第22話 ひよこちゃんより、速いのね
アマーリエが重く感じる瞼をゆっくりと開くとまず、目に入ってきたのは白を基調とした品のある壁紙が貼られた天井である。
彼女の良く知っている天井だった。
この部屋を知っていた。
幼い頃から、何度も遊びに来たことがあったことを思い出した。
(忘れるもんですか。あたしはここに来たかったんだから!)
意図せずして、目的を果たしたアマーリエは嬉しさのあまりに身体を動かそうとするが、体のあちこちが悲鳴を上げる。
激痛とまではいかないが、
「おや。お嬢様。目が覚めましたかな?」
ちょっとしわがれた特徴のある声をアマーリエは確かに知っていた。
白い口髭を生やし、シャキッと背筋を伸ばした老人が静かに佇んでいた。
黒の執事服に身を包んだ老人をアマーリエは良く知っていた。
見間違えるはずがない。
セバスチアーンだった。
安心したからなのか、アマーリエの瞼は再び、重くなっていく。
それから、どれくらいの時間が経ったのか。
目を覚ましたアマーリエには正確な時間が分からなかった。
体の痛みが和らいでいる。
痛みが和らぐほどに長い時間が経過したから、痛くないのだと仮定すれば、相当に長い時間眠っていたことになる。
理由がまるで分からず、アマーリエはもう一つの可能性に思い当たった。
癒しの魔法である。
使える人間はあまり、存在しないことも知っていた。
簡単な癒しの魔法を使えただけでも聖女と認定された話さえ、あったほどだ。
これが御伽噺ではなく、実話なのである。
アマーリエが来たいと望んだ場所に着いていた。
偶然の産物なのか、それとも必然の成り行きなのか。
願いが叶ったことを喜ぶアマーリエは、今後どうなることかと想像もつかない状況から少しだけ解放されたことで気分を落ち着かせていた。
(ここで頭の中を少し、整理すべきかしら?)
考えるのが苦手なアマーリエだ。
うまく整理が出来ると自信はまるでないもののそうしなければならない事情が彼女にはある。
エヴェリーナを連れ、屋敷を飛び出した。
それは間違いようのない事実だった。
アマーリエの描く魔法の絵でエヴェリーナの身代わり人形を作った。
二階からの脱出をすべく、手段として考えたのが通称『あひるちゃん』と呼ばれる飛翔体である。
アマーリエ渾身の作・あひるちゃん一号だが、エヴェリーナからの評価も辛辣なものだった。
エヴェリーナはなぜか半目で半信半疑といった態度を取った。
アマーリエには何がいけないのか、それが分からなかった。
(あひるちゃんだよ?)
絶対の自信をもって書き上げたものだった。
アマーリエが筆を走らせ、描いたモノは彼女が願えば、成し遂げられるものだったからだ。
その証拠と言わんばかりに原理は分からないものの小さな翼しかない『あひるちゃん』はちゃんと空を飛んだのである。
羽ばたきをする音もしない。
ふわっという感じで宙に浮き、ふわふわと風に流されるように飛んでいると言った方が近い。
それでも確かに飛んでいるのだ。
アマーリエは心の中でそう叫んでいた。
「ひよこちゃんより、速いのね」
「え? ひよこは空飛べるの?」
「知らないけど?」
エヴェリーナはほとんどをベッドの上で寝て過ごしていた。
そのせいから、たまによく分からないことを口走る癖があった。
だが、楽しい空の旅になるはずだった……。
アマーリエは何かが、おかしいと感じていた。
徐々に体から、力が抜けていく感覚があった。
それは決して、気のせいではない。
油断をすれば、意識がなくなりそうなほどの強烈な倦怠感だった。
何とか我慢し、耐えていたアマーリエだがそれにも限界がある。
「エミー、大丈夫なの? 顔色が悪いわ」
「大丈夫。多分、大丈夫」
歯を食いしばり、耐えていたがそろそろ限界が近づいていた。
それでもどうにか、ヴィシェフラドの郊外にまで飛んで来ることが出来たことに気が付いたアマーリエだが、その意識は朦朧としている。
(あと、もうちょっとだったのに……)
彼女がふと我に返った時にはあひるちゃん一号が消えていた。
アマーリエとエヴェリーナの身体は宙に投げ出され、落ちるのを待つだけになった
エヴェリーナだけはどうにかして助けたいと願ったアマーリエは、彼女の身体を抱きかかえ落ちるに任せた。
(せめて、エヴァだけでも助かればいいなぁ)
そんなことを考えながら、空を落ちるだけのアマーリエがぶつかったのは固い地面ではなかった。
何だか優しくて、軟らかな物としか例えようがない物だった。
(落下死なのに案外、痛くないんだ)
変なことを考えながら、アマーリエはそっと意識を手放した。
(そうよね。確か、こんな感じでだいたい合っているはず!)
そして、ようやくのように再び、気が付いた。
今、いる場所が目的地であるコンラート前国王の離宮だと……。
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