第24話 エミーにはまだ、熱いから危ないよ
ロベルトはアマーリエの顔を見たまま、
瞬きまで止まっているあたり、相当に強く心に衝撃を受けたものとしか思えなかった。
人間とはバランスを取ろうとする生き物でもある。
ロベルトがそのような状態にあれば、アマーリエはそうなる訳にはいかないと踏み止まろうとする。
「失礼しました。ロベルト第二王子
アマーリエは型通りのきれいなカーテシーを決め、型通りの挨拶をしてから、三歩下がった。
あまりにも距離が近すぎる。
それでは以前の自分と変わらない距離感になることをアマーリエは危惧していた。
『それはダメよ』と警告を促す声が上がった気がして、勝手に体が動いていたのだ。
「あ、ああ」
心無しロベルトの声は震えているようだった。
(きれいにカーテシーを決めたのが、そんなにショックなのかしら?)
ロベルトの態度がアマーリエの心に影を差した。
自分にも侯爵家の娘という自負心があった。
おまけにマルチナという淑女の教科書と呼ばれるお手本が、姉として家にいる。
彼女が優しくて、親切な姉だったのは間違いないとアマーリエは感じていたが、そこに愛情が含まれているのかまでは分からなかった。
ただ、はっきりとしているのはマルチナーが一番、大好きなのは自分のことだという事実だった。
アマーリエはそれで気付いてしまった。
優しくしてくれたのは単なるマスコットやペットに対するものと変わらなかったのだと……。
そして、ロベルトは動こうとしない。
微動だにしないロベルトの様子にアマーリエも動くに動けなかった。
見つめ合うのはロベルトに迷惑がかかると考えたアマーリエは、せめて逃げるようにと視線を泳がせるしかなかった。
(嘘でしょ。サーラはどうして、目をキラキラと輝かせてるの!?)
目を泳がせた先で瞳を輝かせたサーラが自分達を凝視していることにアマーリエは思わず、小さな悲鳴を上げそうになった。
ユリアンは倒れそうなくらいに青い顔になっている。
アマーリエはつい助けを求めようとセバスチアーンへと視線を向けた。
セバスチアーンは『全て、分かってますぞ』と言わんばかりの目をしている。
いわゆる生温かく見守る視線である……。
「これは、これは。このようなところで立ち話をなさってはいけませんな。ここは吾輩にお任せくださいませ」
セバスチアーンは白い口髭をいじりながら、まさにニンマリという表現がピッタリくる笑顔を浮かべて言った。
これは逆らってはいけないものだと場にいる誰もが察した。
セバスチアーンの指示の元、庭先にあっという間にお茶会の場がセッティングされた。
金属製のガーデンテーブルと四脚のガーデンチェアーはコンラートの趣味の良さをうかがわせるものだった。
重厚な造りに落ち着いたデザインは、目を引く派手さこそなかったものの離宮にある調度品として、これ以上ない品である。
テーブルの上には紅茶と最近、流通し始めた珈琲とお茶請けのクッキーまで用意されていた。
アマーリエとサーラにはカットされた柑橘類が入った紅茶。
ロベルトとユリアンには珈琲。
立方体の形に整えられた白砂糖の入った小皿はアマーリエとサーラの前にだけある。
(珈琲は苦い飲み物だと聞いたけど、二人は大丈夫かしら?)
珍しい飲み物を前にちょっと心配になったアマーリエは、紅茶のカップを口につける振りをしつつ、様子を見ることにした。
彼女の予想通りのことが起きている。
ロベルトとユリアンは具合が悪い時、苦い薬を飲んだ者と似た表情を浮かべていた。
珈琲はどうやら、美味しくない飲み物なのだとアマーリエは知った。
セバスチアーンはアマーリエにだけ分かるように親指を立て、薄っすらと笑っていた。
『いかがですかな』とでも言いたげな顔をしているところを見るとどうやら、砂糖なしの珈琲は男性陣への嫌がらせの意味合いが強かったようだ。
さすがにかわいそうな気がしてきたアマーリエは、少しくらい何かしてあげたいと考えたが具体的にどうすればいいという妙案は思いつかない。
暫し、思案に耽った挙句、長居をしなければいいのだという程度の考えしか浮かんでこない。
しかし、思いついたらすぐに行動を起こすのがアマーリエの長所でもある。
本題を切り出して、終わらせるのが一番に違いないと早速、行動に出た。
「
「ああ。見過ごす訳にはいかないからね。お祖父様も大層、お怒りだったよ」
ロベルトは珈琲の苦さに顔をしかめながらも何とか飲もうと頑張っている姿が傍目にもよく分かる。
しかし、彼は苦いだけではなく、熱いのも影響して飲めないでいるのだ。
アマーリエは今更のようにロベルトが重度の猫舌だったことを思い出した。
そのくせ、「
その優しさを好意や愛情だとアマーリエが、勘違いするのに十分過ぎるほどに……。
これくらいの離れている距離が自分には丁度、いいのだとアマーリエは自分に言い聞かせるように心の中で何度も唱えた。
「それでおじい様がいらっしゃらないんですね」
「そうなんだ。普段、怒らないお祖父様が『剣と鎧を用意せよ』と言い出して、王宮に向かおうとしたから、止めるのが大変だったよ。さすがに武装は思い止まってくれたけどね」
「そうだったんですね」
ユリアンとサーラはロベルトとアマーリエのやり取りを固唾を飲んで見守っているだけで動くことはない。
いや、動けないでいたというのが正しい。
その場の空気を読むとは言い難い性質のサーラでさえ、動かないでいたのは僥倖である。
夫婦喧嘩は犬も食わぬという言葉も知られている。
下手にサーラが動いていたら、もっと面倒なことになっていた可能性も決して否定出来ないのだ。
「それじゃ、安心したのであたしはここを出ようと思います」
「は? あちっ」
「え?」
「お?」
ロベルトはあからさまに慌てたのか、つい熱い珈琲を口に含んだのか、目が白黒していた。
ユリアンとサーラもこれまでの静かさが嘘のように急反応を見せる。
「ど、ど、どうしてなんだ? エミ……なぜ、ここを出るんだい? エヴァもいるのだし、ここにいていいじゃないか」
ロベルトがなぜこんなにも慌てているのかが分からないアマーリエは不思議で仕方がない。
しかし、彼女は考えるのが苦手である。
そんなアマーリエにしては珍しくしっかりと考え、導き出した結論だがこれまた突拍子のないものだった。
自分がここにいたら、そのことがネドヴェト家の
その点ではエヴェリーナとは別行動を取らなくては、足取りを掴まれやすい。
原因を突き止めない限り、自分達が家に帰ることは出来ないとアマーリエは考えた。
「学園に行って、まずはビカン先生に相談したいと思うんです。それから、どうするかは決めようと思ってます」
そこで学園の教師であり、信頼出来る大人でもあるビカンに話を聞いてもらうべきという結論に至ったアマーリエである。
ビカンが頼りになる大人だということにもう疑いの余地はなかった。
毒のこともビカンのお陰で分かったことが大きい。
「ビカン先生か。分かった。僕が君を学園まで送るよ。問題はないね?」
「あ? え、ええ。問題ないです?」
どうやら復活したらしいロベルトが急に真顔でそんなことを言い出した。
突然の申し出に不意打ちをされたように今度はアマーリエの方が狼狽える番だった。
ロベルトの馬車はカブリオレである。
二人きりでは問題があるどころか、大ありとしか思えないものだ。
少なくともアマーリエの中ではそうとしか、考えられなかった。
しかし、とても断れる空気ではなく、頷くしかないアマーリエだった。
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