女は確かにそう言った。
だからこそ、今回の旅行に俺の水着まで用意していた。
ストーカーの件で心に深く傷を負った彼女が、よりにもよって身体が本調子ではない状態で一人で風呂に入るか? まさか、俺が寝ているのをいいことに、誰かに連れ込まれたりしたんじゃ……!?
……強盗、暴行、レイプ。
嫌な妄想が、脳内を占拠する。
今すぐ動き出せと、本能が全身へ指令を出す。
「来栖っ!! だ、大丈夫か!?」
急いで風呂場へ押し入り、周囲を見回して。
庭園に入って木の陰を、岩の陰を確認するが、そこには誰もいなくて。
「…………あ、新?」
ちょうど身体を洗っていた来栖は、俺を見て目を丸くした。
すぐさま駆け寄って、彼女の肩を強く掴む。
「平気か!? 誰かに何かされてないか!?」
「……ご、ごめん。何言ってるか、全然わからないんだけど……」
「だって昨日お前、一人の風呂は怖いって……! だから、誰かに風呂に連れ込まれたのかと思って……!」
「新が部屋で寝てるのに私を風呂に連れ込むとか、そんなバカなことするひといないでしょ」
「クローゼットに包丁持って潜んでたやつがいたんだから、どんなのがいたっておかしくないだろ!」
見たところ誰もいないし、来栖の様子に変なところもない。
……よかった。
大きく息を吐きながら安堵し、彼女を見つめて。
寝起きでモヤのかかっていた脳内が、シャワーの音を浴びてサーッと晴れてゆく。
不安という名の霧も失せ、自分が今何をしているのか、どこにいて何を見ているのか理解する。
「……」
濡れた髪。
灰色の双眸。
陶磁器のような頬。
水滴は首を通って鎖骨へ。
そのまま谷間へと流れ落ち、両の膨らみに目を奪われる。
「あ、新……?」
彼女の声に顔を上げると、向こうもまた目を伏せていた。
視線の先には、俺の下半身がある。
来栖はカッと目を見開き、両の頬は熟れ切ったリンゴのように赤く染まっている。
その意味を理解し、俺はすぐさま踵を返して、
――――ゴンッ!!
渾身の力で岩に頭を叩きつけ、下心ごと全ての記憶を追い出した。
◆
「痛ってて……うわぁ、タンコブになってるな。なぁ、これいつできたかわかるか? お前に下の名前で呼んでって言われてからの記憶がぼんやりしてて……うーん、俺も風邪ひいたのかなぁ。何か熱っぽいような気もするし……」
「…………」
露天風呂に押し入って来たかと思ったら、私の裸を見て呆然。
まさか、このままおっぱじめるのか……!? と期待した矢先、頭を打って気絶して何もかも無かったことにしてしまった。
……はぁ?
はぁああああああああああああ!!??
私、裸見せ損じゃん!? おっぱい損じゃん!!
しかも、可愛いって言ったことまで忘れちゃうしさぁ!!
何なの、その都合のいい記憶操作術!!
エスパー!? エスパーなわけ!?
……まあでも、元を辿れば悪いのは私。
新が私のことを大切に想っていて、なおかつ心配性なところにつけ込み、一緒にお風呂に入った。
体調を崩してそばにいてもらったのに、欲をかいて既成事実を作ろうとした。
悪いことをしたから、ちょっとやり過ぎだとバチが当たったのだろう。
「――だけど、
と、新は私の名を呼ぶ。心底安堵した笑みを浮かべながら。
その響きにまだ慣れていなくて、少しだけむず痒い。自分の名前なのに、上手く身体に浸透しない。
「せっかく温泉街に来たし、軽く観光してから家帰るか?」
「うん。そうしよっか、新」
私の目論見は盛大に砕けてしまったが、これはこれでよし。
彼と出会って約十年。
来栖と呼ばれて、新と返す。少しだけだが、前に進めた気がする。
……そして今回の反省を踏まえ、次はもっと正攻法でいこう。
童貞洗って待ってろ。
次は絶対に、
「観光する前に、ちょっとだけ一人で買い物行ってもいい?」
「一人で? いや、俺も行くよ。病み上がりなんだから、変な気遣わなくていいって」
「気を遣ってるとかじゃなくて、その……」
「じゃあ、俺が一人で買いに行こうか? 来栖は旅館で休んでていいから」
「い、いや……」
「お使いくらいできるって。言ってくれ、どこへでも何でも買いに行くからさ。俺、来栖のためなら何でもするよ」
今ノーパンノーブラだからすぐ着る用の下着を買って来て、とか頼めるわけねえだろうがぁ!?
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おかげさまで、ラブコメ日間4位、週間8位、カクヨムプロ部門13位(ラブコメに限定すると1位)にランクインしました。皆さん、応援ありがとうございます。
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