第8話 やっぱりアホの子


 部屋から一歩出れば、そこには手入れの行き届いた庭園。露天風呂は大人二人が入っても余裕がありそうなほどに大きく、白い湯気と共に温泉特有の匂いが漂う。


 これだけの設備を、俺と天城で独占できるのか……。

 流石は一泊うん十万の部屋。一生忘れないよう、帰るまでに五回は入っておこう。


「新、そこに立って。かけ湯してあげる」

「おう。悪いな」


 シャワーヘッドを手にお湯を出す天城。

 厚意に甘えて、身体を洗ってもらう。……何か洗車されてるみたいだな。


「じゃあ次、私ね」


 シャワーヘッドを渡され、今度は彼女の番。

 俺がされたように、丹念に身体を流す。


 陶器のように白くなめらかな肌を滑り落ちてゆく、お湯の粒。

 淡いオレンジ色の明かりに照らされて、その身体はより濃密な美しさを纏う。


 水も滴る何とやらというが、これこそまさにそうだろう。


「新、ここもお願い」

「……何でそこだけ、ピンポイントで?」

「意外と汗とか溜まるんだよ。夏場とかあせもできたりするし」

「へ、へぇー……」


 軽く腰を反らして胸を強調する、いつもの気怠げな表情の天城。


 水着が小さいせいで、胸の露出面積が大きい。


 俺にとって天城は、雇い主で親友で掛け替えのないひと。

 彼女のためにも変な目で見ないよう徹底してきたし、努力の甲斐あって同性同然に接することができていたと思う。だが、こうも見せつけられるとどうしたって胸がざわつく。


「王子ってブランドがあるし、あんま視線集めるのもダルいから、普段は小さく見えるブラ着けてるんだよね」

「……そっか」

「でも、今日は普通の水着だし。……んで、どう?」

「な、何が……?」

「私の本当のスタイル」

「……イイト、オモイマス」


 何で俺、片言なんだ!?

 これじゃあ、思いっ切り意識してますって言ってるようなもんだろ!!


「えっ? ちょ、新、何を――」


 シャワーの温度を一気に下げ、お湯から冷水へ。

 頭から思い切りかぶり、熱と共に雑念を流す。ついでに岩に頭を叩きつけ、余計なことを考えないよう再教育する。


 ……これでよし。

 もう何も感じない。全部忘れた。


「じゃあ、ささっと風呂入って飯にするか」




 ◆




「でも、今日は普通の水着だし。……んで、どう?」


 ほらほら、どーよ?

 おっぱいだぞー。これ嫌いな男の子はいないでしょ。


「な、何が……?」

「私の本当のスタイル」


 おうおう! 見てるねえ新! チラチラ見ちゃってるねぇ!

 いいぞぉ、その調子だ。その眼球に、来栖ちゃんが女の子だってことを刻み込め!


「……イイト、オモイマス」


 っしゃオラァ!!

 挙動不審、いただきましたーーー!!


 これは絶対、意識しまくっちゃってるね!


 ハハン。造作もないな、男ってやつは。

 やっぱりおっぱいか。こんな脂肪の塊で顔色変えちゃうとかアホじゃん。


「……えっ?」


 おもむろに、シャワーの水温をいじり始めた新。


「ちょ、新、何を――」


 私の言葉が届くことはなく、彼は思い切り冷水をかぶった。

 そのまま流れるように岩に頭を叩きつけ、先ほどとはうって変わって晴れ晴れとした表情を作る。


「じゃあ、ささっと風呂入って飯にするか」


 ……お、恐るべし、私の付き人。

 冷水と痛みで、情念を振り払ったのか。


 その誠実さは褒めてあげたいところだけど、今はいらないって!


 見ろよ!!!!

 おっぱい、見ろよ!!!!


 新が見ないなら、誰がこのおっぱいを見るって言うのさ!?


「うぉおー……すげぇー気持ちいい……」


 こっちには目もくれず、もう入っちゃってる……。


 まあいっか。新が照れたのは確かだし。

 これは私にとって、とても大きな一歩。彼は私に異性を感じていないのではなく、感じないよう我慢しているのだとわかった。


「天城も来いよ。風邪引くぞ」

「わかって――へっくしゅ!」


 言いかけて、大きなくしゃみを一つ。

 鼻をすすりつつ、湯船へ急ぐ。


「お、おい、天城っ」

「なに?」

「なにじゃなくて、狭いだろ。あっち行けよ」


 長方形の湯船。

 二人で入る場合は向かい合うのが正しいスタイルだと思うが、来栖ちゃんはそんな常人の発想をしない。ここはあえて、新の隣に身体をねじ込む。


「新がそばにいた方が、安心できるから。……だめ?」


 食らいやがれ、憂いを帯びた目だぞ!

 王子ってあだ名なのに庇護欲そそられて、そのギャップにグッときただろ!?


「……わかったよ。勝手にしてくれ」

「ありがと」


 へへっ。簡単に接近を許しちゃってまぁ。


 さてさて。

 ここでおっぱいをひとつまみ……っと。


「……」

「……」


 新の顔色には、何の変化もない。

 おかしいな。押し付けが足りないのか。


 これ以上ってなると私も恥ずかしいけど……!

 で、でも、頑張らなくちゃ!


「……」

「……」


 おいボケェ! 何か言えよ!?

 無言でもいいけど、せめて顔赤くするとか目ぇ逸らすとかしろ!


 何をテメェ、あぁーいい湯だなって顔してんだ!!


 おっぱい押し付けてんだろーが!?


 ……こんなに頑張ってるのに、この態度。

 何で私、こんなの好きになったんだろ……。


「――――ひゃっ」


 突然、新の手が私の肩を掴み、ぐいっと引き寄せた。

 身体の奥から自然と甲高い声が漏れ、ギギギッと視線を斜め上へやる。


「な、なに? 新、どうしたの?」

「やけにくっ付いてくるから、寒いのかなって。これでどうだ?」

「あっ……うん、まあ、いい感じかな」


 いや、最高ですけど? 最高なんですけど!?


 素肌に手、触れちゃってるよ……!

 しかも新、ちょー優しい! 好きー!!


 ……っと、ダメダメ。

 落ち着け、私がドキドキしてどうする!


「ふぅー……」


 と、息をつきながら。

 新は濡れた手で、前髪を掻き上げた。


「……ん? 天城、どうした?」

「……」


 オールバック、ヤバ過ぎッッッッ!!!!!!






「はぁー……はぁー……!」


 露天風呂から出た私は、床に四つん這いになって深呼吸をしていた。


 あ、危なかった。

 もう少しで心臓が爆発するところだった。


 くそぉー……! 新のアホー!

 結局私、何もできなかったじゃん! 


 もうオールバック禁止!!

 少なくとも、私以外の前では絶対に禁止!!


「……まぁでも、夜はまだこれからだから」


 心配しなくても、時間は沢山ある。

 メインディッシュと言っても過言ではない、就寝時間だって控えている。


 ぐへへ。あれこれ理由つけて、布団をピッタリ隣同士にしてやる。

 んでもって、寝相が悪い感じで向こうの布団に侵入したら、いくら新でも理性的ではいられないでしょ! 私のこと、バチバチに意識しちゃうでしょ!


「……ん? あれ……?」


 ガサゴソとカバンを漁る。

 だが、一向にアレが出てこない。


「ちょ、ちょっと待って……!?」


 焦り気味に手を動かし、カバンをひっくり返し。

 中身を全て確認しても、やっぱり出てこない。


「わぁっ……あっ……!」


 頭を抱え、声にならない声を絞り出し悶絶する。


 ……忘れちゃった。

 替えの下着持ってくるの、忘れちゃった……!!




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