第48話 そのまま逃げるなんて、許さないんだから

「我々にはもう時間が残されていないようだ」


 コンラートがふと窓へと目を向けた。

 アマーリエも釣られるように視線を向け、そして、見なければよかったと後悔した。


 太陽が出ていた。

 燦々と輝きを放つ日の光で眩く感じるほどに明るかった空が、にわかにかげっていく。

 日が落ちる時間にはまだ遠い。


「じー様。もう迷っている時間はないようだ。俺は動く。かまわんよな?」


 誰もが言葉を失くし、沈黙が場を支配する中、勢いよく立ち上がったのはトムだった。

 座っていようとも体格の良さが分かる巨漢である。

 立ち上がった姿はまるでの壁のようだとアマーリエは感じた。

 収縮色である黒で塗られた甲冑であるにも関わらず、場を圧する威容が隠しきれていなかった。


 ノッポ。

 ヴィシェフラドの遥か北にある小さな村の名前だ。

 彼の地に住まう住民は背が高いことでよく知られていた。

 背が高い者をはのっぽと呼ばれるようになった謂れである。


 アマーリエは不意にユスティーナがかつて、教えてくれた蘊蓄を思い出した。

 口喧嘩になった時、嫌味を交えながら、そう言っていたことを……。

 なぜ、このタイミングでユスティーナのことを思い出したのかが分からず、アマーリエは軽く混乱した。


はせんようにな。分かるな?」

「ああ。分かっているさ。俺のところの兵は優秀だからな。問題ない」


 コンラートの軽くたしなめるようでありながらも愛情に溢れた言葉を背中で受け取ったトムはマントを翻し、颯爽と部屋を出て行った。

 不覚にもその姿に少しばかりのときめきを感じ、アマーリエはマルチナの恋する心をになった。

 彼女の目は常にトムを追っている。

 それに気付いた自分は確実に大人へと近づいているのだと信じて、疑わなかった。




 トムが退室してから、窓の外の景色が様変わりしていった。

 世界が闇に閉ざされていく。

 全てが光を失ったように暗くなっていく。

 場にいる誰しもが表情を失くしかけていた。

 明るさが失われる錯覚を感じたアマーリエは、単純に嫌だと思った。


 嫌な空気を払うようにコンラートは淡々と言葉を繋ぎ、どうすれば日蝕を乗り切れるのかと説明を続けている。

 そのほとんどはアマーリエの頭に入っていない。

 右から左へと素通りするように……。

 彼女の頭が理解するのを拒否していた。

 理解したくないと心が拒んでいたのだ。


 憔悴した母親ミリアムが倒れたのもアマーリエに少なからぬ影響を与えた。

 セバスチアーンより命に別状がないと聞いていたものの決して、安心が出来るような状態でもなかったからだ。

 しかし、それ以上に気にかかるのは杳として知れないユスティーナのことだった。


 ドレスを着ることを蛇蝎の如く、嫌っていたユスティーナが裾の長いドレスを着ている。

 セバスチアーンは苦虫を嚙み潰したような顔で確かにそう言った。

 夜の闇を纏いし漆黒のドレスは色こそ、異なっていたが神に仕える巫女の召し物によく似ているとも……。


 日蝕と巫女には密接なかかわりがある。

 巫女はその命を捧げることで光を世界に取り戻す。

 コンラートの話にそんな内容があったことを思い出し、アマーリエははっとした。


 ユスティーナが巫女の装束を纏っている。

 それが何を意味するのか。

 アマーリエでも容易に想像が出来る悲劇的な未来が見えた。


(死ぬ気だ……。そんなの許さない! 言いたいことだけ言って、そのまま逃げるなんて、許さないんだから!)


 姉妹である限り、また言いたいことを言い合い、ぶつかりながらも笑い合う未来が来ないかもしれない。

 そんな未来は絶対に嫌だとアマーリエは強く、思った。


 トムが戻ってきたのはそれから、小一時間後のことである。

 彼の黒い甲冑のあちこちに紫色の奇妙な血が飛び散っていた。

 誰しも何があったのかを何となく、察した。

 ネドヴェト家の屋敷で何かがあったのだと……。

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