第23話 嘘でもいいから
――新が、私を可愛いと言った
前回のデートでも可愛いと言ってくれたが、あれと今回のとではまったく質が違う。
『来栖は今日も可愛いなって、そう思って……』
そしてこれ。
も? もって何だ、もって。
その言い方だと、昨日も一昨日も可愛いって思ってたってことになっちゃうよ!?
マジかよ最高じゃん!!
……って、いやいや、落ち着け私。
昨日も一昨日も普通に学校だった。
いつもの王子仕様のメイクで、新が可愛いとか思うか? いや、あり得ない。
じゃあ……どうして新は、私を褒めた?
「もしかして、何か私に謝りたいこととかある?」
「えっ? 何で?」
「いや……い、いきなり可愛いとか言うし……」
何かやらかして、それを誤魔化すためご機嫌を取ろうとしている説。
あの新に限ってないとは思うが、現状思いつく限り、この説が一番有力だ。
「もしかして、可愛いって言われるの嫌だったか? だったら……本当にごめん。もう二度としない」
「あっ! い、嫌とかじゃない! ちょっとビックリしただけだし!」
わかりやすくシュンとして謝る新。
私が焦って訳を説明すると、彼は安心したように笑みを浮かべた。
……やばい。まったく意味がわからない。
もしかしてこいつ、私のことが好きなのか?
いや、自分に都合のいい妄想はよせ。そんなわけがない。
だったらどうして……。
「はっ!?」
家中に充満するクッキーの甘い香り。
まさか……気化したメロメロ成分が、既に新に影響を与えてるってこと!?
だとしたら家に来て早々、私を可愛いと言ったことにも説明がつく。
匂いだけでここまでとは……もしかして私、とてつもない兵器を開発しちゃったんじゃ……?
「おっ。何か甘い匂いすると思ったら、クッキー焼いてたのか。一枚もらっていいか?」
「だ、ダメッ!!」
リビングのテーブルの上に置かれたクッキー。
それを指差す新に、私は焦り気味に言った。
匂いでこれってことは、本体を食べたら興奮どころの騒ぎではなくなってしまう。
……よかった、今回は味見しなくて。
前みたいに味見してたら、タダでは済まなかっただろう。
「何でダメなんだ? 誰かに渡す用とか?」
「そういうわけじゃなくて……あれ、失敗作で美味しくないから」
「来栖の手作りなら、俺は何でも好きだよ。捨てるとかもったいないし、せめて一枚くらい――」
「だから、ダメだって! 勉強、私の部屋でする。ほら行くよっ」
新の腕を引きつつ方向転換。
リビングを出て、物置部屋を改装した自室へ急ぐ。
……あれ。心なしか、私もドキドキしてきたぞ。
身体が熱くて、呼吸がしにくくて、新が余計魅力的に見えるような……。
そ、そっか!
匂いでも効くってことは、ずっと嗅いでた私にも効果あって当然じゃん!?
うわぁああああ!! どうしてこうなった!!
私はただ、新に好かれたかっただけなのにぃ~~~~!!!!
◆
玄関を開けて顔を合わせ、やっぱり俺は来栖のことが好きなんだなと実感した。
目が離せない。
つい、手を伸ばしたくなってしまう。
……だが、我慢だ。
そういうことは、来栖の気を引いて、好きになってもらって、付き合ってからじゃないと。
前みたいに同意もなく額にキスとか、もう二度とやっちゃいけない。
「んじゃ、勉強始めるか」
来栖の部屋は、ベッドと簡易的なテーブルがあるだけの、いかにも居候といった簡素な佇まい。
テーブルの上に教材を並べて、向かい合って床に座り。
さあ始めようと声をかけたが、彼女は黙って筆箱を見つめている。
「来栖、大丈夫か?」
「ほぇ!? あっ……うん、大丈夫……よ、よろしくお願いしましゅ……」
頬は赤みを帯び、瞳は薄っすらと濡れ、ピンクの唇から小刻みに息を漏らす。
その様はやけに艶っぽくて、しおらしく、可憐だ。
……っと、まずいまずい。見惚れてどうする。
今はそういう時間じゃないだろ。
心に鞭を打って、勉強開始。
事前に試験に出そうな範囲はまとめてきた。
この内容を、彼女の頭に叩き込むだけ。
一つ一つ、丁寧に。いつも通り。
俺は淡々と授業を行っていく、のだが……。
「はぁ……はぁ……っ」
わかりやすく息を切らし始めた来栖。
ポトリと手からシャーペンが零れるも、灰色の瞳はそれを追うこともなく俺を見つめている。
「ほ、本当に大丈夫か? 熱でもあるんじゃないか?」
「あぅっ!」
流石におかしいと思い額に手を置くと、彼女は艶やかな声をあげながら仰け反った。
突然のことに俺は驚き、薄く口を開けたまま彼女を見つめる。
「ち、違うの。そういうのじゃなくて……っ」
「じゃあ、どういうのだ?」
「だから、その……」
思い返すと、ストーカーを撃退した時も来栖は同じような状態になっていた。
病気じゃないと言っていたが……じゃあ、一体何なんだ?
「新は……私のお願い、何でも聞いてくれる……?」
「……そりゃまあ、来栖が望むなら何だってするよ」
肩を寄せて縮こまって、もじもじと内股を擦り合わせて。
不思議な動きを数秒続けたところで、
「――――――してくれたら、お、落ち着くかも」
「えっ?」
ゴニョゴニョと、来栖は言う。
上手く拾えず聞き返すと、彼女はいっそう頬を染めながら唇を開く。
「……さっきみたいに可愛いって言いながら、いっぱい撫でて甘やかしてくれたら落ち着くかも。新、お願いしてもいい……?」
それは今の俺にとって、難易度がエベレストの如く高いお願いだった。
◆
「な、何でそんなことを……?」
当然の疑問。
特別クッキーの匂いのせいで興奮が最高潮に達し、何とか発散しないとお前に襲い掛かりそうだから――なんて言えるわけがないので、別の回答を用意してある。
「最近、仕事のことで悩みが多くて……私が全力で甘えられるのって、世界で新ただ一人だから……」
前半部は嘘だが、後半部は本当だ。
私にとって新は誰よりも特別で、喉から手が出るほど欲しくて。
それなのに彼は、私の手をのらりくらりと躱しつつ、今も平気な顔でここにいる。
撫でて甘やかすくらい、私に気のない新なら造作もないことだろう。
「……お願い、新。私のこと、めちゃくちゃにして……?」
――――――――――――――――――
※来栖が購入した薬剤は全てジョークグッズなので、対新専用特別クッキーの効果はただのプラシーボです。なので彼女は、何の変哲もないクッキーの匂いで発情しています。
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