第37話 俺の彼女はカッコいい


「来栖、調子はどうだ?」


 ソファに寝転がり休んでいた私に、新が声をかけてきた。


「……もう大丈夫。それより荷解きは……?」

「全部終わったよ。小物とかも、俺がわかる限り棚に入れといたから」

「ありがと……」


 新は小さく頷いて、ソファに腰を下ろした。

 そして優しく私の頭を撫で、ニコリと微笑む。


「段ボール開けてたら、ほら、中学校の時の卒業アルバム出てきた」

「……うん」

「これとかほら、入学式のやつ。髪染めてるだろって生活指導の先生に怒られたよな」

「違いますって、新が説明してくれたよね」

「そうそう。それでも黒染めしろって怒鳴られて、総一郎さんがブチギレて大変なことになったっけ」

「……大ごとにするのはやめましょうって間に入ってくれたのも、新だったよね」

「そりゃあ、あの人なら教師を一人クビにするとかわけないし、入学早々それは来栖の評判に響くだろ」

「あの時……すごく嬉しかった」


 ペラペラとページを捲っていく。

 頭上から、懐かしそうな息遣いが聞こえる。


「おっ、林間学校の写真。森の中で石窯作って焼いたピザ、美味かったよな」

「……夜に私のこと襲おうとしてた男子、新が捕まえて対処してくれたんでしょ?」

「な、何だよ。誰に聞いたんだ?」

「女子は皆知ってたよ。折村くんすごいって褒めてた」

「皆って、どっからバレたんだよ……」

「……あの時も、すごく嬉しかった……」


 アルバムを捲る音と共に、彼との温かい記憶が蘇る。

 その温かさが今は心を抉り、ジワリと涙が浮かぶ。


「……っ、っ……うぅ……っ」

「ど、どうした!? どっか痛いのか……?」

「……何か私、新に迷惑かけてばっかりだなって思って。きょ、今日だって……!」

「迷惑?」

「同棲初日なのに鼻血出して倒れて、自分の部屋の支度を新に丸投げして……! 最低じゃん、私! 昔からずっとこんな感じじゃん!」

「俺、来栖の付き人なわけだし、これくらい何とも思ってないよ」

「付き人だけど、もう恋人だし……! 対等な関係なのに……それなのに……っ!」


 こんなはずじゃなかった。

 もっと楽しくて、思い出に残る日にするはずだった。


 なのに、結局このザマ。

 思い出どころか、迷惑しかかけていない。


 とめどなく溢れる涙を、新が指で拭う。

 私にテッシュを渡して、鼻をかむように促す。


「変なこと言うかもだけど……俺、ちょっと嬉しいな」


 身体を起こしたところで、なぜか新は口元を緩めた。

 その笑みの意味がわからず、私は首を傾げる。


「そうやって泣くほど、俺との同棲が楽しみだったことがわかったからさ。……すげぇ嬉しい。俺一人だけはしゃいでるわけじゃなくてよかった」


 そう言ってくしゃりと少年のように笑い、私を抱き寄せた。


 ギュッと、力がこもる。

 少し痛くて……だけど、とても安心する。


「迷惑かけたって思うなら、その分はこれから返してくれればいいよ。これから何年も、何十年も一緒にいたいって、俺は思ってるし。いつでも返すタイミングはあるだろ」

「うん……」

「まあ俺自身は何とも思ってないから、来栖が笑っててくれたらそれで満足なんだけどな」

「……新」

「ん?」

「ありがと。……今日も、これまでも、全部全部ありがと」

「何だよ、しおらしいこと言って。死亡フラグみたいだからやめてくれ」


 おちゃらけた口調で言いながら、そっと私から離れた。


 お互いに顔を見合わせ、くすりと笑って。

 私は彼の手を取り立ち上がる。


「じゃあ、コンビニ行こっか。あとDVDも借りないと」

「DVD先に借りようぜ。飲み物持って歩くの、重くて大変だし」


 私はパーカーに袖を通し、夜の街へ出た。

 外灯が照らす道を、新と手を繋いで。




 ◆




「はいこれ、新の分」

「ありがと」


 DVDを借りて、コンビニで買い物も済ませた。

 コーラとは別にアイスも購入。来栖と一緒に食べつつ家路につく。


「やっぱりガリガリ君はソーダだよね。結局この味が最強なんだよ」

「お前、去年はコーラ味が最強って言ってなかったか?」

「一貫性のないやつだって言いたいの? はい新、減給ね」

「そんな軽いノリで減給するのかよ!?」

「前も言ったけど、うちは辞めることすら許されない超絶ブラックだから」

「……その感じで減らされてったら、俺、そのうちお前に金払うことになるんじゃないか……?」

「お金払ってまで働きたいとか、やる気のある付き人で私は嬉しいよ」

「さっきは恋人なのに対等じゃないとか言ってメソメソしてたくせに、随分と元気になったな」

「それ嫌味? はい減給」

「桃鉄の貧乏神みたいなテンションで金減らすのやめろ」


 くだらないことを言い合って、お互いに笑って。

 ふと、公園の前を通りかかった。


 誰もいない夜の公園。

 若干不気味なそこを見て、「あっ」と来栖は声をあげた。


「ここ、よく新と遊んだとこだ。すごい、何にも変わってないや」


 そう言って公園に入って行き、アイスの棒をゴミ箱に捨てた。

 そして遊具を見回し、その足はブランコの方へ。ひょいと腰を下ろして、軽く漕ぎ始める。


「新と友達になった日に、ここで遊んだよね。新が俺の庭を紹介してやるとか言って」

「俺、そんな恥ずかしいこと言ったっけ……?」

「だから私、しばらくの間、本気でこの公園は新の家の敷地だと思ってたんだよ。うちの別荘にもここくらいの公園あったし、そういう感じかと思って」


 来栖はブランコを離れて鉄棒で逆上がり、滑り台を一回滑り、屋根付きの休憩スペースへ移動した。

 並んでベンチに座り、懐かしい天井を見上げる。昔よりもだいぶ古くなっており、遊ぶ子供も減ったからか蜘蛛の巣が張っている。


「小学生の頃、私がピアノの発表会に行きたくなくて、ここで新と隠れてたことあったよね」

「あったな。お前、もうここでずっと暮らすとか言ってた」

「だって、帰ったら絶対怒られるし。……俺も一緒にいるって新が言ってくれたの、嬉しかったよ?」

「……そりゃまあ、放っとけないだろ」

「ここじゃないけど、あの頃は本当に一緒に暮らすことになるなんて思わなかった」

「だな」


 どちらともなく、ベンチに置いていた手の指先が触れ合った。


 一瞬視線を交わし、それを合図に硬く繋ぐ。

 指を絡めて、体温を交換する。


 風が吹いて、木々が鳴いて、夏の匂いが頬を掠めて行った。

 部活か塾の帰りなのか、複数の元気な男の声が公園の前を通り過ぎて行く。どこかで迷惑なほどに大きな車のエンジン音が鳴り、季節の虫もささやかに存在をアピールする。


「ねえ、新」

「ん?」

「好きだよ」

「うん。…………ん? えぇ!?」


 別に適当に返事をしていたわけではない。

 ただあまりにも何でもないように言われ、一瞬脳みそが上手く受け止められなかった。


 俺が視線を横へ流すと、来栖もこちらを見ていた。

 いつもの涼やかな表情のまま、目だけがやわらかく笑っている。


「い、いきなり何だよ! ビックリするだろ!?」

「何か流れで告白OKして、トントン拍子で同棲まで始まっちゃったけど、ちゃんと私の気持ち言ってなかったなと思って」

「にしたって、タイミングを考えろよ!」

「ドキドキした?」

「そ、そりゃあな……」

「へぇー……ねえ、新っ」

「ん?」

「大好き」

「うぐっ……ぐぅ……!!」


 ボディーブローをモロに食らったような、凄まじい衝撃だ。

 そしてこれはたちが悪いことに、まったく痛くないし不快感もない。ひたすらに嬉しくて、回避も防御も我慢も不可能。悶絶する俺を見て、来栖は涼し気に鼻を鳴らす。


「はぁー……」

「なに、ため息ついちゃって」

「いや……俺が言う前に、言われたなと思って」

「新はもう言ってくれたじゃん」

「あれは強制されたからというか……俺の意思で告白したわけじゃないから」

「相変わらず律儀だなぁ」

「悪いかよ」

「ううん。そういうところも好きだよ」

「ぐふっ……!!」


 味を占めたのか、来栖は完全に遊んでいる目をしていた。

 いいようにされているとわかっていても、俺は彼女が望む反応をしてしまう。もう顔が熱くて仕方がない。


 俺は大きく息を吸って、肺の空気を一新。

 来栖の方へ身体を向けて、両手で彼女の手を取る。


「――……ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください」


 ニヤついていた来栖の顔が、ピンと張った障子紙のように真顔に戻った。

 程なくして頬が朱色に染まり、熱せられた生クリームのように目元が蕩け、灰色の双眸は潤いを帯びる。ふすっと生温かい吐息と共に、閉じていた唇は緩み出す。


 視線を右から左へ。

 最後にはジッと俺を見つめて、内側からにじみ出るような笑みを浮かべて小さく頷く。


「……やっば。ちょー恥ずかしい……」

「俺の勝ちだな」

「何それ、勝負なの?」


 視線を絡めて、ふふっと笑って。

 来栖はひょいと立ち上がり、俺の方に身体を向けた。薄闇の中でも存在感を失わない銀の髪が、夜風に巻かれて流星の尾っぽのように輝く。


「んじゃ、帰ろっか。お腹空いたし」

「そうだな」


 買い物袋をもって立ち上がりかけた、その瞬間――。

 来栖が俺の肩に手を置いて、軽く体重をかけた。


 どうしたのかと顔を上げて、彼女を見る。


「新――」


 鈴の音のような声が降ってきて。

 ――返事をする間もなく、唇を奪われた。


 温かくて、やわらかな感触。

 汗とシャンプーの匂い。

 ほんの僅かな、アイスのチープなソーダ味。


 唇が離れ、俺は全身から力が抜けてベンチに戻った。

 外灯の光を背に、来栖は笑う。ニマリと白い歯を覗かせて、悪戯っぽく。


「好きだよ、大好きっ!」


 そう言って、後ろへ一歩。

 その場でくるりと回って、軽やかな一歩を踏み出す。


「これで私の勝ちぃ~~~~!!」


 夜闇を照らすような声と共に、彼女は走って行ってしまった。


 その背中をボーッと眺めて、ようやく我に返って、俺は嘆息を漏らす。

 あんなカッコいいことをされてしまっては、ここから巻き返すのは不可能だろう。


「……一生勝てないんだろうな、俺」


 情けなさ半分、嬉しさ半分の白旗をあげて、彼女のあとを追った。


 いつもよりずっと、大きな一歩で。



――――――――――――――――――

 第一章、完結です。

 本作は一旦、ここで一区切りとさせて頂きます。


 続きを書きたいのですが、商業用の原稿、確定申告などやることが山積みなので、終わったら第二章について考えようかなと。


 さて、本作は皆さんのおかげで、フォロワー5000、☆1800、♡1万突破と、私が想定していたよりもかなり大きく伸びました。本当にありがとうございます。


 最後になりますが、「面白かった」という方は、作者&作品フォロー、☆レビューをお願いします。

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