第46話 それだけで家出したんだけど
その日は唐突にやって来る。
コンラートの離宮に集まるようにと先触れが届いたのは果たして、それから間もなくのことだった。
それも大至急とのお達しまで添えられている。
精神的には最も幼いサーラは不安に苛まれた表情を隠しきれないでいた。
恐怖が全てを上回った結果でもあった。
当事者の一人でもあるアマーリエにも当然のように恐怖の波が押し寄せている。
それは決して、抗いきれるものではなかった。
アマーリエが思い出したのはコンラートの一言だった。
彼は『いつでも遊びに来るといい』と言うだけで『来なさい』とは決して、言わなかった。
そのコンラートが『大至急』と言っているのは、何かよくないことが起きたと考えるのが道理である。
幸いないことにユリアンは呼ばれていなかった。
怖がっているサーラを一人にするべきではない。
彼女を安心させる為にもユリアンは残るべきだとロベルトだけではなく、アマーリエも考えていた。
「でも、ですね。僕が行かないと……
ところがユリアンは頑として、受け付けなかった。
どこかで頭でもぶつけたのではないかと二人が疑ったほどだ。
あれほどに怖がり、体を震わせていたサーラまで呆れの感情が上回ったのか、ユリアンを半目で睨んでいる。
アマーリエもサーラと同じ気分だった。
その日に限ってはロベルトのカブリオレが迎えに来ない。
アマーリエはポボルスキー家の馬車に同乗せざるを得なかった。
兄の様子に腹を立てたサーラも随行することを決めた。
そのせいか、道中の車内にはとても微妙な空気が漂っていた。
出る前はとても不安な表情を隠しきれないでいたサーラが「ごめんなさい。うちのお兄ちゃまがお馬鹿で」と悟りを開いたかのように落ち着きを取り戻している。
もしかして、ユリアンはこれを狙い、わざとあのような発言をしたのではないか。
そうも考えたアマーリエだが、頭を軽く振りその考えを消した。
ユリアンの顔はどこか浮かているようにさえ見えたからだ。
恋は不治の病。
ふとそんな言葉を思い出したアマーリエは一人、合点した。
勉強が出来る優等生の少年はきっと、恋をしているに違いないと根拠のない確信を抱いていた。
「
離宮に着いたアマーリエには思いがけない再会が待っていた。
元気になったエヴェリーナと話をしているキャラメルブロンドの長く、美しい髪の女性を見忘れるはずがなかった。
マルチナだった。
「二人とも無事だったのね。本当によかった」
彼女の頬を幾筋もの涙が伝っていく。
(こんなに涙もろい人だったかしら?)
アマーリエの記憶にある姉の姿とすぐに一致しなかった。
体つきも心無し痩せたように見え、憔悴した表情がよりそう見せていた。
アマーリエにとって、自慢の姉だった。
いつか姉のようなレディになりたいと願っていた憧れの存在だった。
そのマルチナがこんな姿になっていることが彼女には信じられなかった。
積もる話がたくさんあり、捌ききれないというほどにお互い、離れていた訳ではない。
少しばかりの間、アマーリエが家を出たことで事態が大きく動いたに過ぎなかった。
エヴェリーナが元気になったことも含め、色々とあったのだ。
マルチナも一人になり、考えさせられたのだと告白した。
ネドヴェトの黄薔薇と称された淑女たるマルチナである。
憔悴しているとはいえ、立て板に水を流すように屋敷であった出来事を語った。
「まるで長い夢を見させられていたような不思議な感覚だったわ」
マルチナが感じたのは実に奇妙な体験だった。
夢が覚めたのとは少し、違うのだと彼女は零すように言った。
己の手すらも確認出来ない濃い霧の中を歩いていたら、明るい光に導かれ急に霧が晴れていった。
そう例えるべきなのだと……。
きっかけになったのはアマーリエが出て行ったことに他ならない。
そう聞かされたアマーリエにとっては何とも言えない複雑な気分だった。
(もう諦めて、どうにでもなれ!)
そんな投げ槍な気持ちが大きく、深く考えることもなく動いたのがアマーリエだった。
だが、エヴェリーナのことをどうしても助けたいと思った結果が家出であり、今回の騒動に繋がった。
「トムも大事なお話があるそうなの」
「んんん? トム? 誰なの、それ?」
ほんのりと頬を桜色に染めたマルチナは何の気もなしに『トム』という聞き慣れない男の名を零した。
その表情にアマーリエはハッとした。
ユリアンだけではない。
ここにも同じ症状の者がいるとは思わなかったからだ。
(エヴァもユリアンのことを話す時、こんな表情をしてた気がする……)
アマーリエは慌てて、頭を振り、心を過ぎった考えを打ち消した。
今はそういうことを考えている場合ではない。
能天気な性質の彼女でもさすがに状況と空気は読める。
「そういうエミーも
「そ、そんなことないもん」
「あらあら。まぁまぁ」
鋭いツッコミを入れたのは何とエヴェリーナだった。
彼女の元気な姿に誰もが笑顔になる。
アマーリエもマルチナも素直に嬉しいと感じていた。
しかし、その反面、ツッコミが深く刺さったアマーリエとしては何とも言えない複雑な気分である。
したり顔で頷いているマルチナの手前もあった。
不意にアマーリエは思い出した。
幼き日のことを……。
姉妹が仲良く、過ごしていた遠き日々を……。
(ここに
「全く、あなた達は!」と真面目ぶって、説教したのだろうか。
それともこうして、一緒にお喋りしたんだろうか。
三人の姉妹はこの場に居合わせることが出来なかったもう一人の姉妹へと思いを馳せた。
この時、ユスティーナのことを思い出したのは単なる偶然ではなかった。
いわゆる虫の知らせだったとは誰一人知る由もなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます