第10話 来栖


 あぁああああああああああああああああ!!!!


 どうして!? どうしてこうなった!?


 せっかく気合い入れまくったやつ買ったのに!!

 新が見たら心臓爆発間違いなしの勝負下着用意したのにぃいいいい!!


「すげー。今日は星が綺麗だな」


 見たい……!

 私も新と一緒に、夜空の美しさに思いを馳せたい……!


 でも、上から下からスースーしまくってて、それどころじゃないよ!!


「どうしたんだよ、天城。足元ばっかり見て」

「あっ……げ、下駄が、慣れなくて……」

「あぁ、そっか。こういうの、普段履かないもんな」


 普段履かないもの履いてて、普段穿いてるものは穿いてないんだよね。


 あははー。

 ……あー、全然面白くない。寒い。物理的に。


「何だったら、俺がおぶるよ。鼻緒擦れとかしたら大変だし」


 そう言って、私の前でしゃがみ込み背中を差し出した。


 ……おんぶ、いい。

 めっちゃして欲しい……!


 でも、今の状態だと感触でノーブラだとバレてしまう。


『目の前で脱いだらドキドキするかなと思って。私なりの労いだよ』


 ドヤ顔であんなことを言っておいて、替えの下着を忘れた大間抜けアホ女だとバレてしまう。

 それだけは絶対にまずい。


 同じ理由で、お姫様抱っこもダメだ。

 いま私の背中を触っても、そこにはブラのホックの感触がないから。


「平気だから気にしないで。それより私、新と一緒に歩きた――へっくしゅ!」

「お、おいおい……」


 心配そうな顔で立ち上がり、ポケットティッシュを出して私に渡す。


 何か今日、ずっと鼻の調子悪いな。

 心なしか頭がぼーっとして、何だか熱っぽいような……――。


「あ、天城?」


 ゴツン。

 気がつくと、軽く前のめりに倒れ新の胸板に額を押し付けていた。


 ……やばい。一瞬、意識が途切れた。


 後ろへ飛びのこうとするが、彼は私の肩を掴みそれを阻止した。

 そして何を思ったのか、無言でそっと額同士を合わせる。


 顔、ちっっっか!?

 この野郎、いきなり少女漫画みたいなことしやがって!! 私の心臓の耐久テストでもしてるのか!?


「お前……熱っぽいぞ」

「へっ?」






 女将さんに事情を話して、市販の風邪薬を調達。

 そのまま部屋に戻り、薬を飲んでから布団に横になった。


「この時間だと、病院はしまってるからなぁ。あんまり辛かったら迎えの車呼ぶけど、どうする?」

「……大袈裟だよ。たいしたことない微熱なのに」

「たいしたことないのは今日だけで、明日には大変なことになってるかもしれないだろ」

「それでも、大事にしたくないから迎えはいらない。お父様に変な報告行くの嫌だし」

「……そっか」


 天城家うちと付き合いのあるこの旅館で体調を崩したと大騒ぎになれば、お父様へ連絡が行くことは免れない。


 ……結構前から、私はあの人と喧嘩中。

 といっても私が不貞腐れているだけだが……だからこそ、下手な心配をさせるのは面白くない。


「じゃあ、今日はもう休んどけ。俺がそばにいるから」

「大浴場は? 行くって言ってなかった?」

「体調崩してる天城のこと放って、一人だけで楽しめるわけないだろ」

「で、でも――」


 これは、新のための慰安旅行。

 それを私の微熱ごときで、無駄にして欲しくない。


 その一心で口を開くが、ぽふっと私の頭に彼の手が乗り、出かかった言葉を封殺される。


「すげーいい宿だから、また今度一緒に来よう。奢ってもらってばっかじゃ悪いし、次は頑張って俺が出すよ」


 「な?」と言葉を重ね、私の頭をやや乱暴に撫でた。

 

 何なんだよぉ……!

 何でこいつ、こんなに優しいんだよぉ……!?


 あぁ……頭、とけちゃう。

 好きすぎて、撫でられたとこ無いなっちゃう~~~!!


「今すぐ寝ろって言われても難しいだろうし、何か俺にして欲しいこととかないか?」


 言いながら、私の頭をもうひと撫で。

 彼の優しげな口元が、緩やかな弧を描く。


「あれ買ってこいとか、それ持ってこいとか、何でもするよ」


 ………………。…………。……え?


 な、何でも……?

 何でもぉ!?


 すごい……! これが体調不良パワー……!

 風邪で学校休むと、お母様がやけに優しくなってアイスとか出してくれるアレだ!!


「何でもってことは……な、何でも?」

「俺にできることならな」


 欲望という欲望が、脳裏を疾走していく。


 お、落ち着け。

 あまりに突飛なことを頼めば、新も引いてしまうはず。ここはギリギリのラインを攻めなければ……!


「何でも、か……」


 独りごちて、思案して。

 数秒の沈黙の果てに、私の手の中には一つの願いが残った。




 ◆




 何でもする――。

 そう言ってから、天城は難しい顔で黙りこくってしまった。


 ……俺に何させようとしてるんだ?

 全裸で外走ってこいとか、そういう感じのやつじゃないだろうな……?


「やっぱり何でもは――」

「決めた」


 不安になって訂正しかけた瞬間、天城の綺麗な声が部屋の空気を揺らした。


 灰色の瞳が、ジッと俺を見つめる。

 いつもの気怠そうな色の中に、汗ばむような熱を宿して。


「……名前、呼んで」

「な、名前……? えーっと……天城……これでいいのか?」

「そうじゃなくて……っ」


 しゅるりとシーツを鳴らして、天城の細くしなやかな指が布団から顔を出した。

 それは俺の手に触れ、じわっと手汗をにじませる。


「……下の、名前……」


 涼しげな、それでいてどこか必死そうな彼女の顔。


 ……え?

 そんなこと?


 あぁでも、確かに向こうは俺を新って呼んでるのに、こっちは天城って苗字呼びだよな。

 ずっとこうだから気づかなかった。


 親友だ何だと言っておいて、これはよくなかったかもしれない。


「じゃあ、く、くる――」


 天城のフルネームを知らないわけではない。

 それなのに、声が止まる。……何だこれ、やけに恥ずかしいぞ。


 よく考えたら、俺、他人を下の名前で呼んだことないな。

 例外的に宵奈ちゃんがいるけど、あの子はまだ五歳だし、何より妹だから下の名前以外の呼び方がないし。


「……」

「……どうしたの?」

「い、いや……」

「もしかして、照れちゃった?」


 図星を突かれ、フッと視線を逸らした。

 天城はというと、俺を見つめたまま勝ち誇ったように鼻を鳴らす。


 しっかりしろ、俺……!


 他でもない天城からの頼みごと。

 しかも、下の名前で呼ぶというコストゼロの行為。


 戸惑うことは何もない。

 さあ、口を開け。


「く……来栖くるすっ」


 絞り出すように吐き出した瞬間、言いようのない羞恥心が頬を染めた。


 ……やばい。バカみたいに恥ずかしい。

 

 この調子では、きっとまた天城にバカにされる。

 そんな不安を抱えながら、硬くつむっていたまぶたを開く。



「――……なぁに、新?」



 普段のクールさが嘘のような、甘くとろけた目元。


 ニマッと、白い歯を覗かせて。

 少し恥ずかしくなったのか、布団を持ち上げ口を隠す。


 それでも灰色の双眸は俺を見つめており、嬉しそうな熱をトクトクと垂れ流す。

 蜂蜜のような空気が、部屋の隅々まで行き渡る。


「……すげぇ可愛い……」


 熱で力が抜けてしまっているのか、それともよほど下の名前呼びが嬉しかったのか。天城のその笑顔は、いまだかつて見たことのない種類のもので、つい自然と感情がこぼれた。


 瞬間、バフッと爆発したように天城は赤面。

 わたわたと足をバタつかせ、「へへっ」と力なく笑って頭まで布団をかぶる。


 何か、今更、少しだけ。


 ――天城と二人きりの状況に、緊張する。



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