第30話 観覧車の夜


 新と共に、いざ観覧車へ。

 向かい合って座り、ふっと息をつく。


 観覧車が一周するのにかかる時間は、大体十五分ほど。

 たったこれだけで何ができるかはわからないが……ヤるというのなら、私にだってその覚悟はある。


「来栖」

「ひゃい!」

「……ど、どうした? 大丈夫か?」


 おっといけない。勢い余って、挙動不審な態度をとってしまった。

 落ち着こう。まずは軽く深呼吸。そして、「何でもないよ」といつもの声音で返す。


「それより、私に何か用事?」

「用事ってか……乗ってからずっと黙ってるし、高いの怖いのかなって」

「え? いや、そんなことは――」


 瞬間、私に電流走る。

 そうか。そういうことか。ふふふっ……乗ってあげるよ、その作戦。


「……うん、ちょっと怖いの。新の隣、行ってもいい?」

「お、おう。そっか」


 私にどう触ろうかきっかけが掴めず、怖いって言わせて隣に座らせる作戦だったんでしょ? それくらいわかってるんだからね?


 ほらほら、可愛い来栖ちゃんが隣に来てあげたよ!

 いけ!! 肩に腕回してガバッとやっちまえ!!


「おぉー……これだけ高いとよく見えるなー……」

「……」


 どういうわけか、新は私とは反対側の窓に目をやり景色に釘付け。

 何だこいつ。喧嘩売ってんのか……?


「ちょ、ちょっと暑くなってきたなー」


 開いた胸元をちょいと摘まみ、存在感を主張する。

 新は一瞬こちらを見たが、なぜか視線はすぐに窓の外へ。


 ……ちょ、ちょっと待って。

 そういうことするつもりで、観覧車に誘ったわけじゃないの!? ってか私のおっぱいって夜景以下!?


「はぁー……」


 大きなため息を一つ落として、私も窓の外へ視線をやった。


 少しでも期待した私がバカだった。

 呆れた。バカバカしい。二人っきりじゃないとできないことって、結局何なのさ……。




 ◆




 観覧車に乗り込み、既に五分経過。

 しかしこの口は、いまだ目的の言葉を吐き出せずにいた。


 ……いきなり言ったら、結局前と一緒だよな。だからって、正しい前振りとか知らないし。

 考えれば考えるほど、タイミングがわからなくなる。もういっそのこと、向こうから可愛いを求めてくれたら楽なのに……。


「あっ」


 不意に、来栖が声をあげた。

 俺は窓の外から視線を外し、「ど、どうした?」と彼女の方を向く。


「いや、昔のこと思い出して。小学生の頃、一緒にここに遊びに来たでしょ」

「俺と来栖と、来栖のお母さんの三人で来たよな」

「そうそう。お母様、高いところダメだからさ。私と新の二人で観覧車乗ったよね」

「あー……そ、そうだな……」


 何を言いたいのか理解し、俺はバツが悪くなり目を逸らした。

 それを見た彼女は、口角をいやらしく吊り上げ俺の顔を覗き込む。


「途中で観覧車に不具合が起こって、一番上のところで止まってさ。そしたら新、落ちるー! って泣き出したでしょ」

「こ、子どもの頃なんだから仕方ないだろ? お前だって半泣きだったくせに」

「新が泣くから、もらい泣きしちゃったんだよ。新が悪い」

「俺のせいかよ。だったら、漏らしたのも俺のせいか?」

「も、漏らしてないし! 勝手に記憶捏造しないでよ!」

「悪かった。漏らしたのは、キャンプの肝試し行った時だったな」

「……あの日、実は新がおねしょしたこと、私知ってるんだからね」

「っ!? な、何でそのことを……!?」


 他愛もない会話が、小さな密室を彩る。


 ついにゴンドラは頂点に達し、眼下には星々のような夜景が広がっていた。

 来栖は俺の膝に手をついて身を乗り出し、外の景色に夢中になる。


 光を映す灰色の瞳。

 唇を薄く開いて、「うわー……っ」と小さな感嘆の声を漏らす。


 時間が経っても、身体が大きくなっても、そのリアクションは子供の頃とまったく同じで。

 自分だけの宝石を見つけたような無邪気な喜びが横顔から溢れていて、いつまでも変わらない美しさに目を細める。あの頃と同じく彼女のそばにいられることが、堪らなく嬉しくなる。



「――……可愛い」



 と、その時。

 俺の口は、無意識にその言葉を紡いだ。




 ◆




「え?」

「あっ」


 可愛い。

 唐突に新からそう言われ、私は思わず聞き返した。


「いや、その、違っ……くはない、けど……! く、口が勝手に……!」


 私から顔をそらし、動揺する新。

 数秒置いてため息をつき、頬を染めながら後頭部を掻く。


「……前にクラスのやつから、可愛いって言い過ぎだって注意されてさ。だから、ここぞって時に言おうと思ってたんだけど、何か無意識のうちに口が動いちゃって……」


 ……えっ。

 急に褒めなくなったの、そういうことだったの?


 確かにあの日は、あまりにも節操がなかったから、誰かに注意を受けても仕方ないか。

 私自身、柄にもなく叫びまくっちゃったし。


「じゃ、じゃあ……もしかして新、ずっと私のこと可愛いって思ってた……?」

「それは、その……」


 恥ずかしそうに視線を泳がせて、小さく深呼吸。

 ジッと私を見つめ、薄い唇を開く。


「……ずっと可愛いって思ってた。学校での来栖も、仕事場での来栖も、今日の来栖も全部可愛くて……でも、いつどんな風に言ったらいいのかわからなくて、かなり困ってた……」


 そう言い切り、深い息と共に視線を落とした。

 私もどう声をかけたらいいのかわからず、ゴンドラ内を沈黙が満たす。


 ふっと、私の左手が新の右手に触れた。

 一瞬視線を交わして、どちらともなく距離を詰めて、ジリジリと侵食するように触れ合って。最後には繋ぎ、お互いの体温を交換する。


 ただこれだけの行為でわけがわからないほど心臓が高鳴り、指先を通じて彼に伝わってしまうのではと不安になる。


「……まあ、確かに私も脈絡なく顔合わすたびに言われるのは、ちょっと恥ずかしいかな……」

「そ、そっか。以後、気をつけるよ」

「あっ! でも、今とかは全然言ってくれていいから! ていうか……言って欲しい、かも……」


 繋いだ手が、熱い。

 自分の手も、新の手も。


 見つめ合って、少し笑って。

 彼の手が、ギュッと私の手を強く捕まえる。


「今日はずっと、来栖に見惚れてた。すごく可愛くて……正直、心臓がやばい」


 そう言って、精一杯背伸びした少年のような、あどけない爽やかな笑みを浮かべた。

 私は「そっか」と返して、同じように頬を緩ませて。


 重ねた視線が引かれ合い、彼はおもむろに私を抱き寄せた。


「……ご、ごめんっ」

「ひと前でお姫様抱っこはするのに、二人っきりの時にハグして謝るとか変なの」

「じゃあ……あ、ありがとう?」

「それじゃなくて」

「じゃなくて?」

「察せよ、バカ……」

「……可愛い」


 そう呟いて、いっそう強く私を抱き締めた。

 私も新の背中に腕を回して、その肩に顔をうずめる。


 今、彼の気持ちがわかった。


 ただの予想なのに、絶対に間違っていないという自信がある。

 命を懸けてもいいという、確信がある。


  新は……、



  ――私のことが、好きなんだ。




 ◆




 観覧車を降りて園内で夕食をとり、俺たちは帰路についた。


 電車の中は、同じく休日を満喫し家へ急ぐひとたちでいっぱい。

 俺は来栖を角へやり、極力ほかの乗客に押されないようブロックする。


「これだったら、タクシーとか使えばよかったな」

「私は気にしてないよ。電車とか滅多に乗らないし、新と一緒なら安心だし」


 移動の大半を、プロのドライバーに頼る来栖。

 俺みたいな庶民にとってはうざったいだけの満員電車も、彼女にとってはアクティビティらしい。


「……今日は、誘ってくれてありがと。すごく楽しかった」

「俺も楽しかった。次学校行ったら、犬飼にもお礼言っといてくれ。招待券譲ってくれたの、あいつだから」

「えっ? 何で犬飼が――」


 言いかけて、ガタンと電車が大きく揺れた。

 ひとの波が右へ左へ。


 来栖の身体も傾くが、俺の腰に軽く腕を回して体勢を立て直す。


「だ、大丈夫か? ちゃんと掴まっとけよ」

「……うん」


 小さく呟いて、ふっと見上げて。

 普段のダウナーな表情が嘘のような、白い歯が覗く無邪気な笑みを作る。



「安心して。絶対に……一生、離さないから」



 他の誰にも届かないような、か細い声音。

 それはやけに艶っぽくて、可愛くて、心臓に悪くて。


 俺は唾を飲みながら、視線を逸らした。



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