第18話 誤魔化しの青のり
「…………」
――シャコシャコシャコ。
シャワーを浴び、念入りに歯を磨く。
何せ、お好み焼きを食べたばかり。歯に青のりがついていたら、雰囲気がぶち壊れてしまう。
「だ、大丈夫かな? うん……平気、だよね……」
鏡の前でニッと歯を確認し、どこにも異常がないことを確認した。
……別に期待していたわけではないが、今朝のうちにムダ毛は処理しておいた。だから、どこを触られてもつるつる、のはず。下着だって、気分を上げようと一番のお気に入りを着けてきている。
「よーっし……!!」
新が用意してくれたパジャマに袖を通し、リビングへ戻った。
入れ違いでお風呂へ向かった新に手を振り、ソファに腰を下ろす。
「……っ」
ソファの上で膝を抱え、親指同士を擦り合わす。
全然、まったく、これっぽっちも落ち着かない。
「……あぁ……」
呻き声をあげて、膝に顔を埋めた。
もう既に口から飛び出してしまいそうなほど、激しく脈打つ心臓。
顔は火が出そうなほどに熱く、呼吸も上手くできない。
「……全部終わるまで、爆発とかしないでよね……」
ドキドキが止まらない胸に手を当て、大きなため息と共に呟いた。
◆
「……なぁ」
「は、はいっ」
「何で敬語……?」
「いや、べ、別に……それで、どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……」
風呂上がり。
リビングに戻った俺を待っていたのは、今日一で様子のおかしい来栖だった。
俺が隣に座ると、なぜかスススッと距離を取る。
今もソファの隅で、躊躇いがちに俺を見ている。
「もうちょっとこっち来いよ。もしかして俺、臭い?」
「く、臭くないよ!?」
声、でっか。
んでもって、凄まじい勢いで距離を詰めてきた。肩を小刻みに震わせながら、フンフンと鼻息を荒げる。……マジで意味がわからない。
「じゃあ、まだ寝るには早いし――」
「う、うん!!」
「ゲームでもするか」
「…………んぅ?」
素っ頓狂な声をあげて、鳩が宇宙の真理を知ったような間抜け顔を作った。
「何だ? ゲーム、嫌だったのか?」
「嫌……じゃない、けど。わかった、やろっ」
「前哨戦ってことかな?」とわけのわからないことを呟くが、それを無視してセッティングにかかった。
遊ぶのは、来栖の好きなマリカー。
言わずと知れた、アイテムなどを駆使し一位を目指すカーレースゲームだ。
「おっ、これにするの? 新、私に勝てるかな?」
「舐めるなよ。俺だって練習してるんだからな」
「ふーん、あっそ。んじゃま、無駄な努力ってやつを見せてもらいますか」
好きなゲームを前に、すっかりいつもの調子を取り戻した来栖。
無意味に腕をぶんぶんと回しつつ、俺からコントローラーを受け取る。
そして、五分後――。
「……ま、負けた……!?」
「どうだ? 無駄な努力ってやつは見られたか?」
「あ、新のくせに……!」
十分後――。
「何で勝てないの!?」
「お前の車のタイヤ、ちゃんと空気入ってるか? 一回整備に出してこいよ」
「くっそぉおお……!!」
三十分後――。
「よ、よし! これで私が一位――」
「残念、俺はまだアイテムを残してる」
「ぐぎゃぁああああ!!」
「あれ? おっかしいな、さっきまで来栖が一位だったのに」
一時間後――。
「もうやだ! このゲーム嫌い!」
「そっか。じゃあ、俺の勝ち逃げってことでいいんだな?」
「……」
「来栖が言うなら、別のゲームにするかー」
「……ちょっと待って。次は勝てるかも」
来栖とここまでゲームに熱中したのは久しぶりだった。
小学校の頃を思い出す。
当時は俺の方が圧倒的に弱くて、毎回煽り散らかされてたけど。
「ま、待って待って! そこでショートカットとかズルだよ!?」
「何がズルだよ。お前もやればいいだろ?」
「く、くっそぉ……! よし、雇い主命令っ!! 今すぐその崖から落ちろ!!」
「誰が聞くかそんなもん! 勝負の世界に雇い主も何も――」
勢いよくハンドルを切る来栖。
そのまま身体が傾き、コツンと俺の肩に頭が乗った。
「……っ」
俺と同じ、シャンプーの匂い。
当たり前のことなのに、何でもないことなのに。
なぜだか妙にそれが気になって、画面から来栖へ視線を移してしまう。
「やったぁ!! はい、私の勝ちぃ~~~!!」
クールでダウナーな王子とはかけ離れた、ただ純粋に勝利を喜ぶ屈託のない笑顔。
身動ぎすれば鼻先が触れ合うほどの距離で、彼女は笑う。
「……ぁっ」
自分が思ったよりも密着していたことに気づいたのか、来栖は頬を朱色に染めた。
ぱちりと灰色の双眸が瞬いて、薄い涙の膜が揺れ動いて、静かにまぶたを落とす。
「…………い、いいよ?」
と、何がどういうわけなのか唇を尖らせた。
「…………」
「…………」
「……なぁ、来栖」
「ん……? まだ……?」
「青のり、唇についてるぞ」
「――――っ!?」
来栖は目を見開いて俺から飛びのき、声にならない悲鳴をあげながら床に落ちて行った。
すぐさま立ち上がり、「うわぁああ!」と情けない声をあげながら洗面所へ走って行く。その背中を見送って、俺はホッと胸を撫で下ろす。
「……あ、危なかった……」
青のりなど、ただの嘘。
俺は単純に、来栖に離れて欲しかった。
「俺……今、何考えてた……?」
高鳴る胸に手を当て、呼吸を整える。
来栖が近づいて来て、なぜか唇を尖らせて。
一瞬だが、キスしたいと、そう思ってしまった。
◆
「おはよう。朝食はもうできてるぞ」
昨晩は日付けが変わってもマリカーに熱中し、そのままお互い疲れて就寝した。
起きてリビングへ向かうと、そこにはエプロン姿の新が。
白いご飯に味噌汁。卵焼き、鮭塩焼き。ほうれん草のおひたしにきんぴらごぼうと、さながら旅館のような献立。私は彼に挨拶をしてから席に着き、両手で顔を覆う。
……何もなかった。
何一つ!!!! 起こらなかった!!!!
は? え、どういうこと!?
私とそういうこと、する気だったんじゃないの!?
襲えよ!! 寝てる私を襲えよ!!
こんな豪華な朝食作ってる時間あるなら私に使え~~~!!
「どうした、食べないのか?」
「あっ、ううん。い、いただきます……」
ちくしょう、うめぇえ……!! くっっっそうめぇえ……!!
婿に来い……!! 一生養うから……!!
「じゃあ、俺も食べようかな」
私の向かいに座って、新は朝食をとり始めた。
……もしかしなくても、昨日彼が落とした正方形の何かは、コンドームではなかったのだろう。
元よりそういう気持ちなどなかったから、そういうことが起こらなかった。それだけの話。
うぅ……わ、私の頑張りがぁ……!!
結局全然、意識してもらえてないじゃんかよぉ~~~!!
「……諦めない、諦めないから……!」
「え? 何か言ったか?」
「何でもないっ」
――次こそは必ず。
そう胸に誓って味噌汁をぐいっとあおり、
「ぶほぇ!? ごほっ、ごふぉっ!」
「だ、大丈夫か来栖!?」
口の中を盛大に火傷した。
――――――――――――――――――
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