第34話 宵奈ちゃん
「あれじゃない!? 天城さん、あの車に乗ってるよ!!」
程なくして、俺たちは来栖が乗る車に追いついた。
それを発見するなり、泉さんは声を張り上げる。
「では、距離はあまり詰めずこのまま追いかけましょう。下手なことをして、事故を起こしたら大変ですし」
「じゃあ、一緒に空港まで行く感じ?」
「それがいいと思います」
我ながら賢明な判断だとは思う、が――。
はたして車が停まったところで、まともに話し合いに応じてくれるのだろうか。空港に着いた時点で、手早く飛行機に乗られてしまうかもしれない。
……ダメだ。落ち着こう。不安になってどうする。
今一番不安なのは、他でもない来栖だ。
俺にできることは、冷静に事態の収拾に努めること。まずは総一郎さんと顔を合わす前に、俺に不手際があった可能性を考えておかないと。
今日の会話を一言一句、全て思い出す。
いつも通りの報告。そしてお土産。
……お土産がダメだったのか? いや、だとしたらそのあとサウナに誘われた意味がわからない。
だったら、サウナでの会話に問題があったのか? いや、来栖については当たり障りない感じにしか触れてないし、あとはちょっと宵奈ちゃんについて喋っただけだよな。
何がどうしてこうなったのか。
静かに頭を回す中、ジーッと後部座席の窓が開いた。
「あ、新……っ!! 新ーっ!!」
窓から顔を出した来栖。
身を乗り出して、長い腕をうんと伸ばして、悲痛な声を鳴らす。
俺に助けを求める顔で。
「――――っ」
その顔を見た瞬間。
冷静さだとか自制心だとか、俺の中の理性的な部分が一気に焼き切れた。
◆
「…………」
車を走らせて二十分ほど。
最初は暴れ、声を荒げ、私に罵詈雑言を吐いていた来栖だが、ようやく諦めたのか口を閉ざした。
死にたい……。
罪悪感で吐き気がする。
今すぐ引き返して、泉さんのお宅に帰してあげたい。
――だが、我慢だ。
このまま放置すれば、来栖はいずれ真実に気づく。
新くんには他に想い人がいるという、最悪の真実に。
ただの失恋なら経験させるべきだが、来栖は想いを引きずり過ぎた。
この恋が終わった時の反動は、間違いなく計り知れないものとなる。
最悪の事態を避けるためなら、私は何だってやるし、どれだけ恨まれたって構わない。
「あっ!!」
車のサイドミラーを見て、突然声をあげた来栖。
おもむろに窓を開けると、思い切り身体を乗り出す。
「あ、新……っ!! 新ーっ!!」
「な――っ!?」
追いかけて来たのか!?
泉さんが手を貸した……? いや、今はそんなことどうだっていい!!
「来栖、やめるんだ!! 危ないから!!」
「ちょっ!! は、離して!! 新ーっ!!」
新くんのことはあとで対処するとして、今は来栖を窓から引き剥がさなければ。
このままでは車から落ちてしまう。
「おい、早く窓を閉めろっ!」
「は、はい! ――って、えぇ!?」
運転手に指示を出した、その時――。
ガゴンと車が揺れ、運転手は声を響かせ、私は目を見張る。
「く、来栖ぅう……!!」
開きっぱなしの窓にしがみつく新くん。
バイクから車に飛び移った彼は、必死な形相で来栖を見つめていた。
映画のワンシーンのような光景に、二秒ほど脳が完全停止するが。
すぐさまこれは現実だと理解し、私は運転席に視線を移す。
「早く車を停めろ!! このままじゃ新くんが怪我をする!!」
「は、はい!」
◆
来栖の顔を見た瞬間、考えるよりも先に身体が動いた。
結果的に車は停まったが……し、死ぬかと思った。事故を起こしていた可能性もあるし、もう絶対に二度とやらない。
「新、大丈夫!? 怪我してない!?」
「あ、あぁ、うん……何とか大丈夫……」
車から降りて駆け寄ってきた来栖。
見たところ、彼女の方も無事そうで安心した。
「新くん……どうして来たんだ。私は、来栖のためを思って……!!」
夜の歩道。
薄暗い中で立つ総一郎さんは普段の五割増しで怖く、俺の背筋は自然と伸びた。
「どうしてって、そりゃあ来栖のためですよ。彼女が助けてって……あと、いきなり海外とか言われても納得できません。まずは訳を説明してください」
「そ、それは……!!」
総一郎さんは歯を食いしばり、来栖を一瞥。
ふっと視線を逸らして、拳を握り締める。
「……二人で話そう。来栖、あっちへ行ってなさい」
「お父様、いい加減にして。私にもちゃんと事情を説明してくれなきゃ、今ここで舌噛み切って死ぬから」
「「はぁ!?」」
俺と総一郎さんの声が重なった。
来栖はいつもの無感情な灰色の目で、ジッと父親を見つめる。自分は本気だぞと言うように。
「わ、わかった。わかったから落ち着け……頼むから……」
そう言われては流石の総一郎さんも折れたようで、ヘナヘナと強張った顔から力を抜く。
「……新くん、ここでハッキリ言って欲しい」
「な、何をですか……?」
「きみは誰が好きなのか。誰と付き合い、誰と共に生きていきたいのか。……嘘偽りなく、ハッキリと」
正直、薄っすらと予想はしていた。
総一郎さんは俺の想いを見透かし、こんな男に娘はやらんと海外へ連れ出そうとしたのだろう。
つまり、俺のせい。
俺が諦めない限り、来栖は日本にいられない。
隣の彼女を見て、ふっと息を吸う。
叶わない恋。
だが、俺がこの気持ちを捨てることで、彼女がどこへも行かず幸せに暮らせるならそれでいい。来栖の幸せが、俺にとっての幸せだから。
「俺が好きなのは――……」
そっと、彼女の手を取った。
触るなと怒られるかもしれない。
でも、これで最後だ。これくらいのワガママは許して欲しい。
「――……俺は、来栖が好きです。天城来栖を、愛しています」
言った。
言ってやった。
ついに口にした達成感と、これで終わりという絶望感。
心臓が冷たい汗をかいて、何もしていないのに息が切れる。
視界がボヤけて、立っていることすら辛くなる。
身体から力が抜け、手を離しかけたその瞬間。
そっと、来栖の方から俺の手を握ってくれた。
白い頬を朱色に染めて、控えめに俺を見上げる。
大丈夫だと囁くように、僅かに歯を覗かせて甘い笑みを描く。
「………………ん?」
沈黙を破ったのは、総一郎さんの素っ頓狂な声だった。
鳩が豆鉄砲を食ったような、あまりに迫力のない顔で首を傾げている。
「えっ……いや、あの……ん?」
「どうしました?」
「来栖のことが……す、好きなのか?」
「は、はい……そうですけど……」
「……えっ?」
腕を組む総一郎さん。
しばらく黙って考え込み、数秒置いてハッと顔を上げる。
「お、お前まさか、宵奈ちゃんだけでなく来栖までモノにしようってハラか!?」
◆
お父様の口から宵奈ちゃんという言葉を聞き、私は状況を理解した。
おそらくお父様は、今日の報告会で宵奈ちゃんの存在を認知。そして彼女と新がくっ付くことで私が傷つくことを回避するため、海外へ連れ出そうとしたのだろう。
新の気持ちはわかっていたし、こうして彼の口から聞かされたことは本当に嬉しい。
嬉しいのだが……確かに、宵奈ちゃんはどうなったんだ? 天使みたいに可愛いとか何とか言ってたよね? 大人になったら付き合う約束までしてたよね!?
「ちょ、ちょっと待ってください。宵奈ちゃんだけでなく、って何ですか? 宵奈ちゃんをモノにする……?」
「この期に及んで誤魔化すつもりか!? ふざけるな!!」
「そうだよ新!! どっちが一番なのか、今ここでハッキリ決めて!!」
「来栖まで何だよ!? どっちが一番って……いやそんなの、決められるわけないだろ?」
「「何だとぉ!?」」
私とお父様は、揃って新に詰め寄った。
自動販売機を背に、新は目を白黒させる。
「娘の方が大事だろ!! そう言え、今すぐ!!」
「私の方が好きなんだよね!? そうなんだよね!?」
「ま、待って!! 待ってくれ!! 確かに来栖のことは大事だし好きだけど、そんな簡単に宵奈ちゃんと比べるのは――」
「「ハッキリしろぉ!!」」
私たちが新に迫る中、「あ、あのー……」と静観していたぼたんが手を挙げた。
「何か聞いてる感じ、とんでもない勘違いと行き違いが起こってるみたいで……とりあえず折村くん、今からみんなで宵奈ちゃんに会うことってできる?」
「今から、ですか? そろそろ寝る時間だとは思いますが……急げば、まだ間に合うかと」
「そっか。じゃあ、折村くんはあたしの後ろで。天城さんたちはついて来てください。んじゃ運転手さん、お願いしまーす」
釈然としない中、私たちはついに宵奈ちゃんと会うことになった。
◆
ということで俺たちは、新しい母さんの家に来た。
うちよりもかなり立派な一軒家。チャイムを鳴らすと父さんが出たので、事情を話して宵奈ちゃんを呼んでもらう。
「ふぅぁ~……んぅー……? あ、あらたお兄ちゃんだぁ! あらたお兄ちゃん、どうしたの! いっしょにあそぼー!」
プリキュアの寝間着に身を包み、テチテチと一生懸命俺に近づいて来る、アホ毛が特徴的な真っ黒な長い髪の五歳児。
にぱーっと笑う様は天使そのもので、こちらまで自然と笑顔になる。
「眠いのにごめんね、宵奈ちゃん。あと、今日は遊びに来たんじゃないんだ。お兄ちゃんの友達と……あと、そのお父さんを紹介したくて……」
「お兄ちゃんのおともだちー? わぁー! きれーなお姉さん! あとオジさん、顔こわーい!」
「ちょ、ちょっと宵奈ちゃん!?」
怒っていないだろうか、と総一郎さんを確認。
どういうわけか俺の隣に立つ天城親子は、二人揃ってこの世の終わりのような真っ青な顔をしていた。
「よいなです! 五さいです! お姉さんたちのお名まえは?」
「……あ、天城来栖です。十六歳です……」
「天城、そ、総一郎です。四十五歳です……」
「よろしくねー!」
「「……よ、よろしくお願いします……」」
そう言って、目上の相手にするような深々とした礼を披露。
その後はすぐ、宵奈ちゃんには家に戻ってもらった。
玄関の扉がバタンと閉まっても、二人は愕然とした表情で固まったまま。しばらくして糸が切れたように膝から崩れ落ち、地面に両手をつく。
「「宵奈ちゃんって子供かよぉ~~~~~~~~!!!!!!」」
普段の二人からは想像もできないような間抜けな絶叫が、閑静な住宅街に響き渡った。
――――――――――――――――――
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