第25話 エミーと呼べて、嬉しかったんだ

 アマーリエはロベルトのカブリオレ――軽装二輪で二人乗り・一頭立ての小型の馬車――に同乗した。

 二人きりでカブリオレに乗ること自体がかなり久し振りなことを彼女は思い出した。

 しかし、いつからそうしていなかったのかまでは思い出せない。

 ただ、随分と久しぶりだという思いが胸を過ぎるだけだ。


 アマーリエはかつての自分達の姿に思いを馳せた。

 ロベルトがネドヴェト家から、コンラートの離宮へと居を移してもそれほど寂しいと感じなかった。

 カブリオレの存在が大きかった。

 ロベルトはアマーリエが寂しく思わないようにと二人きりのドライブに連れて行ってくれた。

 だが、ロベルトは基本的に誰に対しても優しく、気遣いが出来る人間である。

 自分だけが特別だった訳ではないのだとアマーリエは、胸の中に湧いた淡い恋心を消そうとする。


 よく考えれば、勘違いされないようにの意味合いがあったのではないか。

 熱を帯びた恋の炎が落ち着いたアマーリエは、冷めた心でそう考えていた。

 病身のエヴェリーナを除けば、姉妹が交代制でカブリオレのシートに座っていた。

 これが避けようのない事実である。


 あの頃とは違う。

 あまりにも子供で何も知らなかったとは今の自分は違うのだとアマーリエはかぶりを軽く振った。

 愛されようと躍起になり、迷惑をかけていた自分はどれだけ子供だったのかと……。

 今はもう違う。


 隣の馭者席に座り、馬を操るロベルトの凛々しく、美しい横顔を見て、アマーリエはふとそんなことを思った。


「あの。ロベルト第二王子殿

「ネドヴェト嬢。それなんだが……。僕のお願いを一つ、聞いてくれないかな?」


 落下したアマーリエとエヴェリーナを風の魔法で助けたのは他ならない。

 ロベルトである。

 ユリアンに馭者を任せ、かなり危ないということを理解しながらも疾走するカブリオレから魔法を使ったのだ。


 だから、お礼の代わりに出来ることであれば、何でもいいとアマーリエはつい言ってしまった。

 それでなくてもエヴェリーナの面倒まで看てもらうのだ。

 かなり無理なお願いでも聞かないといけないとも考えていた。

 ネドヴェトに二言はない。

 それが竜の血を引く、雄々しきネドヴェト家の家訓なのだ。


「何でしょう?」

「君のことをまた、エミーアマーリエと呼ぶ権利を僕に貰えないだろうか。そして、願わくば、ロビーロベルトと呼んで欲しいんだ」

「ふぇ?」


 あまりにも肩透かしなお願いだった。

 拍子抜けしたアマーリエの口から、女の子らしからぬ変な声が出た。

 ロベルトは優しく、紳士だった。

 妙なお願いはしない人だと信じていた。

 だからまさか、そういうお願いをされると思っていなかった不意打ちである。


「駄目……だろうか?」

「かまいませんよ、ロビー」

「本当かい?」

「きゃっ」


(そんなに愛称で呼ばれるのが、嬉しかったのかしら?)


 ロベルトは満面の笑みを浮かべ、アマーリエの方に視線を向けた。

 当然、手綱が疎かになった。

 危ないこと、この上ない。


 ロベルトは文武両道にして、成績優秀なことで知られている。

 あまりにも完璧過ぎるのでアマーリエが、引け目を感じるほどだった。

 それがまるで幼子のようにはしゃぎ、おっちょこちょいな粗相をする。

 ありえない事態にアマーリエの頭にも疑問符が浮かんでいた。


(どうしちゃったんだろう。もしかして、さっき飲んだ珈琲のせいなの?)


 そんな風にしか考えられないのがアマーリエの限界でもあった。


「しっかりと前を見てくださいっ!」

「わ、分かっているとも。エミーと呼べて、嬉しかったんだ。つい我を忘れてしまったよ」

「だから、ちゃんと前を見てって!」

「うん。エミーはその喋り方の方がいい。堅苦しい言い方をしないで欲しい」

「分かったわ、ロビー。だから、こっちを見ないで前!」

「分かっているとも」


 呼び方が以前と同じに戻っただけのことだとアマーリエは己の心に言って聞かせる。

 親しそうに喋るのも兄と妹のように育ったのだから、何もおかしなことはないのだと……。


 ロベルトが妙に浮かれているように見えるのは暫く、距離を置いていたから変な錯覚を起こしているだけに過ぎない。

 そこに何か、特別な感情が籠っていたりはしないのだと……。


 顔が熱が出たかのように熱く感じるのもロベルトの頬が紅潮しているように見えるのも夕焼けのせいなのだとアマーリエは考えることにした。

 きっと、気のせいなのだと……。

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